想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

忘却は生かしも死にもさせるなら

2018-03-25 16:00:00 | Weblog
三月と四月、冬が長いこの地にも
陽が長くなり、枯れ枝に新芽がつき
花のつぼみが出始める。
すぐそこ、あと少しの辛抱をすれば
春が来る。
心はずむはずが、この数年間は毎年
沈んだ気持ちで迎えねばならなかった。
それがいつか晴れることを願いながら
深く沈思せざるを得ない季節だ。



三月十一日は新聞テレビラジオみな
前日から震災特集で朝から晩まで
被災地、被災者、識者のコメントが
流れた。

7年経ち、朽ちていく町が映り、
帰れない人が映っている。
避難区域の解除で戻る人、改めて
その地へやってくる人、故郷を求め
ない人はいない。
けれども生きているうちに元に戻す
方法は無いのだという失望を掬い
とって、答えてくれる相手は…
まだいない。



四月になると熊本大地震から丸二年で、
復興まっただ中の震源地付近や市内の
熊本城界隈が特集されて流れるだろう。

テレビには映らない人の一人、被災
した知人は、復興住宅に移り住み、
老躯を鞭打って執筆を続けておられる。
地震の時、タンスの下敷きになった。
近所の人に救い出されたという。
生きて為さねばならないことを
為さないうちには死ねないという気迫
の92歳。外見はおだやかな、優しい方
である。

夏が来る前に上梓となればお祝いだ。
まさに今、憲法改正と騒いでいる今、
どうしても伝え残したいこととは
〈治安維持法下に斃れた人々〉を
調査、発掘した記録をまとめた著作
である。
震源地近くの壊滅的な被害を受けた所
にあって、くじけることなく書き続けて
おられる。堅き志に頭が下がる。
生きるのがイヤたらなんたら
言うのが軽々しく思える。
いや実際いやになるよな日々だが。


テレビに映し出されない景色、人々を
遠く離れた場所でどれほど思いやり
想像することができるだろうか。

誰かがとりまとめた状況説明を聞き、
同情はするだろう。だが心は届いて
いるだろうか。
情報にならない声に耳を澄まして
みようとする人はいるだろうか。

忘れるということ、忘却は
人を生かしも、死にもさせる。
五分五分だ。ならばどちらをとるか?
忘れて先へ、ふり捨てて先へ、
本当はそれができないことの証明が
震災後の福島ではないだろうか。

熊本の傷も深い。
失ったものも大きい。
物だけでなく人のいのち、人生の証、
何ものにも代え難い喪失の傷はまだ
生々しい。しかし彼の地は表向きは
日向のように明るく振る舞うだろう。

取りこぼされ、取り残され、捨てて
行かれる人が必ずいる。
誰が気づいてくれるだろうか。

何が起きたか、何故そうなったか
忘れない、あいまいにしない、
なかったことにするのを
良しとしない。

失ったものを
嘆くだけ嘆いても
悪いということは決してない。
悔いて悪いことなどない。
それが新たな道を選ぶとき
まちがえないように、教えてくれる。

忘れてはならないことを
忘れない。
忘れさせようとする見えない力に
抗わねばならない。

それは言うほど容易なことではない。
みな、次々に忘れ果てたように暮らし
過ちをくりかえしているではないか。
水俣然り、福島しかり、
次はどこだろう、とわたしが言うと
「あなたは事故を望んでいるのか」
と言ってきたアホがいた。
アホはおそらく被災した者の心中を
慮ったことなどないのだろう。
知ってはいても。

出版からやがて半年になるが
詩集「トメアスの月」
四月がくるので、また手にとって
見て下さると嬉しいです。





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