想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

東京の雪を見る福ちゃん

2020-03-31 18:49:50 | Weblog
Yさんから福ちゃんの写真が届いた。
先週末は東京も雪だった、
山育ちの福ちゃんは……、雪を眺めて
懐かしんだかな…てなことはないようで









まったくもって、今いるここが故郷よ、
ということでした。

かくいう私も故郷は遠くにありて
思うもので、実際に訪ねても家無し
友無し(いや友はいるにはいるが皆
ワガコトが忙しい)、
で、縁もゆかりも無かったはずの山の家
が一番しっくりと落ち着いていられる。
それでもここが故郷、という気もなく
またどこかへ行くのかもしれない、
と考えたりもする。

家を買うのは面倒だから、ふらっと
行った場所に居着いて、戻る場所が
ここなのだということだろう。
こんななにもない山のなかだが、
コロナ騒ぎの今は安全であること
このうえない。
当面、自粛自粛で訪ねてくる人もなく
感染源になるとしたら、都会の塵を
つけてくる自分自身以外にないから。



白チビを誘拐してから、大勢で縁側に
居着いていた他の猫が散り散りになり、
(それなりに太ったからなあ)
江戸ちゃんは猫山へお帰りになった
らしく姿見えず、静かになった。

いいことに、野鳥が縁側ちかくへ
戻ってきた。
ベニヒワや、名前知らないけど番いの
大きめのやら、飛び回っていた。
雪が止んだら、樹皮の下にいる虫を
食べているようで、逆さになったり
斜めになったりして、枝から枝へ
飛び交う忙しさ。
いっとき眺めて過ごした。

鳥をみるうさこ



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名残の雪に、父を想う

2020-03-30 19:09:37 | Weblog
幸田露伴の娘、文子(幸田文)が書いた
みとりの記「父・その死」を雪の日に読んだ。

山は、前日すっかり春の気配だったから
つくしんぼうやふきのとうを愛でながら
やや強い風で土ほこりが舞う森庭を散歩
した。ゆっくり歩くのは久しぶりだった。





水仙は何種類か植えてあって、早々と
咲いているのもあれば、まだ固い蕾み
のもある。それも、さあこれからよ、と
勢いをつけ、あたり全体に花の生気が
放たれているようだ。
温みに敏く、強い風にもめげずに
すくと茎を伸ばしているさまに
こちらのへこたれた気持ちがほんのり
明るくなった。
紅梅もほころんで、花がたくさん、
赤ではなく濃い桃色なので
童女の節句祝いみたいだ。





暮れるころから降りだした雨は雪に
変わった。予報通りだった。
でもこんなに降るとは思わなかった。
朝、窓の障子を開けると一面真っ白で
驚くやらうれしいやら。
いや、うれしいいいい、だった。

今年は一度しか積もるほどの雪はなく
そのまま春になるのはあんまりだわと
思っていたから、義理を果たすみたいに
降り積もった雪に喜んだ。

名残の雪。いつも四月の初めくらいに
降るがこんなに降ったのは珍しい。
やや水気の多い重い雪だった。
これで山櫻のつぼみがきゅっと絞まり
大きなしっかりした花を咲かせて
くれる。 花の時にここに居ればの
話だけど、見る前から次は櫻だと
思うとうれしい。





父は母に看取られて死んだ。
離れたところで暮らしていた私も
たまたま帰省して父の病室にいたが
仮眠している間に逝ってしまった。
ほんとうに親不孝のわがまま娘で
あった。その後の十数年も今も、
変わらず、そのことを思うと悲しい。

幸田文のみとりの記は、娘の玉が
書き付けておいた備忘録のような
メモを頼りに、二年半くらい後に
書いたとあとがきに記されている。
父親が高名で人望厚い大作家で
あるという特殊な環境で、父と娘と
いう肉親関係以上の心構えを持た
ざるをえなかったことのその胸の内
が詳細に綴られていく。
露伴という父から、自分は愛されて
いないという悔しさと諦めと意地に、
ぐるぐる巻きになり、それでもやはり
露伴の娘は娘として捨てられない
誇りがあった。

