想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

円の相、感性‥ですな

2008-05-31 09:27:44 | Weblog
           雨がやんだときに、石の穴に溜まった水に
         森の樹々が映っていました。
        石は、雨に打たれ 濡れ
        そして陽に照って 乾き
        今日はまた 濡れて
         だんだんと丸く 滑らかな肌になり‥



        人のこころも
        長い時間を過ごすうちに 円相へ
        □より○へと 易(かわ)っていく はずなんだよね~

    PS:先日、仕事で会った人は「□より○」というテーマを
      示したレジメにちょっと視線を移しつつ
      「まあ、□より○ってありますけど、私は資格が必要だと
       常々言っております」と言った。
      さらりさらりと受け流して、仕事は終えた。

      丸くなったね~、うさこちゃーん、と表に出てから
      独り笑ったのであります。
       「お金持ちでも浅知恵はイケメンに負けるよ! オッサン。」とは
        言えないし~。
      その昔(といえども数年前まで)、ツッコミの○○と言われたわたくし
      としては雨に打たれて学んできたわけで、なーんちゃって。

      冗談はさておき、「一円相」は見たことがある人は多いと思います。
      禅寺や掛け軸などで。
      円は活字になると○で閉じていますが、筆で描けばきっちりとつながっては
      いないし、正確な○ではない、閉じるか閉じないかくらいですね。
      これを何に見立てるかはそれぞれの自由です。
      月だったり、太陽だったり、はたまた今日のわたくしのように柔らかな心
      をいわんとしたり、または昨日のわたくしのように人と人とをつなぐ縁を
      表したり、その自在さは円ならでは。
      柔らかな感性、そして石の堅さの対称が、自然のなかで同時に存在しうる
      ことに、うううううううむと唸る今日このごろであります。

       では、雨だけど、よい週末になりますように。
          
    

      
        
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緑、一色なので

2008-05-30 00:01:29 | Weblog

    
    バラの他にも‥ってことで、だったらハーブがいいと思いつき
    今年、ジャーマンカモミールの苗を少し植えたら、よく育った。
    背丈40センチくらいになっている。
    でも少なくてちょっと寂しい。
    これは草原で風になびくくらいたくさん植えなきゃ絵にならないようだ。
    適応するかどうかは来年までわからないけど、一応合格、増殖計画へ。

    その脇には、昨年咲いたチェリーセージがあるんだけど‥。
    雪にやられたのか新芽がまだ出ない、そこだけ枯れ木状態である。
    あの可憐な赤い花が咲けば秋までずっとみられるのになあ、ゆらゆら風に吹かれて。

    咲いてよお、と熱い視線を送りながら天然肥料を施す。
    が、返事がない。
    無口である。ごめんね、って感じ、雪のせいだわ。



    緑がだんだん濃くなってくる。
    一面、緑、緑一色になる。

    

     
    

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バラ以外の花

2008-05-29 08:53:30 | Weblog
バラは2~3週のあいだに順々に咲く。
    短い、ほんの一瞬にも思える。
    花屋に売っているバラにはない強くまとわりつくような薫りと
    これが本当の色! というような鮮やかさ。
     花が終わっても、せっせせっせと手入れを続け、見守るのである。
     魅惑的な女人の虜になった男の気持ち、
     尽す、尽くす、花を咲かせたいばかりに、薫りに触れたいばかりに。
     一年のうちのほんの短い間、一緒に過ごすために誠心誠意!
     ほとんど呪縛である。

    で、他にも花を植えようという気になる。
    できるだけ手のかからない、でもいつも咲いててくれる花。
    愛嬌はあったほうがいいけど、虫なんかあまりつかない丈夫なのがいい。
    空気のような生活者タイプの花ですな。
    バラは恋愛至上主義、こっちはう~ん、そんなに激しくなくていいから
    そばにいてよね、の感じ。


