想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

森で流れる時間

2010-09-30 01:59:59 | Weblog
(午後の日射し、西陽に照らされた草と樹々、美しかった)

ゆっくりと過ぎるようで、実はあっという間に一日が終わる。
森にいる時は都市部で働いているときより元気でいるせいか、あれこれと
動きまわるからである。
最近はそれに早起きが加わったので活動量が増えて、さらに加速して過ぎる。

ゆっくりとか、早くとか、要は気の持ちようが多分に関係する(うさこの場合)。
ゆっくりが耐えられないシーンその1、テレビ。
シャカシャカとチャンネルを変える。これってザッピングっていうんだっけ(zapping)。

その2、レジ待ち。並ぶのは3人までの列、それ以上だと見たら買うのをやめる。

その3、商品説明をたらたらやる営業のヒト。やんわりとさえぎって立ち去るか、
話をこっちペースにしてできるだけ要領よく切り上げる。
たまにそれに応えてくれる相手に出会うと、あっというまに商談に応じてしまう癖が
ある。後悔することもないわけではない、なんだかな~と。

その4、食べたいものをレンジでチンするとき。いまどきまだ回る電子レンジを
使用しているので、回る皿をじっと見て待つ。1、2分が長く思えるときである。
ほんとはちっともゆっくりではないのに。

その5、きりがないくらい色々あるなあと思うが、読む方がばからしいと思う
可能性大なのでこの辺でやめて次へ行く。5はナシ。



早く感じるその1、森の休日。
その2、最近の歳の取りかた、自分のことである。
その3、財布の中の現金が減る速度。ガソリンを入れた後に特に感じたりするが
それを忘れるのも早い。

その4、怒ったことを忘れる。なぜなら真から怒るってほぼ無いからである。
憎むという感情を知って、ほーわたしにも憎しみがあるのだと知った時、
憎しみとは忘れられないものだということも同時に知った。
できれば、忘れることができる程度の怒りで済ませる日々のほうがいい。
怒りは体重を重くする、これほんと。重いと肩凝り腰痛やられます。



その5、う~ん、今年の紅葉は早くくる気がしてます。あ、それから好きな本を
読んでる時、すぐに明け方になってしまうので困るなあ。

毎度ばかばかしいお話で失礼しやした、おやすみなさーい。


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ぶちゃいく、です

2010-09-29 13:39:45 | Weblog
こんばんはー、と二頭で来ました。


びっくりしたなーもー、といいつつかわいくて仕方ない。
シマコは確か7歳‥、この子は今年の冬に生まれた子のはず‥。
よくわかんないけど、速攻なつきました。

窓の下を通りすぎるのをみかけて、ぶちゃ、ぶちゃ、と呼ぶと振り向きます。
そのまま立ち止まって、じーっとこちらを見ている瞳にしだいに親愛の情が
宿ってくるのです。
生きものと通じ合うのは、うさこも生きなんで、うれしいです。

わかりあうことを求めている人と、自分の思いを通すことだけしか思わない人
と二種類いて、「和して同ぜず」の日本人魂はなかなか活かされない今日び。
中国人も日本人も、大衆同士は人間同士の交流ができているのに、
おバカな若造政治屋がでしゃばりまくって、いい迷惑。
迷惑千万、日中戦争で残留孤児となった人も自分で残った人もかの国には
たくさんいる。苦労しなかった人はいないだろうが、生きている。

利権を守れば国益だという狭量な考えで国は守れず、栄えない。
日本には黄金の外交カード憲法九条があり、そして17条憲法もある。
お勉強してもらいたいもんである。
人と人の心が融和しないところに繁栄はないんだと。
そう、しみじみ、歴史が語っているんだけどなあ。

沖縄の人々がいまは一番まともな日本人に見えるのはなんだか皮肉だわ。
やまとんちゅうが捨石にした沖縄なのになあ…。
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夏櫨のジャム

2010-09-28 00:24:25 | Weblog
いただいた夏櫨の木に今年も実が熟しています。
今年の春に届けていただいた2本目も無事に実をつけました。
待ちに待ったこの時、二度目のジャム作りです。






