想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

石ラブ

2012-05-30 09:51:10 | Weblog
この日も集めた汚染土を埋める大穴を掘ってもらいました。
カメ先生愛用ユンボでいざ出陣。
ヤヤヤ、と穴の底にあるものに目を止められている様子、
ユンボの先が当たるとバチッと火花が散り、煙がたち昇り‥。
すごく堅い大岩があるようです。







重さ何トンかわからないが、引っ張り出し成功。
なかなか大変だった。なせば成るを久々に体験(見てただけ)
して爽快でありました。

うさこは石フェチなのであります。これもカメの影響でなんちゃって
石ラブくらいかもしれませんが。
この大岩は珪岩、石英片岩のようです、ホホホただの山砂の固まり
じゃないのよ~。ガラスや陶器の原料、あるいは半導体の材料にも化け
る珪石ですね。砕かないからそっと置いておくだけですけど中に入って
いるものを想像し、昔むかし噴火したときに降ってきた(火成岩)かな
とか思って、そばで茶でも飲みながら愛でる‥
いや拝んだり、さすったりはしないですよ‥巨石信仰‥しないしない。

第一、地中深くあったからセシウムが全然ついていないのよ~。
なでなでしても大丈夫なのであります。
咲いている山野草はただ見るだけですけど。
触れたり摘んだりはしないほうがいいですね。
少なくともこの数年、セシウム諸々その他核種ががもっと沈んで流れて
あるいは消えていくまでは。(セシウム137は30年以上だかんね、100年、
万年かかるのもあるよ、福島から降った核物質諸々)

前のようには遊べなくなった森で、汚されていない自然に出会うと
歓喜が湧いてきます。
「花妙し 桜の愛で 如此愛でば 早くは愛でず 我が愛づる子ら」
はなぐわし さくらのめで ことめでば
はやくはめでず わがめづるこら (允恭天皇/日本書紀)

これまで愛さなかったからではなくて、喪失の悲しみのそばで今新たに
発見する美しさ、気づくことが多いのです。
深く傷ついたままでいると思考停止に陥ります。
人はよく考えることをしないと生きる力が少しずつ殺がれていきます。
愛せるものをみつけたら、これまで以上に大いに喜ぶ、そして大事に
しようと思う日々ですね。

そうそう、最近手に入れたのはゼオライト粉末。飲用水を浄化するため
のものです、試しています。ここの井戸水は深いので今のところ汚染は
ありませんが。沢水を引いている方に勧められるかどうかを実験中です。






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元気出してください、と。

2012-05-28 14:04:27 | Weblog
ありがとう、いいそびれてしまった。
元気出してください、そう言った人が自転車で走り去る背中を
見送りながら、ほわっと元気に包まれた午後。



この頃、あまりみかけなかったけど‥どうしてましたと聞かれ
「沈んでたんです」「‥‥」「放射能が嫌で‥」
「元気出してください」これだけの短いやりとり。

そんなに親しくもなく、一緒に仕事をしたわけでもない。
知っているだけの関係なのだが、そういう話ができる人がいる。
しあわせであります。



日曜日は宝物をめっけました。
宝物をよっこらしょと掘り上げ、日暮れまで土集めでした。
汚れた土は宝物が出てきた大穴へ放り込み、きれいな土で蓋を
してしまいました。
きれいな土があるだけ、しあわせなことだなと思ったのでした。

庭先が狭くて「剥がした地面の土を仮置きするところがないので
家の周囲の土を剥がして放射線量を下げる方法の除染をする事が
できないのです」と言っていた郡山の住民の方は今もまだそのまま
なのだろう。
福島で学生がとったアンケート「今ふくしまでしてもらいたいこと」
ダントツ1位は除染でした。@tadagonpapa
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用心に越したことはないと

2012-05-25 00:57:14 | Weblog
 何見てる? 何思っている? んにゃ、瞑想しとっとよ‥。
2009年5月の写真です。ちょっと前のことなのに懐かしい頃に。
ほんとにしあわせだったなと思います。



土の入れ替えをしている途中なのですが、この夏、もう一度
ベイビーが庭で寝そべっていられるようにしたいものです。
たくさん積んだ丸太は薪用ではなく垣根代わりだったのですが
近くの別荘にいる知人が薪ストーブを使っていて、いつも
欲しそうに眺めていたものです。いつでも持っていっていいと
言ってあげられなくなりました‥外に置いたものは危ないので。