            ↑ 「ふき」は植えなくてもあるよ

    そういうことを考えて、あちこちで苗を物色する。
    植えてみるが、なかなか、バラよりなついてくれない、というか
    強い風と激しい雨の降りつづくこの土地に根づいてくれる花は
    なかなか見当たらない。
     「こんなとこ、いられないわよ」と生活者タイプの花に拒否される。
     「アタシを好きなら咲いてあげる」とはいかなかった。

      これはほんとに丈夫だよ、と知り合いになった土地の人に
     いただいた花は、咲くには咲いたが‥、なんかここに似合わないなあ。

    うさこが、もしも、うさおだったとしたら、
    破滅的恋愛で身を滅ぼしている可能性は大である。
    男の人も、結婚生活に向かないタイプって、やっぱりいるよなあ‥
    (今夜も大好きな妄想を‥箸休め的にである。ちゃんと仕事はしている、ちゃんと‥) 

PS:バラの写真は昨年のものです。今年はまだなので。
 ふるごとじゅくにもアップしたのでどうぞご覧下さい。
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笑う門

2008-05-28 08:15:28 | Weblog
   門、じゃなくてここは中央なんだけど。
   足下を見よ! なのだ。

   芽が出ているだろ?
   あははははっは、セキレイ、野バト、それから
   なにかわかんない野鳥の類はタネはほぼ喰い尽くしたのに
   まだやってくるので、攻防戦は続いている。

   親分がここで笑っているから、よけいにやってくる。

   シマコが縁側に「ごはんどきですから」とやってくると
   さーっと羽ばたく音がする。
   その逃げる音で、ああまたいたの?と人は気づいて舌打ちをする。
      (鳥は近場にちょっと避難しただけだし)

   笑っている場合、でしょうか?
   いや、親分は笑う門で、いいです。
   できるもんなら、ずーっとそうしていてください。

   このごろ、よく笑う。長い親分歴のなかで、三度目だ。
   笑ってばかりの2歳、意外に弾けてた7歳、何度か絶好調的日々があったが
   ひさびさの到来とみた。なんだ、なんだ、どうした?
    (そもそもラブラドール種族は根が明るいのではあるけれども、
     あえていうほどに満点笑顔を振りまいているのである)
   いつぞやの憂鬱顔はどこへ行った? あまり笑うと減るよ(せこい、うさこ‥)


   


   このまま余生を笑って過ごすつもりなのか、親分の犬生。
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1、2、突進!(&チャーリー‥)

2008-05-27 06:29:20 | 
   カメラを構えても、ムダである。
   1、2、3で突進してくるベイビー、フレームに入らないってば。

   すりすりして、くるりと回る。しっぽをブンブンしながら。
   いいさ、はみ出ても。
   その瞳にみつめられると、がぜん元気になるから。
   さっきまでの憂いが、晴れていくから。
   胸の奥底にあった固いものが、融けていくから。




      
   君はさしずめ神話に出てくる天人熊命、
   いや犬だから天人犬命だな。
   人熊は天高原の軍旗に化身して勇ましい役割だけど、ベイビーは
   ピタッと寄り添う護衛ってとこだな。

   犬と人の物語がたくさんある。
   「チャーリーとの旅」by ジョン・スタインベック、今読んでる最中。
   アメリカ大陸を愛犬チャーリーと共に横断往復する旅だからゆっくり、
   急がずに読んでいる。
   ロシナンテ号に憧れるなあ。
 
   そういえば、スタインベックもチャーリーに話しかけるときに
   ○○でちゅよ~、の赤ちゃん言葉を使わない。
   犬に失礼だから。
   わたくしも訓練士に
   「犬を赤ちゃん扱いしないでください、人が勝手にそう思うだけ」
   対等なのだと教わり、なるほどと思ったものだった。

   ベイビーはベイビーという愛称なので赤ちゃんではない、今や還暦も過ぎた
   お爺さん。大先輩なのである。。
   なんとなくこっちを見下したようなカンロクある態度もたまに見受ける。
   でちゅよ~とは決して言えないし、言う気にもならない。
   もっとも、互いに若々しかった頃から甘えていたのは
   どちらかといえば、わたくしの方であるな。
   