グラニュー糖を少し加えただけ、グツグツ煮て出来上がり。
小瓶に一個分できました。
途中スプーンですくって何度か味見した分を差し引いて。
毎日食べて10日分くらいはあるでしょう。


体にいいぞー、ありがたいぞー、収穫してすぐにジャムにする
なんて幸せだぞー、と色々思いながら鍋をかき回したのでした。
ビタミンCとポリフェノールが豊富でブルーベリーと同じく眼に
とても効いて、視力がスッキリする気がするのであります。
薄く切った黒パン、ファイバー入りのビスケットに合います。


ごちそうさまです。


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夕空~森へ

2010-09-25 23:52:51 | Weblog
この夕暮れは先週東京を発つ前に撮ったもの。
仕事を終えて帰り支度をし、駐車場へ急いでいたとき
窓を閉め忘れたことを思い出して引き返した。
窓に手を伸ばしたら、ちょうどこんな景色だった。
グッドタイミング、道を急いでいたら気づかなかったかもしれない。

で、森はといえば、まるで冬がきたような寒さで驚いた。
ストーブをつけて、ウールのズボンにソックス。
先週まで室内ははだしで歩いてたのになあ。




週末、友人からの電話で東京は大荒れの空模様だったと
聞いた。こちらも土曜日は冷たい雨が続いてようやく午後から
晴れた。
夏はぜの実を摘みとるくらいしかできなかった。
心の準備がないままに北風が吹いて、外に長くいられないので。


でも、猫は子猫を連れて遊びに来た。
親分がいつもより元気で庭ではしゃいでる。涼しくなって調子が
戻ったのか。愛らしいかたがたが目の前であるがままでいて
くれるので、それを眺めていると、しだいに身体のこわばりが
ほぐれていく。


半年くらいの子猫は足だけ白いソックス、身体は真っ黒、
鼻先から口元も黒い。まあ、ぶちゃいくな顔なのでブチャと
呼ぶことにした。
ミャーと鳴く声もだみ声で、シマコのそばでよく鳴く。
かわいい盛りまでどこに隠して育ててたんだろう?


夜は月が群青の空を照らしていた。
晴れてくれればいいな、少しは温みがほしいなと思う。
そしてジョニー・ディップの「パブリック・エネミーズ」をdvdで鑑賞。
カメラアングルがすごくよかった、どのシーンも。
人物の心象をよく捉えて効果的だった。音楽も秀逸。
もいちどゆっくりチャプターごとに見たいと思った。
時代は1933年、世の中は今と同じ不景気のどん底であった。

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オレ流の毒

2010-09-24 09:58:03 | Weblog
あんた何様? オレ様!
シャレになるならいいけど、そんなオレ流、オレ’sルールを
ナメてはいけない。
なぜって、危険だからである。
上の写真のおばちゃん、いや失礼、姐御シマコのアタシ流は
無害である。でも、ニンゲンのオレ流は世間に害悪を垂れ流す。
いや、そんな世間的なことよりもなによりも一番コワイのは中毒である。
当事者のオレ様自身が毒に侵され脳みそを乗っ取られ、人でなしになって
いくのだよ。



オレ様って言ってもなにも男子に限ったことではなく女人にも
オレ様的な言動でイキイキブンブンしている人はいる。
男女区別なく、オレ’sルールに酔っている人が増殖しているようである。
最近、まさにそのオレ流カンチガイ男子と話す機会があった。
面白いを通り越し、気持ちが悪い。
日本語が通じなかった。
もち、純日本的な顔立ち、血統も日本人の男性であったが。

あまりに訝しいので理由を知りたくて観察させてもらったところ、
判ったのは、感性がないということである。
無いと言い切りたいくらい、鈍いのであった。ニュアンス的なものが
伝わらないので表面的な言葉のやりとりで終始するのである。