計測して未検出でした、でも用心に越したことはないのです。
今も降っているのだから(なにせメルトダウンだから)どうも
信用しかねます、なにもかも。
少しくらいならだいじょうぶ‥というのは東電とくっついた
官僚や政治家の嘘ですから。放射能に少しなら‥はありません。

で、用心に越したことはないわけですと言ってください。
瓦礫は放射能汚染されていますから試験焼却すれば放射能が
まき散らされます。やってからでは遅いので試験とは言えない
のですね、これこそ用心してやってはならないという選択を。
本日も下記へ電話をよろしく。
北九州市漁協 093-751-3954
同農業協同組合 093-631-2366  fax 093-622-4589


漁協も農協も市民の反応を見てから態度を決めるなんて
アホみたいなことを言ってます。
九州は平和ボケだと思われるかもしれませんが、元々
北九州は利権利権利権で暴力的なまでに利権を握っている
者に支配されてきた封建的な土地柄です。
大騒ぎしないと彼らの欲望を止めることはできませんね。

電話やファックスはどこからでもできるし、1分もかかりません。
1分何十円でしょうか? それがたくさん積み重なれば
大きな声になります。それが漁協や農協が瓦礫受入に反対を
表明する後押しになるでしょう。

受入しないことを表明する団体や自治体が増えていけば
それが世論をさらに動かしていきます。
世論が盛り上がることがとても大切で、日本ではアラブの春の
ような革命は期待したいけれども起き得ないのが現実です。
世論が高まれば大声を出す議員が増えてくる、大手メディアも
重い腰をあげて、真実に目を向けるようになる。
そういうことではないでしょうか。
電話かけましょう。何もしないで見ている時代は終わりました。

追記、電話番号修正しました。







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腫瘍摘出手術から一年経ち‥と

2012-05-21 13:33:15 | Weblog
(ヘッドロック中‥効いてない‥)

おかげさまで転移はなく、一年が経過しました。
昨年の手術は予定していた3月に大地震が起きて5月半ばに
入院が延びたことや、初めてベイビーのいない日を送ることで
当人よりもうさこの方が病気になりそうに参っていたものです。
以前にも増してヒッツキ虫になっているベイビーに振り回され
寝不足気味の日々ですが、悪性腫瘍ではなかったことがやっと
信じられるようになりました。

検査結果が手術前は悪性と告げられ、術後の検査では炎症性変異
でした。検査機関は別々です。
良性だけど、オールハート動物病院の池田先生は今日まで注意深く
診てきて下さいました。
手術前、癌が消えますようにとカメにお願いしまくっていたことは
病院で大きな声で言うことではないので黙っていたのですが、
今こうして季節が巡ってまた一つ歳を重ねたベイビーがそばにいて
くれることはとてもうれしいことです。

昨日は仕事の合間を縫ってIWJ主宰の講座「情報開示請求の方法」を
聴講。ヤメ記者弁護士、日隅一雄さんが講師でした。
日隅さんは昨年の五月に胆嚢癌末期を宣告され加療中のお体なのですが、
頭脳明晰、仏顔でいらっしゃるので驚きつつ、さすがだなあと思いました。
志の高さが人を生かすというお手本を示していただきました。
短い講義の間にぎゅっとエキスが詰まっていて受講料2000円は申し訳
ないような貴重なお話でした。

情報開示請求の方法は簡単なのですが、それをどう行使するか、
何のために使うのか、実際にはどういう対応をされ、また返すか、
そういう話の中で、読み取る力が(リテラシー)がここでも試され
るのだということです。
日隅さんの後、志岐武彦氏(ブログ「一市民が斬る」)が検察審議会
に20回以上通った体験談を、墨黒でつぶされた開示文書を示しながら
話されました。
お二方とも「考える力」「読み取る力、そして直感に似た嗅覚を以て
対象に向かっていらっしゃるのが共通点でありました。
感情論はダメ、理由をつきつめよ、と言われたのも納得でした。
これはいつもカメに言われていることだかんね。