   スタインベックは主張している。
   チャーリーは人ではない。犬、それも一流の犬だ。
   彼(チャーリー)はそのことをよく解っているのだから、
   なまじ品性の貧しい人になど触れてほしくはないのだ、と。
     言うねえ~! スタインベック親父! カックイイイ! ←うさこの感想
   スタインベックがこういうふうに言うのには理由があって、
   それは読めばわかる。その理由とやらは、小説の冒頭から
   インクが滲むように溢れてて、それがためにこの長いアメリカ小説を
   読む気になった、というわけです。(ふだんはあまり読まない類だが)

   昨晩は雨のオレゴン州をようやく切り抜けたあたり、まだまだ先があるので
   読了したらまた書きます。
      
   
   


   




   
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ビル街の三匹

2008-05-26 01:33:03 | Weblog
 さて、葉っぱの向こうに何が見えるでしょうか?
  心理テストではありませんよー。




 先週のある日、乃木坂の国立新美術館裏手の道で三匹の猫と出会った。
 超高層ビル街と化しつつあるこのあたり、土がまったくないんだけど。
 わずかな緑の陰で憩っていました。
 めざとく携帯カメラをもって、ニャーちゃんと、猫なで声で呼びかけて近づくうさこ。

 すると、猫は植え込みの中へ隠れるんだもの。
 後ろ足のストレッチをやりながら。
 猫のプライドなのか、決して慌てたりはしない、でも隠れる。
 でも見えているよ。
 イマイチの迷彩色で、半端ぶりが猫らしくて愛らしいなあ。



  その隣にいたのが↑、眼とばし、するどいねえ。
  


  この子は至近1メートルが限界点のようで、ちょっと構えているけど
  眼はお愛想を残している。
  東京にいるとちょっと疲れ気味で、この日は特に歩き疲れていたとき
  お三方に出会って和みましたよ。
  ありがとさんでした。

 PS:森のシマコさん、妊婦さん歩きになってます。もうじきです。
   無事に産んでくれ! と願いつつガシガシ食べてさっさと去る背中を
   見送るこのごろです。
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教えてくださって、ありがとう

2008-05-25 13:34:53 | Weblog
               ↑ 愛しのハンサムボーイ

  先日、君の名は?と書いた記事にコメントを寄せてくださった方が
 いまして、ほんにありがたいことでござるよ。

 「さて、花のことですが、ブラシのような白い花はウワミズサクラ・
  斜め15度下のはスミレちゃんではなくハルリンドウorフデリンドウ
  エイザンスミレかな~と思っておられるのは、アズマイチゲでございましょう。」
ということでありました!
 木はしゃべらないけど、君に代わって『ウワミズサクラだよ』と答えて
 くれた人がいるんだよ。

 世の中、こうやってなにかしらの縁でつながっていくのであるなあ、
 ネット上のリンクであるけれどブログの輪に感謝です。

 (コメント欄をオープン状態にしていないのはスパムメールを消去する
  のが煩わしいからなのです。ネットの海は世間と同じくらいに善悪混合で
  臆病で神経質なウサギとしては、認可制を使わせてもらってます。
  そうすると、コメントされる方にとっては必ずしもいい気持ちではないことも
  たしかなことで、それでも書き込んでくださるのは、縁あってのことだと思うのです)

 今日は雨あがりの森だけれど、なにかしら久しぶりに、うさことしては
 ほんとにひさしぶりに、さみしい気持ちだったので、なおさらのこと
 このおたよりがうれしく思えました。

 この控えめなお方の名は伏せておきましょう。
 山羊の毛を紡いでいるそうで、「糸を紡ぐ‥」という記事も、
 うさこの無知っぷりを笑わずに読んでくださって‥、
 やまざるさんも巨匠と呼ばせていただいてますけど
 そこからやってこられたそうです。
 見ず知らずの方ではありますが、教わるのは、とてもうれしい。
 発見と同じくらいに、喜びでありますなあ。
 
