想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

猫三態

2013-11-21 20:01:59 | Weblog

ジョリと命名され、堂々縁側に寝るも、先輩猫江戸ちゃんに
じわじわと攻撃される。



ジョリは庭のあやめの葉のあいだから顔をのぞかせていた子。
時々江戸ちゃんがいる時にごはんをねだりにきていたけれど
おっかなびっくりで食べると逃げていくだけだった、…のだが
カメになついて、いついてしまった。

下の写真はジョリが初めて現れたとき望遠レンズで撮った。
生後1年未満かもしれない…


今年の春から時々縁側へこそこそと昇って江戸ちゃんのご飯を
食べてた頃は痩せていた。
江戸ちゃんが赤ちゃんを連れて来たり、こなかったりしてる間に
ジョリが常客になっていて。
堂々の体型になったなあと驚く、そもそも脚も首廻りも太くて
きゃしゃな江戸ちゃんに比べるとたくましくはあったけど。

カメは江戸ちゃん贔屓なので仕方なくジョリにご飯だけふるまって
いたわけなんだけど(江戸の身代わり)ちょっと想像を超えた猫でした。

まず、縁側の戸が少し開いたらすかさず入ってくる。
入ったまま、ずんずんと廊下を歩く。
出ていかない。
しかたがないのでご飯用の金属のお皿をカチャカチャならすと
走ってくるのでおびき寄せて外へ出す。
庭を歩いていると、にゃごにゃごと寄ってくる。
足下へスリスリして笑う。
じぇじぇじぇ、なことのは、雄だとばかり思っていたら雌。
だって太い胴廻りと首、食べかたもワシワシと大食いなので
男の子だとばかり思ってたわけです。それにしては大人しいって。
おなかいっぱいになって縁側でごろん、おなかが丸見えなので
判明しました。
な~んだ、江戸ちゃんの姉妹だったかというわけでした。



たとえていうと、南海キャンデーズの静ちゃんです。
笑う、よく笑う、でもかわいいというより、おかしいタイプ。
な~んか色っぽくないです。
もうすっかりウチの子…というより、ここはアタシのウチと
ジョリが決めているようで。悪い気はしない…けど複雑。
江戸ちゃんが急に美人さんに見えます。
江戸も始めはハナクソと呼ばれてたんだけど。

世話焼けるけど、なごみますわ~。


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秘密国家再びか

2013-11-20 14:24:27 | Weblog
ことしの秋はもみじの色がイマイチであった。
そんな話を福島北部の人から聞いてもいたが、週末の連休には
東北道は日光や那須へ向かう自家用車で混雑した。山の紅葉を
観にいく。日本人的の習慣であり、連綿と伝わる情緒である。

去年の今頃の写真と見比べてみると今年は紅の色が褪せている。
遠目には赤や黄色の色づきが美しい模様に見えても、近寄ると
葉はまだらに染まり、色の輝きがないのだった。

ここでは森が庭であるから、遠目ではなく一本一本の色づきを
まじかに見て樹に元気がないことを感じる。
夏の猛暑は樹々を傷めつけたのだろう。
森の土にはふんだんに水気があるが、それが乾いてしまうほど
熱暑であった。そして急に寒さが来て、台風の嵐が襲い、陽射し
の温みを感じる秋晴れがないままに寒くなった。秋雨前線の、
静かな長雨もなかった。
ゆるゆると移り変わるはずの景色が何かに振り回されるように
移り変わって行く。
山道に、風にねじ切られ折れた古木が無惨で姿であった。
長く生きた最期が厳しすぎるのは哀れである。



人間のわたしたちの世の中も、なにものかによって振り回され
自然の人間らしい感情のよろこびやいかりをはっきりと表さない
異形の姿にいつしか変わってしまった、なんてことにならない
とも限らない法律、特定秘密保護法を安倍晋三という首相は
バタバタと急ぎ決めようとしている。

反対する野党の勢いはなく、すでにみんなの党は与党と与し、
日本維新の会も足並みを揃えた。
自民公明と合わせて今国会での成立を目指し、反対を押し切って
という悪印象を国民に与えないようにタイミングを計っている
だけである。
これが悪法である理由は「特定」の条件が恣意的に政府の都合で
決められることにある。民主は法案の対象を外交と国際テロの
防止に限るという修正案を予定しているが…弱腰である。