会場からの質問者にも、その部分が単にハウツーで真似できないもの
であることがおそらく伝わったのではないかと思います。
講座で学びとるのは方法というよりも、人の生き様でもあるので
珍しく有意義、良質な時間を過ごさせていただき、
主催者IWJ岩上安身氏に感謝です。

とはいえ、まだIWJサポーターではないわたくし、いいとこ取りだけ
では失礼かつ申し訳ないので一口申し込むとして…。
命をおびやかす危険と隣り合わせにいるのが日常になってしまった今日、
真実とはほど遠い報道がたれ流される日々にあって、既存メディアや
退廃した官僚政治、成金背筋いや拝金主義者に抵抗しなくては明日は
我が身、いつ泣くハメになるやもしれません。
いやもう泣かされてはいるのですが、泣きっ面にハチではたまらないのです。

石ころの一つ、砂の一粒も寄り集まれば世の中は変わるのではないかと
思っています。つぶつぶでジャリジャリ言わせて行きましょう。
砂の一粒~、吹き飛ばされても消えないよ~結晶なのよ~
あなたもわたしも~ふたりでふたつぶ~ふたつでひとつ~。
(作詞うさこ)
みつぶタイプよつぶタイプなど皆様各自ご都合でどんとお創り下さい。








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放射能の風に包まれる

2012-05-20 00:52:41 | Weblog
北九州市が震災瓦礫広域処理を受入れるということであるよ。
北橋市長がノリノリ、新日鉄が焼却炉を新設する話も。
今夜宮城石巻市からトラック(25t?)22台の隊列が出発し、
来週23日には説明会もないまま焼却試験が始まるという。
反対住民は市庁舎を囲めとtwt しているが、はたして何万人
もの人間の鎖ができるだろうか。
どうか駆けつけてくれないかと友人へ電話したが、大丈夫だよ
と慰められた。オレたちが守るよ、帰ってこれるようにと。
言葉は嬉しかったが、ほんとうに守れるのか‥闘えるのか‥

遠く離れた故郷九州、もう帰省することはめったにないのだが、
それでも空港が近づくと、地上の濃い緑や河、海岸線が光り
輝いてみえる。美しいと改めて思う。

福島も美しいところだ。
森と湖があって、あいかわらず美しい景色が広がるが、
そこに吹く風は放射能を運ぶ死の使いになってしまった。
なったんじゃなくて、してしまったのだ、人間が。
そこに暮らす者の心に降りかかる、目には見えない不安と
恐怖は日に日に積もり、重い澱となって蝕んでいる。
気持ちを奮い立たせるのに、放射能なんざ、なんの怖くね、
と言ったりする年寄りたちの予定調和を激しく裏切られた老後
気の毒でならない。

だから、体験している者にしかわからないのかもしれない。
東京では知的な人々、感性豊かな人々が見えない敵を恐れ
被曝をさける工夫をしている。その人々の恐れと、福島を
体験している人の恐れとは少し違うのではないかと思うのだ。

けれど、想像力をたくましくして、耳を傾けてほしい。
住むところを追われるように離れ、飢え震えた夜を過ごした大勢が
いまだ我が家へ帰れないでいる。警戒区域解除されても帰れない。
その現実を知っていれば、想像してほしい。
その人の気持ちを察して、我が身に置き換えるならば、どうか。
ローンを組んで新築した家に一度も住まなかった家族や
馬が心配で汚染された山裾の家を離れないでいる高齢の夫婦のこと。
除染が進まず(やりようもなく金だけだぶついている)町で遊ぶ
子どもたちの親のやるせなさ。避難する金なく事情があって留まって
いるものを、愚か、ひとでなしと後ろ指さされても聞き流している。

だいじょうぶ、少しくらい、福島ほどひどくないと思えるだろうか。
少しくらいなんて単位は放射能に限ってはないのだ。
今降り続き吹き続けている放射能の風は、野ざらしのガレキを汚し、
汚れたものを少しくらい、復興のお手伝いを、と美談で飾り偽り、
美しいふるさとを人々から奪おうとしている。
ふるさとを奪うというのは、暮らしを破壊するということだ。