 ありがとうございました。



やまざるさんは、山奥で家族の楽園創ってますの人、
 馬や羊、ウサギ、動物をたくさん飼って、もちろん犬もいて、
 大変なんだけど、嬉々、淡々と綴られている日記です。
 山で暮らす目的はそれぞれだと思いますが
 共感するところ多々あり、読ませてもらっているのです。
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慣れるか慣れないか

2008-05-24 17:55:46 | Weblog
  雨のせいもあってちょっと小川の水が増え、底が洗われてきれいになった。
  川に入って、芝の上でごろんごろんとする。
  芝の芽がまだらなので、土がついて泥んこになった。

  花木は次々に新しく咲くので、少しくらい散っても
  まだお盛んである。



  先週の大雨で削られて、道はふたたびデコボコになった。
  自然の摂理にしたがって、高きから低きへ水は流れ、来月は修復予定である。
  形あるものは壊れるのが常だ。
  う~ん、まあ、予定外だけど、想定内ではある。
  十数年過ごして、慣れたもの(?)

  壊れてもいないものを掘削機ではがして「舗装」しなおす工事とは違う。
  そういうことに慣れているのは役所の担当者と業者か。
  新しい道路を造りたがるし。
  

  あと何年だろう、そんなことできるのは。目先の利益、永遠じゃないから。
  道脇は雑草に被われ、ヒビ割れた道路がそこかしこに見られるように
  なる、この国の未来の風景。すでに地方では始まっているなあ。

  生きることは慣れるということである、なーんて言わないね、うさこは。

  山の暮らしに「慣れた」のは、たぶん連続性の惰性は通用しない場所だから。
  毎日が、その日かぎりだと感じる。
  写真を撮るたびに、見慣れた場所なのに新しく見える。

  またかあ、と思われるかもしれない庭や森の写真だけど
  わたくしには、新しいのです。
      
  
 
  

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君の名は?

2008-05-22 15:28:53 | 
  森は、この季節、いつにもまして刻々と表情を変える。

  花をつけた木をみつけ、へ~っと驚く。
  アホなうさこが、うかつにも(アホの辞書に迂闊という言葉はないので平常だが)
  ただの木だと思って通り過ぎようとして、ほぼ下方十五度の角度の視線を上方へ
  たまたま上げる。するとそこに、ホアホアとした花が。
  「君の名まえは?」

  花が咲くと名が気になる。花が咲いて実をつけるとなると、実を採って名を調べる。
  アホになりきれない証拠である。

  ふたたび斜め十五度下へ視線が戻ると、そこには幼い木が。



   これはわかるぞ。
    どんぐりだ~! 写真の中央あたりに目を凝らすと細いひょろっとした幹があります。

   伐っても伐っても、こうやって実生のどんぐりが生えてくるから、ここは熊天国である。
  いや、どんぐり=クマ というのは昨今の森のクマ事情、マスコミ情報から得たマメ知識だが。

  実はそうでもなくて、どんぐり=クマのおやつ程度なんだってことは‥
   最近、「クマのすむ山」で知って驚いた。
  この本は、完全にジャケ買いだった。誰だってそうだろう的な衝撃の表紙写真!
   
