想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

福島、コスモス咲いてます

2011-09-29 02:15:41 | Weblog
福島駅ホームにて、夕焼けがあまりにきれだったから。

国道沿いにコスモスが群れ咲いていた。


うちへ戻って、玄関近くに作った小庭でブルーベリーの実を見る。
おととい摘んで、そっと一粒食べた。
おいしかった、甘くて。
ブルーベリーは放射能吸収率がグンバツに高いという話を聞いてきた
ばかり。あとのまつりなり、そう思いながら実を見つめた。
かわいそうな気もするし、いや、なんのその、とも思う。
揺れる気持ち、毎日揺れるフクシマにいると。


希望を見いだそうと、人がかけまわっている。
うさこも、微力ながら、力を振り絞って走っている。
目の下にクマが来て、居候したままなかなか帰ってくれない。
クマの餌はないよと言聞かせたが、むつかしい顔をして首を縦に振らない。
そろそろ冬眠のしたくだよ、と説教してみた。
そんなかんたんなだましに乗らないので、夜になると起きあがって、
うさこの夜なべにつきあおうとするのである。

クマにはハチミツ。
紅茶にハチミツ。これを飲めばあったまって少し眠れるだろうか‥。
眠れない人のことを思って、眠れない夜。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通行できません、よ。

2011-09-24 17:18:38 | Weblog
この道の先へ、青い水辺が見えている。



ここは山ん中だから、海辺でないことは確か。



ジョーダン言うてる場合じゃないって、河が広くなってる。







ふー、何ヶ月後かには直るんだろうなあ…。
雪が降ってくる前に通れればいいんだけどなあ…。
宮城や岩手の人のことを思うと、あんまし希望を言っては
いけないキモチであるね。ここは福島だけど、さ。
福島は地震と原発の二重苦、重ねて風評被害で地価の下落
は止まらず。野菜は売れず、魚は取れず。
まあ、三重や四重じゃきかない苦しみであるね。
で、台風被害で道路が壊れたくらいで、なんのそ、だね。



さあ、来た道を戻ろう。
でも写さなかったけど、ここまで来るのも相当大変だった。
道は続いてたけど、川底みたいに割れてしまって車輪が落ち
ないようにソロリソロリの運転であった。
だから、行きはよいよい帰りは怖い、なのでありました。
気合入れに最後に青空を一枚撮ったのさ~。

山はもう秋風、今年はなんだか早い気がするなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び道路寸断! 河になっちまったぜ

2011-09-24 13:21:04 | Weblog
12年ぶりに道路が壊れた。森の奥へ入ってくる村道は
途中の一部が川沿いになる。川はそこでカーブしていて
増水した流れが道路の土手にぶつかって道を破壊する。
台風がくるたびに心配して過ごすのだが、21日の豪雨で
道は消えてしまった。

長さにして15メートルくらいか、寸断されてしまって、
渡るには長くてムリがある。
棒高跳びして越えれる距離ではないんだな、これが。
しばらく川の流れを眺めていたが、さてと、昔通った道
を探索に行くことにして引き返した。

山の中を貫通するようにしてある古い道を用心しながら
進み、我が家へと辿りついた。
うれしかったなあ! 電気も停まってなかったし、家は
無事でありましたよ。
隣の道場も無事でありましたよ、ご心配されたみなさん。

カメはすぐにユンボを出動させ、山道の修復へと向かった
のでした。それぞれに草刈り機や鎌を持ってあとへと
続き、戻ってきたのは夜8時くらいだった。
おかげで迂回路を確保できて、これで郵便配達のバイクも
やってこれるし、東北電力もガス会社の点検も来れる。
ライフラインを確保したところで、玄米と納豆、味噌汁の
晩御飯をいただきました。