オレ流は日常に起きるさまざまなことを自己完結した世界に閉じている。
平たくいえば、なんでも勝手に結論づける習性がある。
それらの妄想を現実と混同したままリアル社会を歩く。
歩いていても他人とは絶交状態に等しい。

なぜなら自分に都合のいい言葉を聞くときは受け入れ、かつ思い込む。
確かめたりはしないから、いいと思ったものだけ覚え気分よくなれる。
一方通行なのである。
返事は邪魔だからいらない、なぜって考えるのが面倒くさいという理屈。
問題があれば、素早く逃げる(逃げられると思っている)。
知り合いをつかまえて愚痴る。悪口を言う。言いまくってセイセイする。
で、忘れるのである。忘れてしまうだけで問題は解決せず残ったままだ。

かように、交渉、交流、切磋琢磨という、人が人として成長していための
生活の基本を拒絶したまま何年も過ごせば、ゆる脳ができあがる。
ゆる~い脳みそは決まりきったワード以外に反応しにくい。
脳は鍛えれば働くが、甘やかせば怠惰になる、ああ、筋肉と同じだ。
脳だけ鍛えてもダメ、心が大事なんて言う話はオレ様には届かない。
ですよね~とか平気な顔をしてストローをズズズっと鳴らすくらいだ。
せめて脳みそ使ってくんなんし、ととりあえず言うのが先である。

米軍が兵士を選り分け、どう配属するかを決めるのに、感受性の強弱、
善悪に対する反応を調べるという話がある。
善悪について頓着しない、つまり悪を悪とは思わない人間のほうが
ソルジャーとして有能であるとみなされる。
そりゃそうだろう、アーミーは防衛だなんだかんだと言っても
しょせん殺戮が仕事の組織であるからな。
良心によるためらいは、邪魔だと考えるのだろう。

善悪の判断ができなくなってホンモノのバカになったときに
人の姿を借りた悪となる。悪は偽善に隠れて見えないので、
オレ’sルールを世の人は個性と勘違いして大目に見たりする。
大目にみてもらっているうちに軌道修正できればいいのだが‥。

人が人であるゆえんは、魂があること。
魂は善によざす。全身悪玉となったヒトの魂はどうなるのか?




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月も、みている

2010-09-22 09:20:00 | Weblog
夕方、駅へ迎えの車を走らせていたら、真正面の空に月が出ていた。
外はまだ明るいけど、よく見えた。
ぽっかりと浮かんだ、月。




車を止めて写真を撮る。こういうときはちっとも面倒くさくない。
ケータイが鳴って車を路肩に止めたりするのは面倒だけど。

撮って、後ろを向いたら、もう夕焼けが始まっていた。
前も、後ろも、いい景色だった。
今日一日で一番いいひととき。
まだ今日は終わってないんだけど、さ。



うれしいとき、一番、今が一番と手を合わせ
単純な性格を表した一句を詠みつつ、駅へ急いだ。

子どもの頃嫌いだった秋を、少し忘れられそう気がした日。
月は父の目。

出家、在家という区分けは親鸞上人が比叡山を降り宗門を
開いてからなしくずしになってきたのではないだろうか。
親鸞上人の心を解らず形だけを真似て信徒と名乗る者ども‥。
出家したはずの坊さんが里へ降り、里とはつまり女人と酒の
ある場所で、遊里であるから破戒である。

出家も在家も仏道を求めて修行する覚悟をした証はその心にある
はずだ。心のありようはつまり身の置き方、過ごし方である。


在家で戒めを忘れずに生きることは口でいうほど、言葉にする
ほどたやすいことではない。
けれども戒めの中身をつきつめ、考え考えし、思考を重ねていく
ことで自制ははたらいてくる。
カメは学ぶ人に言っている。
「日常の中に信を見いだすべし」茶碗持つ手に神宿るというのである。



僧衣をまとい数珠をかけていても出家にはならず。
俗世にいるからといって大衆が破戒してのうのうと生きていいわけ
でもなし。かたよらずあることを教えているのが仏の戒めだ。
神道に戒めなどの文がないのは、それらを禊祓いした後に向かう道
だからである。
次元が違うと考えれば、身の置き方も然りとなろうかと思う。
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秋めいてきた