既にある法律で対処できるはずのものを、改めて特定秘密保護
という方法で「隠し事」と「処罰」を定め、人々の知る権利を
奪い、伝える自由を奪うものだ。ブログ、ツイッター、スマホ
検索ツールのワード、LINE通話、さまざまな個人の情報が政府の
監視下に置かれる世の中を想像してみるといい。
今はコンピューター主体の生活様式だから監視はしやすい。

戦前戦時中の日本は隣組制を敷き、密告と監視によって人々の
生き方も男子女子問わずわが命も自由にならなかったのだ。
人々は萎縮することで生きながらえた。
そこまで酷くならないとどうして言えるだろうか。
密室政治と絶対権力は秘密裏に仕上り、出来上がったときは
その力は強大だ。そんな国はたくさんあるではないか。

官邸前、国会前で行われている反原発の市民による反対集会は
急遽、秘密保護法を阻止せよと、声をあげている。
ネットやツイッターでその詳細を知ることができる人はいいが
この法律がわたしたちの生活をどのように変えていくのかを
正しく伝える新聞、テレビニュースは少ない。
自ら知ろうという意志があれば、確かめることができる現在を
今大切にしていないのであれば、今後の不自由さを憂えること
もないのかもしれないとも思う。
けれど、我が身になにごとかが降りかかってからではもう遅い。
未来を予知することはできないが、この法律の行く先は明らかだ。

情報公開制度を使って行政、政府から文書を取り寄せることは
可能になったから開かれていると思っている人は多いけれど、
実際には欲しい情報は黒塗りに潰されてわからない、そんな目
に合うことは少なくない。
将来開示と言われても、今いるから請求しているのだ。隠されて
しまってはどうにも対処できない。
情報操作は今も行われているが、特定秘密指定によって公然と
行われるようになるだろう。

記憶に新しいのは3.11 大地震直後の原発内で何が起きたか、
事故時の放射能漏れ隠しだ。当時、連日テレビで「安全」と言い続け
一方でスピーディーのデータを隠し、原発近隣町村の人々の避難
を遅らせ、避難先の方角を誤らせた枝野発言だ。
多くの子どもが避難先で被ばくした。甲状腺に異常をきたした。
政府は2年半経った今もその事を公式に認めず東電を擁護している。

人はどのような時代にも生き抜いてきた、ともいえるけれど
それは死んで生きたような時代も含めてのことなのだ。
口を閉ざし言葉を飲み込み、身体、物質、あらゆることが拘束
されたまま命だけをかろうじて長らえた、そういう生き方を
強いられた時代を経て、親たちはこどもを生み育て、また
子どもが大人になって今がある。
記憶を葬ってはならない、今こそ思い出し確かめ、考えなければ
ならない局面にわたしたちは立っている。
こどもたちを守ることはもちろん、わかものもとしよりもみな
人らしく生きられるようにと戦後再出発をしたのではなかったか。

3.11 以後いきかたを変えたという人は多い。
どう変えたか。
自ら考えるように、自ら考え判断するように、自らの力で生きる
ことを前提に生きる、そういうことにしたという声だ。

父や母たちの言葉にはしなかった胸の奥底の悲しみを想う。
失った青春と、大きな犠牲と、喪失感を想像し、今黙っていては
いけないと思うのだ。













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言葉もなく…眼を瞑り

2013-11-04 10:13:31 | Weblog
明るきことは
いい子にしてたよどうだんつつじの赤と、ベイビーの黒。ステキなコントラストではないでしょうか!って失礼、でもこのポーズは元気の印なのでお許しを。動物病院に預けられてたベイビー、やっぱ...


2011,
2012.
そして2013、今年の紅葉の下にはベイビーはもう写らない。
写らない。いないのではなく、写らない、写ったら心霊写真に
なっちまいまーす。あるスジの人々が騒ぐアレになっちまうね。

森にいると不在を感じることは少なく、逆にふれているような
ここちですが、東京にいて写真を見れば不在を痛感するのです。
でも、11年から2年8ヶ月近く経ち思っていた以上に世の中は
荒み、言葉も出なくなってきた有様です。

でも言葉を失くさないようにしなければなりません。
始めに言葉ありき。光ありて、言葉を紡いでその恵みを確かな
ものとして受け継いできたのだから。
闇の向こうに光はあると、思い直す毎日。
抽象的ではなく、まさしく闇と光。
ブラックホールの底の中、そこにある無限大の広がりへ行く
そこに歓喜があると、神の数式が表したものはそのことです。
そして理論物理学の世界よりもずっとずっと大昔、大大昔の
人がそのことを知っていたということを思うと、荒む気持ちから
立ち直れます。