それは、露伴が幼い頃から厳しく
行儀作法から暮らしのことまで
女親代わりに刷り込み、仕込んで
きたことが、醸成したものだとよく
わかる。米とぎ、洗濯、火炊きばかり
でなく格物致知を極めて教えられ、
身に染みついていた。それが父から
承け継いだものだと自覚しないまま
行っているのだった。

江戸弁でまくしたてるように書かれ
また暮らしの中で当然あった
であろう教養ある言葉遣いが混ざる
書きようで、幸田文の鼓動の音が
聞こえるように、よく理解できた。

「父がどんな顔をしていたか知らない。
私は見ることができなかったから。
これが私が父にしゃべくった千万の
うその最後のものになった。」
という文を読んだとき、私はわっと
泣いた。
数十年も前に死んだ父のことを
いまさらに思って、口惜しさに
泣いてしまった。それが自分の
ほんとうの気持ちだった。

幸田文は、いや、文子は父露伴に
愛されていたことをみとりの最期に
覚る。戦後間もない頃の真夏の暑い日、
二間しかない借家で病死した文豪を、
それらしくりっぱに送るということのみ
思いつめ、力の限り精魂尽くし、倒れん
ばかりに尽くして父を送った。
その間際に父の愛を覚った。
それがすがすがしく思えた。



わたし自身は父に愛された娘だ。
なのに父の望みを何一つ果たさず、
与えられたことの何かを知らずにいた。
私を案じながら死んだ父に、申し訳なく
供養したが、ほんとうの父を理解する
までずいぶん時間がかかった。
甘えが強く抜けきらない分、時がかかった。

年を取ればとるほど、父の思いの深く
川を流れる水のような生き様だった
ことを思い知る。
1930年、満州国で馬賊と共産党と
日本軍の間を縫いながら自力で生きた
青年の父を想像すると、老年期近くに
なって授かった末っ子の私を、大きな
膝に乗せて甘やかしていた、胸の内に
ほんとうは何があったのかと思う。
父の見てきたものを私は知らなすぎた。
父さんは、黙って働いていた。

父が老いていたことが切なく、
私が幼すぎたことが、悲しくなる。
子どもの私が父に順ってしっかり
教わったと記憶しているのは、
手をとって教えてくれた筆順と
あいさつ口上と礼であった。

雪の厳しさをよく知る父は、
この春の雪をどういうだろう。
何も言わず、静かな面持ちが
眼に浮かぶ。








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伸び伸びしてます

2020-03-25 00:20:54 | Weblog
なが〜くなってますな、福ちゃん。


3月21日
伸び伸びですな、ブリ君。

春です。


先週のある日、事務所のベランダから
いつも空の先の方を見ていたから
気づかなかった。
桜が咲いていた。
庭にある古木だ。
伸び伸びと豊かに枝を茂らせて
たくさんの花をつけていたんだけど
昨年、枝を伐られてだいぶ低くなった。
ここで働きながら毎年、この桜が咲くと
ふわっとした喜び、春を感じてきた。
考えないで、感じる。
桜、春、うれしい、一度にくる。

君はマンションの築年数と同い歳
なんだろうか‥、う〜む。
巷ではヴィンテージとかいう歳だね、
来年も君に会えるかな‥‥



地下鉄から地上へ出たら舗道に桜。
用事があって急いでいたけど、
桜に立ち止まった、ふわっと。


3月8日
ブリ君ことブロッコリーのタネ。
豆苗と勘違いしてたあたしです。
以下、経過観察。


3月11日


3月14日
おっ!


3月17日
うん!