大変、というよりも電気がなかった昔の、最初の頃に
戻ったみたいで、なんだか少し、楽しくもあった。
結果オーライというわけではなくて、ゴウゴウと音を
立てて勢いよく流れる道路破壊犯の川を眺めていた時も
そんな清々としたキモチでした。
ここに住むというのはこういうことなんだわ、と。
便利ではないけれど、いつも自然を肌身に感じながら
自分自身が試されるっていうことでありますね。

これから道路工夫になりにいくので、写真アップはまた
のちほど。

追伸:デモつながりでたくさんのメール、びっくりしました。
ありがとうございます。返信が遅れますことお許しください。
山本太郎さんのファンの方もいらっしゃって皆さん応援
されてるんですね!うさこはファンというわけではなかった
のですが、うれしかったです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本太郎の声

2011-09-22 09:50:23 | Weblog
(準備万端、2時間前から会場前方に陣取って日焼けしたぜ~アホども)

さよなら原発1000万人署名運動はまだ緒についたばかりだ。
十分の一の100万人分集まったという報告に正直がっかりした。
100万人だってすごいじゃないか、とこれまでだったら思えたが
実感として、足らない、遅いなあと肩が沈む感じだった。

集会の壇上で呼びかけ人の挨拶が進み、予定されていた山本太郎さんの
到着が遅れていると下手な司会者(ほんとに下手で困ったちゃんだった)
が言っている最中に、「ああ、おいでになったそうです」とまた言い換え
山本太郎はこのところテレビに映し出されているかっこうと同じ、黒い
ポロシャツとジーンズにハットの出で立ちで腰を低くしながら現れた。

声がデカイ。よく通る声がマイクの通してさらにひび割れんばかりに
張り上げられた。
「僕は生きていたい」山本太郎はそう言った。
生きていたい、だから抗議しているんです、だから活動してるんです、
それだけです、生きていたいと思ったんです。
でも一人で生きてもしょうがないんです、みんなと、周りのみんなと
いっしょに生きたいんです。
でも原発があったら生きていけません。みんなで原発を停めましょう、
すぐに停めましょう。
そう叫んで、最後に結んだ話がすごみがあった。他の誰も言わないこと
だった。彼は自分の俳優生命とか仕事とかおのれの利害は考えていない。
考えたら言えない話だ。


キレイ事にしか聞こえない「こどもが‥」「かわいそうなフクシマが」
という話にわたしはずいぶん前から飽き飽きしていた。
なぐさめられているようで上から目線の、活動してあげてる感じが伝わって、
活動する人の自己満足が乗っかった声にうんざりしているところへ、
山本太郎の声は飾りもなにもなく生々しく、厳しかった。

「デモも集会も、署名も、国会議員らにとって痛くはないんだそうですよ、
昨日直接話して聞いた話(河野太郎氏と)です、ちょっとかゆいくらいで、
影響はないと。
だからみなさん、地元の議員、地盤をもってるところで追求して下さい。
あなたは原発推進派か、反対か、と聞いてください。
彼らにとっては票がすべてなんです、そこが揺らぐようでないと彼らは
動きません、そこへ行かないとダメです、押し掛けて下さい、お願いします。」

そして壇上から「逆撮影させてもらいます、テレビで使ってもらう約束で
僕への密着取材のバーターで、それならこっちも流してくださいよと、
カメラを預かってきたんです、写しまーす」と大声で叫びカメラを向けた。
テレビでまだその映像を確認はしていないが、誰か山本太郎のコールに
応じた会場の怒濤の叫びが入ったビデオを見ただろうか。

自分のこととして原発廃止をとらえている人がどのくらいいるか。
発電所立地場所の周辺住民以外に、未来のためとか子どもの将来のため
とかよりも、今起きていることとして恐怖を抱きながら反対を叫ぶ。
そういう人がまだまだ少ないことを、デモを終え喉の渇きを癒しながら
痛感した。満足よりも落胆がからだを重くしていた。