始めなくして始まり、終わりなきもの(先代旧事本紀神代本紀)
天祖(あまつみおや)という神名で表現した起こりのシーンを
CG化すると地球から天体望遠鏡で見上げた星群のよう、あるいは
深海に泡立ち広がっていく気泡のようか、…眼を瞑ったときに
観えてくるパープルのグラデーションが伸び縮みするさまか…

逃避じゃなくて、追求する。
この夢のような時が心身をいつのまにか回復させてくれます。
いえ、時間にすると5分か10分のことですが。
外はこぬか雨で、ちょうどいい静けさです。

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紅葉と天皇…

2013-11-03 02:00:26 | Weblog
(10.27撮影)
台風が海側に沿って北上するというニュースに安堵しながら、
雨が上がるのを待った。
夏の大雨に比べるとたいした量ではなく風だけ台風らしく、
樹々を激しく揺らしていった。

電力会社が電線にかかるという理由で枝を切り落とした際、切る
箇所を間違えて(知らなかったのか)伐採し過ぎ、立ち枯れて
しまった樹が4本、敷地の縁にあった。いつか蘇るときがあるかも
しれないと淡い期待もあったが、もうこの数年は諦めていた。
その樹々が見事にひっくりかえって枯れた根を宙に晒していた。
立っていた時よりも横倒しになった樹は大きく見えた。
続いた大風で、とうとう立っていられなくなったということだった。
カメが重機で片付けてくれるのを見ていた。
ぞんざいに扱わずにていねいにそっと…少しづつ動かしている。
生きていた時も、息絶えた今も、カメには同じ樹のようだ。
「芽を出すかもしれないと思っていたんだけどね」と言われた。

自然のなかにいると人間が主役ではなく木々や草花、生きもの達
もみな平らな一つの地平に存在する命同士だとわかる。
だんだんと人間のさかしらな角がとれて、やさしくなれる。
言葉がいらない世界だ。



森では常時接続のネット回線はないから直接触れることがすべて。
東京で時事ニュースに鬱々とする生活から解き放たれる。
それにしても、象徴天皇の意味が本当に理解されていないことが
山本太郎議員へのバッシングで露見した。

敗戦後の日本を行幸され国民を励まし続けられた昭和天皇のことを
人々は忘れてはいないだろう。政治家はどうだろうか。
象徴天皇こそが本来あるべき神に仕える御姿で、世俗へひきずり
おろして政治利用してきたのは明治の薩長とその輩、戦後の自民党
政治であった。天皇陛下は政治権力に固執などされなかった。

山本太郎議員はよくよく思慮を重ねた上での行為であり、純粋さ
以外にない単純ストレートな行動だ。
どうにもならない難題を思い倦ねた子が親へ訴えたの図である。
反原発の山本太郎と天皇陛下を拝し願いを託する山本太郎は少しも
矛盾しない。正しくないことが行われない世の中を心から願っている。
園遊会でニコニコとお世辞に機嫌良くして過ごせない人である。
だからこそ60万票の支持を集めた。
それは目先の利を考えられないバカ者か世間知らずと指さされても、
政治利用などという見方はあたらないのではなかろうか。

そういううがった見方は山本氏の存在がよほど都合の悪い人々だろう。
何をしても目立ち、人気があり、権力にこびずに独りではっきりと
物を言うのだから、そりゃあうらやましくて嫉妬もするだろう。
特定秘密保護法の必要性をいう破綻した屁理屈と同じラインにある
稚拙な話だ。鬼の首でもとったかのように大声でやれ辞職せよと騒いで
いるのも国民の代表なんだから…鬱陶しい。そんなことになったら
世も末だ、いや、今すでにそうだから鬱陶しいのだが。

天皇を論ずるととかくレッテルを貼られ、簡単な話ではない
(いや明快なことなのだが長い話になってしまう)ので省くが
日本はミステリアスと言った人がいたけれど、本当だわと思う。
よくわからない「天皇」を千年以上も頭上に拝し続ける一方で
現人神だの不可侵だの強制されることに逆いもしないのでは。

紅葉は明日あたりが一番の見頃になりそうだ。
黄いろちゃん(黄檗)は今年はイマイチの色づきだけれど、やっぱり
やさしい黄色。
人間の悪に惑わされないように、樹々の宴に招かれていようっと。







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