  


  さらに斜め下十五度に目をやると、これはたぶん、すみれちゃんかなあ。
   (なんでもすみれちゃんと呼んでいるうさこ。

  アップでとっているけど、とても小さな花です。
  りんどうのミニチュアのようにも見える。
  初めてみつけたときは、そっとすくいあげて花壇へ移したりしたけど
  今や想風亭の周辺にはたくさんあることが判明。
  移植して増えればいいな、なんてなんだかちょっと誤ったことをしてしまった。
   花壇でもまあなんとなく生きてはいるけど、好きずきに咲いてる方が元気に見える。
 
  人里離れれば離れるほど如実に現れる、うさこの俗っぽさ。
  人がいないかわりに、己を映す鏡は森全体である。 
  草衣のココロは歩いていても落ちてないよ、と自問自答する。
  森に溶け込み、ほぼクマのミニチュアにも見える親分は本日は足休めしてます。 

  追記:すみれちゃんの本当の名は、ハルリンドウorコケリンドウorフデリンドウだと猫舌さんにご指摘いただきました(6/4)。
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ボクの愛しかた

2008-05-21 10:54:28 | Weblog
  いつも笑顔のベイビーも、’03~4年頃にはすっかりやつれ顔だった。
   あの頃、満面の笑みを忘れていたなあ。

 ベイビー、寂しくないか?とか言って、
 おっかあが恋人(候補)を連れてきたのだった。
 (ベイビーは優良血統の犬だから繁殖したいとかいう意味ではなく
  ごく単純に。だから犬種はシェパードで)
 
 この娘っこは、警察犬訓練所の檻のなかで一頭だけ売れ残っていた。
 かわいこちゃんだったけど、オーナーの訓練士にとっては見込み薄の子犬。
 くるくると動く瞳にひと目惚れの、すっかり呪縛された知人が十万円で譲り受けた。
 ほんと、シェパードの子供ってキツネの子みたいで(絵本の子ギツネだけど)可愛かった。

 で、やつれ顔なのは、相性がいまいちだからである。
 このチェリーちゃんを愛せなかったのである。
 うしろをくっついてくるのを、ふりほどくこともできなかったのである。
  ご飯をとられても、 シッポをしつこく噛みついても
  文句もいわず、耐えていたのである。
 愛、なのか?
 
  いや、結局、やつれるばかりで一気に老けた。

  前にも書いたが、ベイビーはメンクイだ。しかし、体育会系女子にはちょっと引いてしまう。

 ユーウツさ、めいっぱいの顔で今より4、5歳若いとはとても思えない。
 こういうカップル、人間にもいるよなあ。



 愛にもいろいろある。
 ベイビーはプラトニック・ラブである。
 だから、おっかあがそばにいればいい。
    悪かったね、ベイビー、おっかあは反省している。
 ベイビーの訓練士が言っていたことを思い出したから。
  「犬が発情するからって、それは人間のそれとは違います。
   愛される環境が必要なだけです、あなたが十分に愛すればいいんです
   そうすれば、あなたを愛します、一生一途にそうなんですよ。
   それと繁殖は別の話だから、一人っ子でいいと思います。大事にして」
  
 彼女が去ってからというものの、こーんな感じで男子健在、
 笑顔復活なのだ。たのしー毎日である。



 人買いは犯罪である。犬も買われる。
 (買うというのが聞こえが悪いのか譲る、譲り渡すというね、たいていは。)
 売買するだけじゃないんですよ、ちゃんと愛していただくんですよ、ってことだ。
 普通の人が、詭弁をごく自然に使って話す。もちろん詭弁だなどとは思わずに。
 変な話し方、政治家や学者だけの性癖とは限らなくなった、ややこしい時代であるなあ。
 こころして話そう、わたくしとて同じである。

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満面の笑顔

2008-05-20 01:25:28 | Weblog

 森へ戻ってきた。到着してすぐの親分、そんなに嬉しいかい。

 さっそく留守の間の様子、異変はないかチェックして歩く。

 

 数十分後、はしゃぎすぎて、へろへろの様子。
 えーっと闖入者なし、シマコさんは近くにいるみたいですという態度。
 異常があれば、態度で示す親分。 
  (ここ想風亭玄関には警察犬協会のプレートが!)