2010-09-21 00:02:03 | Weblog
明け方にかけて雨がふり、陽が昇るころになると雲が切れてくる。
そんな日が続いて、樹々がすこしづつ葉を落としていく。
茂った葉で緑の壁と化していた庭から続く森も、少し開けてきた。
葉が落ちた分、空が見えるようになる。

落ちないでほしいような、緑の季節が名残惜しいような、
かといって黄金に輝く紅葉の時分を待たずにおれぬわけで、
いまがいちばん、変に欲張りな本性を感じてしまう頃である。

食いしん坊なのに、ヤマボウシの実を差し出したら、フンってな顔された。
なんだか妙な分別を持っているんだ、親分さん。
うさこはヤマボウシ、食べたことあるよ。
花屋の師匠が「食べられるんだよ、あれ」って言うのを信じてさ。
う~ん‥、思ったほど甘くなくてイマイチ。
見かけ倒しな赤い実‥である。

そう話したら、えーっ、オレそんなこと言った?ほんとに言った?
食べたの~、別に腹こわさないよね? だってさ。
花屋のオヤジに習うのは生け花の花選びだけにしようっと。



ばらの名はカクテル、秋に咲いたのは初めてです。
ほんの少しの花数だけど、とても嬉しい。
Sさん、どうにか咲いたよ~。

ちょい多忙につき、写真をとりあえずアップして森が秋めいてきた
ことをお伝えして‥。
では、また。
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なければ探せ、辿りつくまで

2010-09-17 10:20:05 | Weblog
雨のち晴れ。
ずっと暗雲に被われたまま、光明差す気配すらないこの国の政治だが
森は晴れております。大雨が降っとるとね、と母が心配してくれたので
晴れた空を一発ご披露いたします。
だいじょうぶでしたよ。


秋の良き日に、ひさかたぶりの方々は遊びに来たいでしょうねえ~。
うっふふふふ。
いつもはつぶらな瞳、ぱっちりマナコが
笑うとなくなるのはうさこ似です。
暗いニュースばかり、醜い話ばかり、そうでもない世界が
探せばあるぜよ。
それは、自らつくりだすもの。いや、つきつめてつきつめて
辿りつくところと言ったほうが正しいね。



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赤い実の季節

2010-09-16 03:21:33 | Weblog
やまぼうしの実がだんだん赤くなってきた。
だんだん、秋になっていく目印である。
てんとう虫も実のうえで遊んでいる。よかった、てんとう虫で。
みょうがを発見、10個ほど穂がたったのを採って、あたりをじっくり
見回してみつけた。これは固くていい感じであるな、でもまだ掘らない。
自慢してから、ははははっは。


夏櫨ジャム作り、もうじきだ。
今年は2本も木があるからな、収穫は昨年の2倍だな(と見積もっている)

もうちょっと手が空いたら摘みにいくとしよう。
実が柔らかくなるころ、ちょうど一息つけるだろうから。
政治のニュース、うっとうしくなって目をそむけている
今日このごろ。そういうことではいけないと思う反面、
今度ばかりはうんざりしている。
若かった頃、シラケた大人を見て蔑んでいたものだが、
シラケないほうがよほどバカなんだ、この国の政は。

でもそんなことだけつぶやいていても、どうしようもない。
自分の果たすべきことを省みて行わないと。
ずるい奴らだけの世の中にしてはいかんからな。

そういうことを自分にいいきかせていたらスリスリと
ぷーちゃんがやってきた。
最近の会話は「な~な~、な、な、なぁ~」で通じる。
「な」でぜんぶ用が足りて以心伝心、なのである。

柳田国男の学問の原点は自分の生まれた「日本一小さな家」。
貧しい神官の父と母。その視点が生涯外れることはなかった。
日本という国と土地を見つめた目の奥に、普遍的な家族の像が
あったということだ。