見えない、今は。
けれど、見えたときには恐れとなって顕われる。
死と苦痛、別れ、喪失、そういうものに対峙させられ、
拳をふるわせて泣いても、その時は遅い。

他人事とおもわずに、ひとつづきのこの小さな島国と島々と海を
慈しんではもらえないだろうか。
わたしは人一倍心配性なのではあるけれど、
わたし以上に勇気も力もある人さえ、どうにもならないのが
放射能なのだから。
ガレキが運ばれる先へ、反対の声を一言届けてくれないだろうか。
093-582-2187 FAX:093-582-2196
(北九州市環境局循環社会推進部循環社会推進課)

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山桜終わりましたねえ

2012-05-19 12:17:34 | Weblog
今年も連休終わり頃に満開で、その時期は東京で働いていて
戻ってきたら花びら舞い散る森‥になっていました。
でも高く伸びたてっぺんの方に花がたくさんついている木も
あって、その下で首が痛くなるくらい、あぐんって感じで
眺めました。
その時は放射能のことをしばし、忘れていましたから、桜、
すごいな、さくら。
こころのなかに、ぽっかりと異空間を作ってくれるのですね。

いい歳になって、いまだかつて樹の下で酒盛りだのごちそう
食べての宴を張ったりしたことはなく、ないことが気持ちよく
このまま行きたいやと思っていたのですが、もはや日本の
東の方でそんなことができる場所は少ないでしょう。
地面の上に座ったり寝ころんだりできるところはどのくらい
あるのかな。
あれば幸い、ほんとうに幸いです。

武田教授のレポートで、年間1msvという基準が安全か否か
という話があります。自然界の放射能はもともとそのくらい、
もしくはもっとあったのだからだいじょうぶという説について
疑問をなげかけていらっしゃいます。

わたしのような者を過敏とか神経質と思う人もいるでしょう、
しかしチェルノブイリの経験でもデータは完璧ではなく、
いまだ研究の途上にあった原子核の性質についてほぼ解らない
ことだらけの現状で、フクシマのもたらした災厄はいくら
怖れても足りないようなことなのではないか、そう思います。
平均値や基準値などあてにはなりません。
以前なかったものが降り落ちて、それは確実に人体人命に有害
であるのですからだいじょうぶと考えるほうがどうかしています。

熱心に食品の放射性物質を検査してレポートしている人がいる
一方で、いたずらに不安をあおるななどと言い検査を制限しよう
とする役所の姿勢は嘆かわしく、同じ人であるものをどうして
こんなに違うのだろうかといまさらながらのことを思ってしまいます。
我が身可愛い、我が身大事、身内大事の意識が働いて狂った判断を
してしまう、あちこちで見る情景です。

すべてがいまさらながら、なのではあります。
そもそも、だからこうなったのでありますからね。
嗚呼、嗚呼。神話の中で天思兼命が嘆く場面がありますが、
人の世は愚かしいものだなあとしみじみ思います。
愚かしい世のひとりであるわたくしは、せめて我が身を奮い立たせ
沈まぬように道を見失わないようにするために、
身近な愛を抱きしめている、そんな具合です。

人は誰しも同じではないか、と思うのです‥。





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何ば好いとると?

2012-05-18 23:49:33 | Weblog
愛らしい子役スターがひよこの着ぐるみを着て歌いながら
やってくる、あのチキンラーメンのCMソングがぐるぐると
頭のなかで回りつづけ鳴り続けている。
この歌は麻薬的である。
耳について離れないのになかなか覚えられなくて、なおさら
気になってとうとう歌詞がわかった、うれしい。
チッキンラーメン、コッチ来て、買ってってよーってってってーよ。
ですよね、たしか‥自信ないけど、たぶんこうだろう。
それからは自分で声に出して歌っている。
歌うとよろこぶお方がそばにいるので、なおさらうちでは
ブームである。シッポパンパンしてヘラヘラしてつきあって
くれるのである。いい相棒だわ。


(桜のはなびら散る庭で、クンクンしてますが‥桜をではない‥)