 くんくん親分は、だてにクンクンしてません。
  おいらの父ちゃんは、くんくん大会のチャンピョンだったわけで、
 おいらも血に伏して笑ってまーす。(正しくは血に伏して泣く、だろ)



 えーっと、母ちゃんへ報告。芝のタネ、食べられてるね、芽、少なし。
 その件は、アルファ親分へ伝えておきます、っていうかすでにわかっとるよ。
 たぶん‥

 



 
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見上げてみたら

2008-05-19 12:10:14 | Weblog

 タンポポ軍団とのたたかいに疲れたうさこは、背筋を伸ばしたく
 小川のそばの、例のベンチに仰向けになる。
 空と、木が見える。

春先に比べるとずいぶんと若葉が茂り、空が、狭くなった。
木漏れ日がちょうどいい案配である。



ヤマボウシの花もそろそろ準備中のようである。



花がさけば、赤い実がつく。
甘くて、なかなかうまい。
落ちてくるのを、ここで待つ。
くんくん親分は、待つのが上手である。
待ちながら、けっこういろいろ楽しんでいるから。

ps:ふるごとじゅく、更新しました。
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草にすわる 其の二

2008-05-18 11:22:05 | Weblog
 べつに
 することもないし
 悲しいこともなかったので
 ひとりでにこにこしていた
        (「ある時」八木重吉)

ある日の八木重吉のこころ。



またある日には、
「こうして、窓のところでものを考えていると
ひとつも考えはまとまらないけれど
自分のからだが
新しいもののようにおもえてきてうれしい」
              (「朝」同上)

 感性が研ぎすまされて、心で息をしている人の言葉だ。
病は人を不自由にするが、
心と身体の主客の立場を、まっとうに立て直す時を得る。
けれども長く癒えない身体にあって、
あたらしいもののように思うからだとは、
身体ではなく、人の全体ということではなかろうか。

 今日も草にすわっているベイビー、ふわふわの、ライオンの綿毛が
くっついてるよ。
君に教わったのは、うまれつき心身一体型の犬の道ですなあ。

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草にすわる 其の一

2008-05-17 12:02:47 | Weblog
「わたしのまちがいだった
 わたしの まちがいだった 
 こうして 草にすわれば それがよくわかる」
八木重吉の詩を覚えているかい、ベイビー。


 心がすさむときは、じっとする。
じっとしても、あらぶれるときは
眼をぎゅっとつむる。

 心に浮かぶ、もろもろに雨をふらし
驟雨のなかで、消してしまおうとする。

 眼を開けて、すさんだままの心を
とりだして、川へ捨てる。

 木の枝を切り落とすように、
心を格す(ただす)という教えは、
いかにも中国の乾いた大地から生まれたイメージだ。

漢字のままに、切り落とすことなどできない
大和に生まれた心よ、川へ流れていけ。

水にさらされれば、ふたたび誰かに拾われ
そして、生まれたてのような淡い色を
取り戻せるだろうから。



君は草に座って、ポーズと言われているすきに、
「草を食べる、そうすればよくわかる」
なんだって?

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のらねこ、から

2008-05-16 11:10:23 | 

中川こうじさんの、のらねこの写真集

14日の朝日新聞の紹介記事で知った。
四川省の大地震で埋め尽くされた紙面の端っこに
あった。今朝、気づいて「オッ!」

戦場カメラマンが一方で近所ののらねこに
毎朝餌をやり、写真を撮ったという。
のらねこが平安に暮らせる社会、それもまた
反戦平和運動ではないか、と記事にあった。

そのとおりである、まったく。
だから、政治家よりも、市井で暮らす人々はしごく
あたりまえに、平和を願い祈って日々を送っているのである。

猫のいる場所
癒されている人、少なくないだろう?

スローガンが嫌いになったのは、二十代半ばだった。
政党政治に未来を見出せなくなって、声高に叫ぶ人より
深く内省し、沈潜している哲学の人を求めた。



ここでは今日も、静かな朝。
鳥が囀り、目下子育て真っ最中か?
それとも、ようやくヒナが孵るのか?

願えば出会うものである。
うふふふふふ…

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