246を行進中、歩道橋の上から「応援」と大書されたボードを振って
くれている集団を発見した。
表参道から原宿へ向かう途中の歩道橋にも、ガンガン手を振りながら
デモのコールに呼応する若者を見た。

わたしの周囲は主催者事務局の先導車スピーカーから聞こえるハンターイ
と間延びした声とは別に、ノリのいい、ラップ調の、巻き舌の兄さんが
「原発イラナイ」「原発トメロ」「東電イラナイ」に合わせて叫んだ。
ヒートアップして、「イワナを食いたい」「桃を食べたい」「梨を‥」
「ほうれん草もってこい」「深呼吸させろ」とさまざまに叫んだ。
すれ違う沿道の人は大笑いして拍手。調子に乗ってそのまま続けた。

自転車で伴走していた青年が、信号待ちでデモが停止していたときに
歌いだした。斉藤和義の「ずっと好きだった」の替え歌だった。
下手くそだけど、恥ずかしがりもせず、ひとり声を張り上げて歌う声
をみんなで聞いていた。パラパラと拍手もあがった。

それぞれの思い、それぞれのやり方、めざす目標は同じ原発廃止だ。
九電と北電のやらせ問題がこのところニュースになっているが、
関東東北だけでなく、今回は被害が及んでいない九州や北海道でも
反対運動の輪が広がることを願っている。
明日は我が身だ。産地など気にせず野菜を、魚を、米を、牛乳を
食べられる土地に住んでいる幸福を、いまだ幸福と実感していない
人々に、今すでにある悲しみを伝えなければならない。



夜遅くまで人々は歩いていた。なにせ6万人を会場から順々に送り
出す手はずがてんでなってなかった。主催者はほんとに大勢の人が
来ることを期待していたんだろうか‥と訝ったしだい。
ほんとに来たんだね、集まって、会場周辺で入りきれない人の渦。
人ごみに紛れて約束した友とも会えないくらいだった。
でも、まだ足りない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9.19さよなら原発 行ってきました~

2011-09-20 08:00:38 | Weblog

呼びかけ人挨拶はまず鎌田慧氏、さよならは再見(サイチェン)でも
オーボワールでもないアデューのさよなら、絶対に会わないという意味
のさよならだ、と発言された。
そして大江健三郎、厳粛に、そしてゆるぎない意志をこの日も伝えられた。
静かな語りかけに、人々が大きな拍手の渦で呼応した。



大江健三郎の話を直に聞きたいという人が周囲にたくさんいた。
そのためにきたという男性がこの輪(旧事研)の中に入っていいか、と
聞かれて同じ場所に陣取っておられた。会場整理で後ろへ後ろへと
押しやられるから一応福島グループということで前列にいた我らと合流
して場所確保。隣には静岡から来た人、浜岡原発から計ったら30キロ、
急にヤバいことに気づいたからと話しておられた。



これまで体験した事のないデモだった。
老若男女、子どもが多かった。政治色を嫌う人はデモに参加しないが、
今回はどんな政党もかなわない正真正銘の市民デモだった。
反日だの左派だのと黙殺しろと言ってる人もいたようだが、実際は違った。
フツーの人がたくさん一緒に歩いた。
沿道を歩く人、車道の車から、ビルの窓ガラス越しに美容サロンからも
手を振って賛同の意志を表す人がたくさんいた。

楽しく、壮快。いい汗をかいた行進だった。
原発のない社会をめざして、参加した人はさあこれからだ、やるぞと
決意したに違いない。沿道から眺めるより、一緒に歩くのはほんとに
気持ちがいい、ほんとに楽しかった。

続きはまた。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しいね、なんだかね

2011-09-18 04:45:40 | Weblog
2年前の秋の日。



庭に植えた花が咲いた。
摘んで、気に入りのガラスの器に生けた。



うさぎが支えているガラスの器。
でも今は空っぽの器。
うさぎは、ヒマです‥。支えたいんだけどね、たくさんの花々を。

庭の花も樹も、今年の秋はおあずけ、摘んではいけないからです。
セシウムは激しい雨で地表へと落ちていっただろうけど、それでも摘みません。
4月にはハウス栽培の野菜も出荷停止になったことを思うと、手に負えない。
放射能って、姿形が見えるわけでもないのに、人の気を削ぎ心を蝕みます。