チキンラーメンは好きかと聞かれたら、ウンと答える。
答えるけれど、訊ねられてチキンラーメンを思い浮かべはするが
頭にこびりついているわけじゃなくて、引き出しのわりに奥まった
場所にある。それがわたしのチキンラーメン順位である。
この歌を聞いてもラーメン食べようかな、とは思わない程度の好き
度合いである。
好きと一口に言ってもその幅と奥行きがある。
好きの世界は間口が広いのではないか、そんなことを思いつつ
チッキンラーメンこっちきーて、と歌い続けるのであるが、
うちでは、ウルサイよ、ウザコと言う者がいないので止まらない。

そこで思いついたので忘れんうちに書いておこう。
人は嫌いなものはくっきりはっきりとしていて、それは頭の中で
確固たる場所を占めて、「嫌」の字ワッペンなんか貼って堂々と
ガンダム立ちしているのではないか。
好き?と聞かれて、う~ん、どっちでもないけど嫌いじゃないし~
なんて答えたりするあいまいさは「嫌い」にはない。
口に出すかどうかではなく、出さないで意識的に隠すことも含んで
「嫌い」は人の感情の中ではわかりやすく突出したものになのでは
なかろうか。なぜ嫌いかの裏付けもちゃんとあったりして。
なんとなくな「嫌い」なんてものはなく、かくかくしかじかで嫌い
というのが必ずあって、それが筋がとおるかどうかなんてことは
どうでもよく嫌いは嫌い、本能的直情の類い。

悲しいかな、この逆であればいいのにね、と思ったのである。
好きがくっきりと解ったほうが人はしあわせな気がします。
嫌いなものをあげつらい、並べ立て、それが胸のうちでハバを
効かせている状態ってどうよ?カナシイではないか。
嫌いは言い換えると許せないモノってことでもある。
寛容になれない相手である、モノでも人でもその存在が。

元来人は自分勝手ないきものだから、ひとたび選別したものを
なかなか自分で疑ってかからない。
でもですよ、疑ってみてもいいかもしれないことってありますよね。
2011.3.11以降は疑いの渦ですからね、もうひっくりかえりでんぐり
かえりですからね。
いいと思い込んでいたことも、嫌っていたことも、もう一度
なんでなの?あんた、なんで好いとると? なんで好かんの?
と自分に聞いてみたほうがいいかもしれないと思うのですね。

平行線の言い合いをしている国会事故調の映像など見ていると
バカらしくもありながら、人間の性を見るようで、実にカナシイ。
いるんですよねーバカがいっぱい。それも永田町や霞ヶ関に大勢。
自分を疑わない人々が自分以外の人が働いて納めた税金でご飯を
食べたり車乗ったり家を買ったり子どもガッコへ行かせたり‥して
エンジョイし続けたいばかりに、原発で廃炉でも再稼働でも儲けよ
と思ってる人たちが動かしてるんですね、この国は。



国そのものを疑っていい時かと思います。
もちろん好きになりたいために、です。
日本はいい国だと思うために、です。
今を嫌うことは、もう疑わずとも簡単にできることですし。

古伝には仁を説いて「好き、嫌い」の小さき私を無くせとありますが。
そのためにも己のうちの好き、つまり愛しいものをくっきりと
させてみたいと思うのでありますね、なにが大事か大切かと
自分を疑ってみると、あれれれとなるかもしれません。
‥チッキンラーメン、コッチキ~テ~カッテッテヨ~






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草原のよう‥

2012-05-11 09:07:46 | Weblog
生えてきました。
まだ春浅い日の草原のようではありますが、地肌の白さが
すっかり隠れ、刈り取られた淵の中央にあった縫い後が
めだたなくなってきました。



ぼくちゃんはすっかり甘えん坊になってしまいましたので
今週末からは想風亭のオキテに戻り、肉増量トッピングや
好き放題ガッツリオヤツテンコモリなど、病人仕様はもう
おしまいだとまだ気づいていない模様‥
まるでチキンラーメンソングを歌いまくるガキのように
我が世の春で、病後とは思えない足取りの軽さです。

‥でも来週は一日病院に預けられ、ホルモン検査と肺の検査
をしにいくのですから、しばしの春です。
だいじょうぶ、結果オーライとなりますように。

多忙ということと、疲労が溜まってしまい、更新が遅くなり
スマンことになっておりますが、そろそろ落ち着きます。
目の保養になるような画像もございませず‥



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そっと咲きましたが

2012-05-02 00:08:16 | Weblog
バラはまだまだ芽が出てきたばかりだけど、一足先に水仙がどんと
咲きました。でも切り花にしてもらえないんです、さみしいことに。
たくさんの球根をフェンスに沿って植えるのを手伝ってくれたのはIさん、
覚えてるかなあ、こんなになってますよ。

