ことしの秋はもみじの色がイマイチであった。
そんな話を福島北部の人から聞いてもいたが、週末の連休には
東北道は日光や那須へ向かう自家用車で混雑した。山の紅葉を
観にいく。日本人的の習慣であり、連綿と伝わる情緒である。
去年の今頃の写真と見比べてみると今年は紅の色が褪せている。
遠目には赤や黄色の色づきが美しい模様に見えても、近寄ると
葉はまだらに染まり、色の輝きがないのだった。
ここでは森が庭であるから、遠目ではなく一本一本の色づきを
まじかに見て樹に元気がないことを感じる。
夏の猛暑は樹々を傷めつけたのだろう。
森の土にはふんだんに水気があるが、それが乾いてしまうほど
熱暑であった。そして急に寒さが来て、台風の嵐が襲い、陽射し
の温みを感じる秋晴れがないままに寒くなった。秋雨前線の、
静かな長雨もなかった。
ゆるゆると移り変わるはずの景色が何かに振り回されるように
移り変わって行く。
山道に、風にねじ切られ折れた古木が無惨で姿であった。
長く生きた最期が厳しすぎるのは哀れである。
人間のわたしたちの世の中も、なにものかによって振り回され
自然の人間らしい感情のよろこびやいかりをはっきりと表さない
異形の姿にいつしか変わってしまった、なんてことにならない
とも限らない法律、特定秘密保護法を安倍晋三という首相は
バタバタと急ぎ決めようとしている。
反対する野党の勢いはなく、すでにみんなの党は与党と与し、
日本維新の会も足並みを揃えた。
自民公明と合わせて今国会での成立を目指し、反対を押し切って
という悪印象を国民に与えないようにタイミングを計っている
だけである。
これが悪法である理由は「特定」の条件が恣意的に政府の都合で
決められることにある。民主は法案の対象を外交と国際テロの
防止に限るという修正案を予定しているが…弱腰である。
既にある法律で対処できるはずのものを、改めて特定秘密保護
という方法で「隠し事」と「処罰」を定め、人々の知る権利を
奪い、伝える自由を奪うものだ。ブログ、ツイッター、スマホ
検索ツールのワード、LINE通話、さまざまな個人の情報が政府の
監視下に置かれる世の中を想像してみるといい。
今はコンピューター主体の生活様式だから監視はしやすい。
戦前戦時中の日本は隣組制を敷き、密告と監視によって人々の
生き方も男子女子問わずわが命も自由にならなかったのだ。
人々は萎縮することで生きながらえた。
そこまで酷くならないとどうして言えるだろうか。
密室政治と絶対権力は秘密裏に仕上り、出来上がったときは
その力は強大だ。そんな国はたくさんあるではないか。
官邸前、国会前で行われている反原発の市民による反対集会は
急遽、秘密保護法を阻止せよと、声をあげている。
ネットやツイッターでその詳細を知ることができる人はいいが
この法律がわたしたちの生活をどのように変えていくのかを
正しく伝える新聞、テレビニュースは少ない。
自ら知ろうという意志があれば、確かめることができる現在を
今大切にしていないのであれば、今後の不自由さを憂えること
もないのかもしれないとも思う。
けれど、我が身になにごとかが降りかかってからではもう遅い。
未来を予知することはできないが、この法律の行く先は明らかだ。
情報公開制度を使って行政、政府から文書を取り寄せることは
可能になったから開かれていると思っている人は多いけれど、
実際には欲しい情報は黒塗りに潰されてわからない、そんな目
に合うことは少なくない。
将来開示と言われても、今いるから請求しているのだ。隠されて
しまってはどうにも対処できない。
情報操作は今も行われているが、特定秘密指定によって公然と
行われるようになるだろう。
記憶に新しいのは3.11 大地震直後の原発内で何が起きたか、
事故時の放射能漏れ隠しだ。当時、連日テレビで「安全」と言い続け
一方でスピーディーのデータを隠し、原発近隣町村の人々の避難
を遅らせ、避難先の方角を誤らせた枝野発言だ。
多くの子どもが避難先で被ばくした。甲状腺に異常をきたした。
政府は2年半経った今もその事を公式に認めず東電を擁護している。
人はどのような時代にも生き抜いてきた、ともいえるけれど
それは死んで生きたような時代も含めてのことなのだ。
口を閉ざし言葉を飲み込み、身体、物質、あらゆることが拘束
されたまま命だけをかろうじて長らえた、そういう生き方を
強いられた時代を経て、親たちはこどもを生み育て、また
子どもが大人になって今がある。
記憶を葬ってはならない、今こそ思い出し確かめ、考えなければ
ならない局面にわたしたちは立っている。
こどもたちを守ることはもちろん、わかものもとしよりもみな
人らしく生きられるようにと戦後再出発をしたのではなかったか。
3.11 以後いきかたを変えたという人は多い。
どう変えたか。
自ら考えるように、自ら考え判断するように、自らの力で生きる
ことを前提に生きる、そういうことにしたという声だ。
父や母たちの言葉にはしなかった胸の奥底の悲しみを想う。
失った青春と、大きな犠牲と、喪失感を想像し、今黙っていては
いけないと思うのだ。