悲しいねえ、秋なのに。
実らない秋もあるんだ‥。
風評被害とか言ってる場合じゃなくて、ほんとにもうサイテー。
ほんとに幸せだったんだと過去形で、空っぽの花瓶を見ながら知るしだい‥

取り戻そう。間に合ううちに取り戻そう。
原発断固反対、核廃絶を願います。
原水協と原水禁という二大団体に分裂していた反核運動の歴史が一体となって
9.19の集会とパレードに臨みます。
悲劇を踏まえてではあるけれど、この秋、ほんとうに新しい大きな一歩を
踏み出します。
ブラボーです。悲しいけれど、ブラボーです。

明治公園でお会いしましょう。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森を出て、デモへ行きます

2011-09-15 08:09:00 | Weblog
行きます、と言ったらわたしもと言う。
行きませんか? とは言わないし、言わなくてもいいし、言わない方がいい。
誘われるのもいいが、デモは自分から行かないとデモの意義が薄れてしまう。
デモは大事である。民主主義が社会で実行されていくにはデモという形の
意志表示はとてもわかりやすく、有効であるからだ。


(ユーコーだ、ユーコーだ、一緒に歩きたいぜオイラも)

昔、ベトナムへ従軍記者として行ったことのあるジャーナリストから聞いた
のだが、「日本人には革命はできないね、電車に並んで乗る国民性だもの」
というのだった。不甲斐なさそうにそう言われた。
その意味をなるほどと感じるようになったのはそれからずいぶんたってから
だったが、それからさらに歳月が流れて、原発が爆発した。大津波で土地も
家も流れた。

いま、人々はデモに集い、行進するようになった。
主義や政治思想とは無縁の昔の言い方だとノンポリの人々が子どもの手なぞ
引いて行進に加わっている。
詩人が街宣車の上からマイクを持って叫んでいる。
夏の日照りのなかをキャラクターの着ぐるみを着て、おしゃべりしながら
歩いている人もデモの一員だ。

ある人が言った。
「アレ、あの19日のアレ、わたし行かないですよ、アレですからね、私は」
「ああ、行かなくていいですよ、別に行くとか行かないとかじゃないから」
アレですから私は、というのは原発推進派だからという意味なのであった。
仕事がそうだからという事情である。
そういう人はたくさんいるので、行く行かないかではないと応えた。
どう思っているか、が問われている。
仕事で金で縛られている事情を言い訳にしたらダメだ。言い訳ではなく
はっきりと心で裏切っていればいいのではなかろうか。
ビミョウな問題だが社会運動にはつきものの問題だ。

後悔しないで生きること、生きる責任を自らに問いかけていること。
それはどこにいても問われている。
路上で叫んでいても、職場の椅子にいてもそのことに変わりはない。

人の心は買えない。買ったつもりになったり売ったつもりになったりしても、
しょせんツモリであって心はその人のものである。
だから責任は自分にあるのである。

わたしは一人より二人、二人より三人、大勢の声があがればそれだけ力は
増すことを実感してきたから呼びかけはした。
しかし、一人でも行動するという原点なくして力は生まれない。
一時的なつきあいや遊び半分のきまぐれに変革の原動力を期待するのは
無理なことで、伝播する情熱があって初めてデモは成功する。

まだ学生だったころナガサキの原水禁集会へ出かけ、行く前と帰ってからと
デモ、集会と夏は忙しかった。散り散りになって仲間がそれぞれの場所で
続けていることを知っていたけれど、わたしは長い間離れていた。
9.19の会場でその頃の仲間の誰かとバッタリ遭えるかもしれない。
老けてしまってお互いに顔もわからない確率の方が高いけれども‥、
懐かしい顔に会えたら嬉しいだろうなあと思っている。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反核 反原発 脱原発 デモ行進 9.11 新宿