3月21日
食べていいかな‥‥
いや、待て、ステイ。
もちょっと、眺めていたい。

スプラウトには雑菌がつきやすいから
水をよく取り替るのが大事と注意書きが
あった。栄養価が高いことでも人気だが
スプラウトはサラダやサンドイッチに
簡単に使えるのもいい。時短食材ね。
(よく洗って、水切りして)

都内は自粛と言われても桜があれば
人出は多い。花見の宴はしてないけど
ぞろぞろと歩く花見客で路上は混んで
いた。客を当て込んだ商いは苦しい
だろうから、なんとも言い難い。
なんとも、なんともと言いながら
今日になって都内の感染者数が新たに
17人と発表された。そして今日は
オリンピック延期もやっと発表。

山の家ではまだ雪が降る日もあって
伸び伸びとはいかない。
山桜はまだまだ先だし、開花の時に
留守にしていたりしたら地面の花を見る
ことになる。それもきれいだけど。
咲いているわずかな間に出会えたら
喜びはひとしおだ。
出会えるとは限らないひととき。
前に見たのは17年のGW中だった。


こんなふう。
もいちど会いたい。

























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小さなおうち

2020-03-10 19:24:23 | Weblog
小さな世界、小さなおうち、小さな…
福ちゃんは初ワクチンを打ちました。
体重は1500gになったん! と、
Yさんから写メ。
お祖母ちゃん江戸似、よろし!

束の間、喜びがこみ上げる……
小さないのちに救われる……
が、、、、小さなといえば、、、、

小さな政府という言葉が流行出した
のはいつからだったか、トリクルダウン
が幻、欺瞞であることは日本の現状を
見ればよくわかる、富はいつまでも
下へは降りてはこないのだ。
だって「吸い上げた」税金を使うのは
私たち、と最高責任者を自称する者が
言ってしまった。
左様、吸われすぎて、もう息をするのも
やっとの有り様な……歳月が長い。



やがて一年ぶり、貸した本が返ってきた。
一輪のバラといっしょに。
うれひーーーー。

花屋さんで買うバラはたいていが
香りがしない。だから買わないのだが
これはとてもいい香り! さすがに
伊勢丹のローズギャラリーのバラ。
イセタンは良い物を置いている。
その伊勢丹も三越も息も絶え絶えに
見える。中国人観光客が消え、店内が
歩きやすくなったのはいいけれど、
この二年ほどデパ地下はいつでも
ラッシュアワーだったからびみょう。

小さく地産地消を日本全体でやれて
それで雇用も生まれてこそ、小さな
政府の意味があるのだけど。
それ以前に市場競争を是として偏った
政策をとって、福祉を切り捨てたし、
公共サービスを劣化させてきた。
貧困層が増えたのに生活保護まで
狭き門にした。これはいったい誰の
ための政府だろうか。


豆苗は貧乏人の灯火かもしれん……
だがこの豆苗セットは元はとれない。
種と容器セットで770円也。
貧乏人はこんな容器は使わず、
スーパーの豆苗から何回も収穫
する。だから節約になるのだ。
スーパーでは100円で売ってるのも
あるから。
なのに、なにゆえにここにある?
それはその、気之迷ひ。
育っていくのを眺めたかった。
そんで、食べる。ありがたく。


これはミニバラ 580円だった。

この部屋では一番朝陽があたる
ここに置いた。よく育っている。
鉢に植え替え黒土を入れた。
写真ではわからないが、実はピンク
ではなくほんのりパープルなの、
パープルのバラが好きだけど
滅多にないから即買い、セール品
でありました。
仕事途中だったから、袋に入れて
もらい一日持ち歩いたけど、
好きなものは重くもなんとも……
つまり、気分の人。


休憩したドトールで、足元にきた。
なかなか去らないセキレイ、
誰かを待ってるのかな、君たちは
よく番いで遊んでるよね、仲良くね。

人からなんやかやと時事ネタで
意見を言われる。
あまり答えようがない。答えたくも
ない。日和見主義だからではない、
諦め。
そこからさらにさらに沈みこんでいる。
だから、何度目かで、やっと答える。
答えないと悪いから。
そして、正直に言う。
そしてひんしゅくを、買う。
もう、笑うしかない。
相づちがとことん下手。
にじみ出るのだな、たぶんな、
どうせ、わたしは…どうせ、の人。

わたしは、わたしたちは、小さな
存在であるからして。
確かに正しいことを言っているのは
わかるけれど、その正しさよりも
ほしいもの、恋い焦がれるものが
別にあるのだな、あたしは。

その正しさの根っこにあるものが
透かしてみえたときに俯く、か、笑う。

人間はとても難しい
というか、難しくはないものを
難しくしてしまったということ、当人は
気づかないけれど。
口にすることで気が晴れるというか
言わずにおられないということかも
しれないけれど……
正しさに酔ってしまうことはないか。

口にすればするほどに、さらに気持ち
が萎えていく。
そういう場合もある。
そういう人もいるのである。
わたしはそっちの人。

10年、20年、30年とだんだんと
しだいに言葉が少なくなった。
知識は増え、語れることはあまりない。
それでいいという気がする。
だって、お下がりで生きてる身分だ。
まだ知らないお下がりがたくさんある。
飽きることはない。
醒めてはいるが飽きてはいないのだ。
怒りつつ、諦めつつ、
知らないということを知っている。


(作品:川上順一)

「小さいおうち」中島京子原作、
山田洋次監督が映画化。
好きな作品だ。
昭和の十五年が戦争の時代であった
という後世の認識に反し、市井の
暮らしは……というお話から様々な
人の姿が見えてくる。
戦争は今も昔も戦地の前線の人しか
知らない。終末期の大空襲に至るまで
日本の銃後の人々は敵を知らなかった。
今、何が起きているのか、今だって
わかってはいないということを
知らないだろう。

未知の感染症を(都合の)よいことに
緊急事態宣言できる法律を決めとく、
そんなもくろみが着々、進んでいる。
13日に、という。あと三日。
私人の権利を規制しないように
なるべく考慮、と「吸い上げて」いる
人が言う。

小さなおうちから、みな出られない。

多くは望まない人が好きである。


















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rururuンバッバ〜

2020-03-01 16:02:36 | Weblog
森庭での最後の思い出、ルルル、
いつかこんな日もあったよね〜と
話せるように。

あっというまに大きくなって
こんな日があったことは忘れ
ルンバからはみ出してしまうね、たぶん



Yさんの顔が柔らかくなって、
ふにゅふにゅしてて、いい感じ。
あああ、ぷ〜ちゃんがいた頃が懐かしい。
犬もネコも優しさを運んでくる。
それが感染ってしまう、あの感じが。

週末、混雑が当たり前の東京駅は観光客の
姿が消えたせいか、夜更けみたいに空いていた。
検査できるのにしない、情報を小出しにする、
震災の時とよく似ているが、放射能よりも
ウイルスの方が対策しやすい、というと顰蹙を
買うだろうが、事実だ。
3月中には何らかの新しい施策があるだろう。
政府主導ではなく。

9回目の春が来て、縁側の網戸に貼ったままの
フィルターを外そうかと思う。
何回か放水で洗って使ってきたが、外さなかった。
外す気になれなかった。怖いからだ。



この14日から常磐線が全線再開する。
あの路線沿いは、ここよりもうんと線量が
高い場所がある。
ホットスポットもあちこちに。
全線開通すれば日暮里から我孫子へ抜け
北上できるし、特急「ひたち」で品川・上野から
仙台まで一本で行ける。
郡山から山越えしていた浜通りが近くなる。

浜通りは文学にゆかりのある土地。
起点前の我孫子は白樺派の活動拠点
だった。武者小路実篤、志賀直哉らが
手賀沼の畔に移り住んだ。柳宗悦は
ここで濱田庄司やリーチ、河井寛次郎と
出会った。それらがやがて民藝運動へと
つながっていった。

歌に詠まれ、勿来の関はあまりに有名。
いわきから山よりへ向かうと、蛙の詩人
草野心平、天平兄弟のふるさとがある。
地元の人が守る天山文庫は在りし日の
詩人を偲ぶことができるし、あたりの
山や川、木々に詩人の魂が宿るようだ。

小高は「死霊」の埴谷雄高の出生地。
今は柳美里が書店を営み演劇も復活し
人々のなかで根を下ろしつつある。
仙台は直木賞を拒否した人気作家、
伊坂幸太郎、またそれ以前に北杜夫がいた。
常磐線運転再開で、さらに多くの文学好きが
訪れるようになるだろう。



当面は人出を避けなければならないが
桜が見頃になる頃には先の見通しが
たっていることを願っている。
今年も夜ノ森の桜を見に、ふるさとへ
帰ってきたい人が大勢いるだろうから。

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