背丈が伸びたように見えるのは気のせいかしら、でももう3年たつので
伸びたのかもしれないです。花屋の師匠が「おいらっちの水仙買って
くれないんだよなあ」とぼやくのは、こんなにたくさんあるからね。

でもこっちの水仙は師匠のところから来たものではなくて、楽園さん
からいただいたものでした。水仙の球根に毒性があるらしく、ヤギ君が
食べると当たってしまうので敷地内から全部掘り起こしたというのを
遊びがてらいただきに行きました。あの頃はどこも平和でしたね。





これ、木の名前がわかりません。宇都宮の宮司さんから頂いた中の
一本で、かわいい花をつけています。こういう感じの花木が好きで、
バラの花壇の端っこに仲間入りしてもらいました。
で、君の名は? 調べろよってか、はい。



おいらの背中はまだ毛が生えてないので、手術前の写真だよん、
丸坊主にした頭に毛が生えてくるときの、あのモヤッとした感じに
少しなってきたら見せてあげるよん、まだ縫った後にホッチキスの
ピンがキラキラ光ってついてるし、な。

で、誉められたり認められることを望んでいるわけでなし、
花はそっと咲いててくれる。
ありがとう、言ったけど聞こえてるかな、わたしの嬉しい鼓動。

やさしくされたかったら、やさしくするといい、まず自分から。
そういうコトワリがあるけれど、人は自然にあまりにもやさしくないね。
やさしくされたがってばかりいるようで、もうしわけないね。

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庭を除染、だがしかし‥‥

2012-05-01 11:30:49 | Weblog
ベイビーやニャンコやピョンやドンの身を放射能から守る
ために、カメが庭先の芝生を剥がし土を削ってくれた。
学ちゃんたちは周囲の砂利を剥がす作業を二日がかりでやり
まだ隣の道場周囲が取り残しがあるけれど大量の土を剥がした。
週末にまた土の入れ替え作業の続きをする。
すっきりしていい気持ちになるんだな、これが。



剥がした土は深さ1~2mの大穴を掘って埋め、掘り上げた山土で
被っていく。この作業は先月からカメが一人でやっていて
伐採しておいてあった丸太も土中へ埋めた。
線量は低いけれどゼロではない。



このあたりは風が吹くと0.1を行ったり来たり針が振れるくらいで
付近の集落の数値とはかなり違っている。風の流れかたのせいか。
幸いかなと思うけれど、今もまだ破壊された原発建物からは
毎時1億ベクレルの放射能が水蒸気とともに吹き出している。
それが風とともにどこかへ流れて行くのだから‥。
この地へ降りないと保証はないのだ。
この地へ降りずとも降りたところの不幸を思わずに済むことでもない。

心は重いままだけれど除染は人の気持ちを明るく軽くしてくれる。
それがほんとによくわかったことが、うれしかった。
何カ所か除染実験に協力いただいた家の方がとても喜ばれていたが、
その気持ちがこういうことなのね、とよくわかった次第。
取り除いてみて初めてわかる、放射能の重さ。

除染に力を注いだ半年間、実りがなかったけれど、やらなければ
ならないことなのだと実感することができたから。
挫折した仲間はもう一度やり直すことだろうし、妨害した人を
許すことはしない。人を許さないという気持ちよりもあっては
ならないことだから闘うという意味で。

ところで、剥がしたはいいが、汚染されていない砂利の調達に悩む。
芝種は京都の店で以前から仕入れていたのでまた頼むとして、
砂利は重いので遠方から買ってくるのは難しいんだなあ。

ここから一番近いホームセンターに芝も砂利も土も売っているけれど
その付近の放射線量は高い数値のままだ。戸外に積み上げられた
芝も石たちも汚染されていません、と店側の主張をうのみにするには
無理がある。カウンターを取り出して店員の前で測るより自分の推測
を優先して他で求めることにしたのであった。
それにしても、どこにあるのだろうか、「新鮮な砂利」。







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