2011-09-12 09:23:02 | Weblog
反核 反原発 脱原発 デモ行進 2011年9月11日 東京 新宿


やってますねえ、うさこは森ん中でしたが東京はニギヤカだ!
いろんな団体が今週は全国で反核、脱原発デモや集会を展開する。
いいぞーーーーーーーーーー。

来週月曜は明治公園からスタートだ。
さあ今週は、旗と幟を作って準備だわ。ピンクのうさぎ帽子も
クローゼットの奥から出したし(なんで持ってる?)出番だわ~。
たのしみだ、たのしみだ。
耐えているばかりじゃカラダに悪し。

3.11から半年の昨日、被災地そして福島の特集がなされた番組を
見たくもないが見た。
民主党のお家騒動に押しやられていた被災地の現状がひさびさに
写し出されていたからだ。
あきれるほどに、悲しいほどに、ほぼ半年変わらず。
復興はいいからせめて復旧しろよと言いたい。

下心丸出しで復興を声高に言うのはゼネコン絡みの議員たちと企業。
なんで作りかえねばならんのか。その理由を明確に示せるのか。
コンクリートで大型ショッピングモールや箱ものを作る時代錯誤は
やめてほしいと一般ピープル(死語だねん)は思っとるよ。

福島は美しまふくしま(ウツクシマフクシマ)というオヤジギャグ
みたいなキャッチフレーズで観光で栄えてきたんだ。
美しい山と湖、川と海、みんなあって自然が自慢でとりえの土地だった。
果樹園には高値で売れる梨や桃。酪農も次世代へつなげるまでに盛んに
なっていた。そういうふうに50数年かけて育んできたんだ。
郡山は工業都市として発展したけれど、自然に生かされてきたところが多いのだ。

だから、なにも作らなくていいから人が住んでた元の土地を返してほしい。
そうすればあとは自力で一般ピープルが働くさ。
働いて税金納めて国を富ませるのさ。
今までだって、そうしてきたじゃないか、働きづめさ。
原発立地の助成金だけで食ってきたわけじゃないんだ。
原発の金で潤った人より、そんな金とは無縁の人のほうがよほど多いのだ。
働いて働いて、喜んでハタライテきたさ。家族と未来と、今を生きるために。

バッキャローーーーー、早くガレキ除染しろってえの。
浜通り、そして中通りの繁華街、次に学校に農地にと、順々に洗って
くれれば働くんだよ、一般ピープルは。
働きたくてしょうがないんだってば。



職場に通う道もガッコに通う道も八百屋に通う道も、猫の小径も
犬のひなたぼっこする道ばたも、除染しなきゃ使えやしない土地に
なってしまった。散歩できない土地なのです、ひきこもりライフが
スタンダードになってるんです。ありえないことが普通になってハヤ
半年なんです。麻痺してしまいそう‥、

麻痺させよって魂胆はわかってるからね、だからデモに行こう。
言って声をあげよう。心が折れたり変わったりしないように、声を
思い切りあげよう。
原子力発電所はイラナイ。プルサーマルはイラナイ。
使用済み核燃料をこれ以上日本に増やすな。よそから持ってくるな。
よそへ持っていって商売するな。他国へ不幸のタネをまき散らすな。
そして自然エネルギーの開発に潤沢な予算と法整備を、迅速に。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大江健三郎さんら、新政権に脱原発迫る~19日には5万人集会

2011-09-12 02:22:54 | Weblog
大江健三郎さんら、新政権に脱原発迫る~19日には5万人集会
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウソは損しますぜ、だんな……