政治家も人の子ならば、父、母と、そしてそのまた父、母を
先祖を思い起こせば権力争いより民の方へ目が向くだろうに。
互いを誹ることもないだろうに。
出世するのは、公に奉仕するためである。昔の人はそう学んだ。
今の人は出世して専用ジェット機でシャンパンを飲む。
堕落したものである。
文科省に言わせれば「規範意識が薄い」最近の児童と似てないか。

再び衆愚政治の風が吹きそうな気配に憂鬱。たった一年前のことだ。
期待と興奮の政権交代。露よりはかなく消えてしまった熱気。
明治時代から進歩していない、いや後退しつつある気がしてならない。
そんなことを言うと、あれ、知らなかった?そうなんだよ~んんん、
と声が返ってきそうで怖い。
不信の時ほど、強い心が必要だと、目を閉じて知らんフリはできないと、
自戒しいしい鬱陶しい気持ちがなかなか消えない。

政治をみかぎったから、根本の、宗の教えを学んできた。
人を作る根本を学んできた。
知れば知ったで、よけいに怒りが湧いてくるものであるなあ。
ここから先が、大事‥

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光の孔

2010-09-14 09:19:32 | Weblog
朝、7時半ちょっと過ぎ。太陽を樹々の間に探す。
光差す方。地上には光の孔。
BGMはバド・パウエルが弾くディア・オールド・ストックホルム。
ゆっくりと時が流れる。
北欧のfork song(民謡)をジャズアレンジした曲、森に合うことに
気づいた。これまではほとんど夜聴いていたけど、朝の森でもいい。



「私」と言わなくていい時間。私は、と主張しない時間。
親密に流れて、深まっていく。なにもかも融合して反発のない世界。
純粋のなかで呼吸できる幸せ。




これは孔雀草ではないかしら?(アメリカ原産)
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憂える事ごと

2010-09-13 18:47:52 | Weblog
変な週末だった。
晴れのち曇り、そして雨。お天気通り、人模様もそんな感じであった。
上の写真は、晴れの一日の始まり。
この方は憂えないんである、いつだって。
空が乾いてきた。光も和らいでいる。
花の名前、何だろう。この周辺に一気に増えた。
庭の花壇に撒いたワイルドフラワーのせいだろうかと実は憂えている。
悔やんでいる。

キレイねーなんて言うのは都会から「時々原っぱに来て」自然は
いいわ~環境は大事ね~とほざいているお気楽ちゃんである。
森の生態系を乱しているのは誰だ? あたいだよ!

途中の道ばたのあちこちにキレイな花が顔をみせてうさこは
からかわれているような気分である。
バカアホアンポンタン、バカアホアンポンタン、こう合唱しているのが
聴こえるようだ。どうなるんだろうなあ、来年もっと増えて群生するか?

共生という言葉、とてもむずかしいことだと思う。
「友愛」と掲げた方がゲキチンするのに三月とかからなかったのも無理ない。
よく考え深く考え、己の欲、ホシミはないかとかえりみて事に向かう、
そういうことを四六時中、心して生きるというなら別だが。

人模様がよくなかったのは、それぞれの胸中にある「私」から放たれる
毒が雨の湿気をさらに重くしたから。
人は環境次第で育つものだ。森の自然に溶け込んで天の理にかなうには
人の「我」は害悪でしかない。せっかくの環境があっても我の壁が妨げ
オレオレオレ、私私私では雨の潤いも光も魂には届かず。

我なんぞ、スズメバチも避けて通るくらいで何の益もなしだ。
カメは人の毒から離れたところでひとり、炭の火を起こしていた。
焼いてもらった山女魚を喰らって、うさこは怒りを鎮めたのであった。

追加写真
撮るより早く食べたい‥‥気持ちが手ぶれを招く‥。
いつもは肉を食べないうさこ、ソーセージを食べ、なんちゃってビールを
飲んだ(アルコールフリーのもの)。怒りに任せて食い気に走った気が
しないではない。せっかくの今年お初の山女魚に申し訳ない‥。
すごく美味しかった。カメは根気強くじっくりと焼いてくれるのである。

百メートルほど離れたところで別のチームが同じくたき火でイワナを
焼いていた。焼けた焼けたと早々に持って行くのを横目に見たが、
川魚の焼き方を知らん未熟者、焼けてはいても旨くはないぞ。
皮が香ばしくなるのが美味をひきたてる。それには根気がいるのさ。
炭火の前は熱いからな、なんでも同じこと、よく知って、よく耐えることさ。

食っただけのうさこがエラそうに言ってるが、本当である。
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道中記

2010-09-10 14:10:21 | Weblog



アチチなのだ、アスファルトが焼けて裸足の足は痛いのだ〓。
水ゴクゴク飲んで熱中症対策バッチリ。
あとしばらく昼寝だす〓
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清々しさ

2010-09-10 01:53:06 | Weblog
熊野の特集をテレビでやっていたので録画しておいた。
ようやく見る時間ができて見た(でも半分だけ)。

熊野は好きな場所である。一口に好きと言っても色々な
意味があるけど、記憶の中で「好き」の箱に入った諸々を
思い出す。思い出しているうちに、好きと言えないことも
混ざって思い出されてくるが、それらを含めても、まあ
ゆるぎなく「好き」の場所である。

テレビでもやっぱり取材されていた、神倉神社の火まつり。
火まつりのことなど思いもせずに、あの急傾斜の石段を
這うようにして、いや、本当に這いながら登ったことを、
映像を見ながら思い出した。
同じようなかっこうで登っているオバさんが映っていた。

火まつりの男衆はその石段を火をつけた木の棒を持って
競争で駆け下りてくるのであった。
最初に登って行く集団の中に、くわえ煙草の若い男が映っていた。
祭りをしきる年寄り衆はいないのだろうか。
白装束が泣けてくる。
走り回って発散するだけの祭りになって、それでも毎年行われ
人がそこに群がって、テレビカメラも回っている。

熊野信仰の主人公は修験者である。
激しい行をする。そこに同じくらいの若い男の姿もあって、
ざんげ、ざんげ、ろっこんしょうじょう、と大きな声で唱え
ながら歌いながら山道を行く。
その顔が清々しかった。
神倉神社のくわえタバコの男が卑しい笑い顔だったのと対照的だ。
熊野の道を歩いたときの、胸の中を風が吹き渡っていくような
なんともいえず軽々と清々としたここちを思い出した。

コレ、アレと言わなくても、胸中に立った柱をしっかりと
感じられ、力を入れずとも歩ける。
長い距離も疲れなど覚えず、気持ちよく先へと進める。
その感じを思い出した。
あれは、信仰の感覚であるということ。

仏教から神道へ、学びを進めてようやく仏教世界を「情」から
切り離してとらえることができるようになった頃、わたしは
念願の熊野行を叶えた。
密教を信仰し、背中合わせの高野山へ何度も足を運んだのに
熊野へ行きたくなったのは、仏教を離れてからであった。
己を知ってはじめて行けた、そういう場所だったので忘れがたい。
「好き」の箱にとってあるのはそういうわけである。
~本日移動中~
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訳知りで嘘つきである

2010-09-08 09:10:05 | Weblog

いやフ○タチのことを言ってるわけではございません。
このごろ大方の大人がそうだなあ、と思ったまでのこと。
物知りで訳知りで、ついでに間違いも思い込みで知ってるつもり。
で、それに尾ひれもつけてもっともらしい嘘が一丁出来上がり。

なのに、本当に大切なことは、言葉だけしか知らない。
中身がない。
言葉だけ羅列してるのを抽象的とか観念的とか言ってるけど、
それは抽象や観念に悪いというもので、中身、実がしっかりある
から抽象化、観念化できるのであるよ。
うわっつらだけで言葉並べてるのは、知ったかぶりとか嘘つきとか
言う方があたってないか?


このごろは玄関の扉に喪中の張り紙をする家をみかけなくなった。
マンションが多いせいでもないだろう。住宅地に一戸建ての家は
たくさんあるし、老人と同居の世帯は多いはずだから。
で、喪に服すとは俗世を避け、遮断して仏様のそばにいることである。
ほとけさま、死んだ人はほとけさまであるよ。その冥界の旅の
入り口に寄り添って弔いながら時を過ごすのが喪中である。

そんなときに、知ったかぶりや興味本位の行動はもってのほかである。
世俗の金勘定なんかしてたら、バチが当たるぜよ。
おもいやりがなけりゃあ、喪中ったって、カタチだけに過ぎない。
生きてる方がほとけさまに譲んなきゃいけないんだ、喪中は。

昔の人はこころがあったなあ、今よりいくらかは。
個人差があるのは今も変わりないけど、でも平均すると今よりマシ
だろうなあ。
今は考えない人が多い。考えないから感じないし、感じないから
考えないし。どっちが先でも同じことで、便利な世の中になって、
なんでも金で買う。

人の死も、金で済ます。そういう家が増えた。
(年金不正受給の話じゃないよ、別に)
境目で過ごす時間を葬儀屋が奪ってしまったなあ、としみじみ思う。
奪われたなら、奪い返せばいいんだけど。
死者は病院から斎場へ送られ、家族と過ごす最期の貴い七日間が
失われている。人の気持ちも場所につられてしまえば静寂を保てない。
「おくりびと」映画は流行ったけどあいかわらず世間はせちがらいなあ。

ところで、父さんの墓地の草むしりしてくれてありがとう、真ん中の姉貴。
墓の下に誰もいやしないってわかってても、ありがとう。
あの世とこの世、薄皮一枚よりもっと薄い境界、その境の壁に
生きてる者が寄り添うために、墓石一つ、目印つけた。

目印要らないからって常日頃うさこは言ってる。だけど遠い場所に
ある父と同じ石の下に、たぶん誰かが骨を運ぶのだろうなあ。
申し訳ない。
その時は、運んでくれる人のために、薄皮一枚を通して祈ろう。
ありがとう、ありがとう、そう祈ろう。
理屈でも知ったことでもなく、心からの気持ち、信の気持ちだ。
だって、死んでからはもう嘘はつかないからさ。
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気分転換の友

2010-09-06 22:51:44 | Weblog
首痛みのせいもあって睡眠不足がさらに不足になってまして
今日は休みぞーっと朝から思って、過ごしました。
思うだけで、少し体が緩むのであります。(首は治りました。)
電話やらメールやらファックスやらで、結局は休みという事も
できないのですが、それでも、いつもよりぷーちゃんと遊びました!
以下、ケータイ画像です。
待ち伏せしてるんですねー、こうやってるとこに近づいて相棒を取ろうと
すると、ガバッと起きて銜えて取ろうとするんですな。
もうわかってるもんね、だから素通り、はっはっはっは。
なんだよ~、遊べよ~とシッポでパタンパタンやってます。
けっこう床の音、大きくて、効果絶大です。うるさいので誘いにのります。

わたし、遊んでもらいたい顔してたんでしょうか‥。
電話でシリアスな話してるときも、ずっとそばで寝そべってて、終わると
パタンパタンとしてくれます。
おかげで、電話の中身を引きずらなくて済む。
これが一人だったりニンゲンと一緒だったりならこうはいかない。
電話って、相手の波動がそのまま残って頭の中で渦巻いてしまって‥。

きっと、お見通しなんだな。そばにぷーちゃんがいるからすぐにチェンジ!
そんでもって、ガムくれよと熱視線をバシッと送ってくるのも忘れないな。
だって今日、あんた何個食べてんの?
ちゃんと数えてるんだからダメダメ。そうすると、デカイ前脚で膝をコンコンと
ノックします。けっこうしつこくて、熱心であります。
笑えるので、しかたないな~と折れてしまいます。

ニンゲンとも笑える話でもっておつきあいできると、よいですなあ。
愛とガムと交換であります。
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