2011-09-10 13:45:56 | Weblog

一週間、早いっすね。ぎっしり詰まって週末を迎えたのに
寝不足なのでイマイチ元気がでないうさこです、こんちは~。

人は我が身を守るためにウソをつきますが、犬はウソなど
つかずにストレートに態度でゴマカシますね。
ゴマカシて薬を飲んだふりなどしますね、ペッと吐き出す
タイミングを外すとそれをおっかあに拾われてしまいます。
あ~んして、ホラ、あ~ん、とあ~んじゃなくて顎を強く
ひっぱって開けられて奥へホレと入れられます。
なんとかゴマカシますが、うまくいくかどうかはいいです、
いつもゴマカシます、それがオイラの生きがいってことで。

さっきご飯食べたでしょ、とこのごろ言われますがお腹が
空いたふりをしますね、空いて空いてたまんないぜ~という
態度を取り続けるとビスケット一個はゲットできます。
ヤッターっと、パクッといくのはビギナーだね、オイラは
喜びをみせずに淡々とパクッと食べます。口を開ける閉じる
瞬間にビスケットが消える、これがベテランの技です。
え~、ぼく、食べてないよ~、もらったっけ~、みたいな
顔をしてあっちを向いたりします。もう一個ビスケットが
もらえるかどうか、これが大事なんだなあ。
いちいちヤッターしないで??みたいにゴマカシ、目にも
止まらぬ速さで口を開け閉じ飲み込む、ここ大事。


ウソついたのつかないのって、そんなの結果みればわかる
んだもの。ウソから生まれるものなど無いからさ。
ヒトの記憶って、つまり脳だかんね。
脳はえてかって大臣ですね、つまり自分の都合よく書換え
書き換えしているうちにウソかホントかわからなくなる。
いや、明晰な脳ならば、わからなくなったりしないし海馬が
働いていれば正確に覚えていることもできるんだけどね。

言った言わない、やったやらない、ああしたこうしたとウソ
はいろんな場面で使われます。
我を通そうとしてウソをつくヒト、損得勘定ばかりするから
ウソつくんだろう? 結果としてウソで失うものは大きいと
なぜ計算できないのだろうね?
そこがミソです、はい。これがわかればヒトはウソなど
つきませーん。理屈じゃないんですねえ、ウソをついちゃう
ヒトの性質。直す(治すじゃないよ、直す)にはカメに
教わったアレしかないね。

ウソなどつかないヒトはたくさんいます。
ウソが習慣化しているヒトはみんなウソくらいつくじゃない
ですか、とか言いくさってるけど、そんなバカな!
ウソつかないのが普通なんですが、まるで世界観が違うのです。
ウソが常態化して、ウソも方便なんてもんじゃなくて、ウソに
まみれて生きているヒトが見ている世界と、ウソを恐れる人の
感じている世界は、どうやら著しく異なっているのですね。

犬はですね、ウソはつきませんから、薬を二度口に放り込まれ
呑みなさい!とおっかあが怖い目で言っても、呑んでお願いね、
とおっかあがやさしい目で言っても、同じです。
吐き出したのバレたら降参して呑む、あるいはもう一度抵抗して
みる、抵抗に疲れたら飲み込む。早いとこご褒美のオヤツを
もらった方がいいもんね。
正直、素直がモットーで、これが自然体です。

犬は自然体。そして、人が人ならば、非は非、是は是、でしょ。





 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美容師の彼

2011-09-05 21:43:43 | Weblog

え、彼と言うのはカレシ~という意味ではなく三人称の彼、です。
再会でした。6、7年ぶりくらいになります。車の中から通りになにげなく
目をやると、懐かしいロゴのフラッグが風にハタメイていました。
台風なのでバタバタと激しく揺れていて、ふだんは静かに形よく下げて
あるんでしょうが、大きく波打っていて眼についてしまいました。
よく覚えているロゴ、少しくたびれた色、フランス語の発音しにくい名前、
「特別な髪結い処」という店。



住んでいたマンションの一階にあった美容室へ近所のよしみで通い始め、
オーナーである彼の人柄がよくて数年間お世話になったのでした。
美容師が変わるのはけっこうストレスなものです。あちこち行くのが好きと
いう人もいるかもしれませんが‥、客なのに神経つかいまくって疲れる店は
二度とは足がむかないものなのです。
青山のど真ん中で独立して営業するのは難しいことなのですが、彼は若く
してある意味成功していたのだと思いますが、成功とかいう言葉をみじんも
みせない感じさせない、たとえると普段着の感じ、質素で、オシャレでした。
先に引っ越したのはわたしの方で、その後、周辺のビル開発に伴ってその店
も移転していました。

発見してから日を改めて訪ね、再会したのですが、彼は中年男の顔になって
いましたね、ソフトさはそのままでしたけれど、少し父親風な雰囲気もかも
していて(実際二児の父であり)昔と同じく帽子を被ってました。
椅子にかけ、何年も会っていないのに、ご近所づきあいしていたときのまんま、
先週の続きみたいな会話をしながらリラックスして過ごしました。

何がいいのかと考えてみると、彼はみかけは年相応の今風の青年でしたが、
礼儀正しいのでした。礼儀はお辞儀をするとかそういうことではなくて、
折り目正しい真面目な気持ちが伝わってくる人だったのです。
自己主張の仕方が上手でした。自己主張なくして仕事はできませんから、
その出しかたで人となりが定まり、強すぎたり弱すぎたりで、なかなか
上品にはいかないものなのです。



「‥特に三月からこっち、ひどいことでもみにくいことでも綺麗な言葉に言い
換えてしまって、内容はどうすんだ!っつうのにぺらぺらと納めてしまって
日本人って、なんなんすかね」と彼は言いました。
「そうねえ、ご唱和しましょうって感じだよねえ」とわたしも言いました。
嘘つけ、って思いますよ。
うん、バカだね、バカ。
バカっすか。う~ん、バカじゃねえ‥。
そういうやりとりを鏡越しにしながら、彼の顔が昔と違うことに気づきました。

言葉使いが柔らかなので激しいことを言っても嫌な感じに聞こえないタイプ、
いるでしょう、彼もそのタイプでもちろん意図的にそうしているんでしょうが、
今の彼は前と違って、眼が正直なのでした。気持ちを隠せない強い眼。

原発の放射能汚染地域の子供たちの話をしていたとき、彼はクールに話して
いましたが、ハサミは素早く慣れた動きをしていましたが眼が泣きだしそうに
うるんでいるのがわかりました。

昔のようにいつものようにダジャレとギャグと適当な噂をしておちょくって
さささっと仕事を終えてくれましたが、会わなかった時間があっというまに
埋まって、この数年間どんな暮らし、どんなふうに生きていたかが伝わって
きたのでした。
自宅と店と6キロの距離を自転車通勤してて、ほとんど強迫観念になって
やめられないんですよ、衰えるのが怖くてですね、と自嘲して笑っていました。



どんな歳の取り方に見えるのか、自分のことは自分ではわからないけれど、
旧知の人と再会したとき、相手との交流の中で、自分を映し出すことがある
気がします。

変わんないっすねえ、あいかわらずで、と笑いながら皮肉っぽく言われて
そんな感じで昔も言われてたことを思い出し、変わらないと映ることと、
相手も変わらずにいたことはやっぱりうれしいことでした。
変わって欲しいではなく、変わらないのはいいことと思える関係であった
こと、それはしあわせなことではないでしょうか。
反対に相変わらずワルだなあコイツってのに会った時のなんともいえない
胃液が逆流するような不快さも現実にはあるわけなので。

飾るのが嫌い、気取るのが恥ずかしい、ホンモノじゃないとという贅沢、
そういう自己主張が今の店にもひそやかに漂っているのを認め、いいぞ、
と密かに思って帰りました。
あ、店は特に繁盛している風でも困っている風でもなく、それも前と同じ
地道に続いてる、そんなふうで、前からの客が今も探して来ているという
話でした。店名に負けていないのか、店名を目標にしているからなのか、
どちらなのでしょうね。

伸びすぎてうっとうしかった髪を切って、頭がかる~くなった日でした。

















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発と白血病の因果関係(ドイツのテレビ番組)1/3

2011-09-03 02:41:16 | Weblog
原発と白血病の因果関係(ドイツのテレビ番組)1/3


3部作、長尺ですが原発の怖さが本当によく解ります。
日本のジャーナリストもこのくらいのしつこさを発揮してくれたら。
ドイツのテレビマンに脱帽です。福島のおかあさんたちへという
メッセージが最後3本目に流れています。

今月から福島の高濃度汚染地域で除染チームが始動するようですが
始動始動と何度も聞かされたので、ほんとかよ? という気持ちの
ほうが期待よりも強くなってしまって、この疑心暗鬼状態が、4月
から半年かけてどんどん膨らんで、いまや「アンキちゃん」と呼ぶ
ほど仲良しであります。

アンキちゃんがいる間は毎日寝不足ですな、眼の周辺にクマ君も
やってきたりして、うさこの白いお肌にテンテンちゃんも住みつき
そうで‥、あまりうれしくない居候たちだわ。

原発ドキュメントでぐったりこられたままだとお仕事やら家事やら
デートやらに差し支えるといけないのでこんな顔で元気になって
くださいませ~。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嫌な話もせねばならないわけで

2011-09-01 11:03:39 | Weblog

kakakaを更新しました。
大事な話です。そして嫌な話でもあります。

シマコちゃんはカメになついています。
シマコちゃんはカメを決して裏切りませんね、カメを信頼して甘えて
いますね。そして幸せそうです。



うさこもカメの作ったベンチで昼寝したりして、しみじみと幸せを
味わいます。こんな山の中、人知れず幸せです。
人に知ってもらいたい人は銭を稼ぎたいんでしょうけど、
銭はあとからついてきて、おまけに天下の廻りものです。
仕事とは、事につかえることだから、価値として金がついてくる。

きもちの悪い人が、増えましたね。
象さん、猫さん、すみません、愚かな人は罪でありますなあ。
体力はないけれど、怒りのためにへなちょこうさこも立ち上がり、
気力はばっちりです。
怒ると強いんだなあ~、本領発揮します、ご支援のほどよろしく
お願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一致団結であるよ

2011-09-01 01:03:16 | Weblog

団結してる? いや、ひっついている。





団結しているというよりも、和ですね。
和して同ぜずで、結果として団結。
何年ぶりでしょうか、立て続けにあくどいヤツに遭遇し、うさこは
めげてしまうのですな。

今回、ちょびっとだけ悟りましたよ。
人間、悪人もいるし善人もいる。両方いて世の中だわ、ってね。
これを実感として胸落ちするのが難しいんだ。
きっかけは、ナショジオの今月号。ケニアにある象の保護施設の話だった。
間引きや密猟で親や兄弟を射殺された子象を保護し、野生に戻すまで10年
も面倒みるのだそうだ。象は人間とよく似ているという。
豊かな感情の襞があり、親や身内や仲間を失ったショックはトラウマに
なる。生きる気力を失うほどに傷つくのだそうだ。

密猟する者、土地を失ったマサイ族の報復と野生の応酬、そして象を守り
育てようとする者。みな同じ人間なのだ。いろいろ、いるんだ。
それが実際に地上で起きていることなのだ。
名刺に象模様を使ったりしてる象好きのうさこはすっかり諭された。
いい記事であった。

子象が飼育員とともに寝に就こうとしているところを撮った写真、
象の背中は毛布に包まれていて、飼育員の眼は油断無くカメラを
見据えている。二つの心を繋ぐ糸を写しとっていた。
団結であるぞよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする