想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

日々是静寂寂

2020-04-23 16:29:59 | Weblog
猫ざんまいのY夫妻からの情報。
猫の口は肛門よりよほどばっちい、
とのこと。


かわいいお口に毎日チュッチュッ
してる、アホかいなと自嘲なのか
自慢なのか、かわいすぎて
自粛不可能らしい。


はーい、としてるわけじゃないのに
はーいと応じる(おそらく)Yさん。



仕事場へ向かう途中、路地から現れた
黒ねこが、すたすた前をいくその後姿
もこもこしててほほえましかったので
ずっと眼で追っていくとある内の玄関
先についた。
そこは通り道で、玄関脇に置かれた
たくさんの植木鉢の花をいつも眺めて
通る。家主とおぼしきご婦人が花鋏を
手に手入れ中だった。
猫ちゃん、かわいいですねと声をかけた。
「うちの子じゃないんですよ」
「写真撮っていいですか」
「はい、どうぞどうぞ……
卑弥呼っていうの、男の子だとばかり
思っていたらお腹が大きくなって、
大和って名前だったんだけど
卑弥呼に変えたのね、赤ちゃんは
可哀想だけど処置してもらって
増やしたらダメでしょう、だから手術
してあります。どなたか飼ってあげて
くださいね」と言われた。

卑弥呼はじっと座ったまま、ふたりの
おばばが自分の話をしているのを
聴いているやら、知ったこっちゃない
と思ってるのやら、猫の表情はとんと
読めない。

連れて帰れないのが残念であった。
で、写真をtwtに載せたが、フォロワー
少ないからなんの反応もなかった。
ないね、まあ……。
位置情報を開示してないし。
詳細は書いてないから。
東京、港区のとある場所くらい。
気になったらコメ欄によろしくです。
でもまあ今がしあわせかもしれない。

黒犬と暮らしていたからなのか
黒猫が好きである。
もこもこしているのも好みである。
残念だ、都内の住まいは動物と
同居できない建物なので。

今、この子がうちにいる。

昨日、ドラムでぐるぐるしてあげた。
さっぱりして、オイルヒーターで
乾燥中である。
この子はいつも眼を閉じている。
耳は空いている(おそらく)
話しかけると、暗号で返ってくる。
私にはわかる。
いっつも、ほんわかしている。
好みである。 
信じられないだろうが、
けっこう慰められるのである。


家にいる時間が増えたら気づいた。
サンスベリアの葉が伸びていた。
1枚だけすーっと。


こちらも。
買ったときは同じ背丈だったのに
いつのまにか、バラバラ。
陽があたる方へ伸びるものと
低くところで伸び悩むものと
育ちかたはそれぞれだ。
よーくみると、葉の縁取りの色も
微妙に違う。それぞれだ。
それぞれに、育って生きている。

近ごろは、人ではなく、うちの子や
観葉植物と話している。


そして、
渋谷の街はようやく自粛の雰囲気に
なってきた。シャッターが降りた店が
増えた。
地下鉄地上入口の囲いの壁に背中を
つけておじさんが正座していた。
路上の石畳の上。
膝の前に乾パンの空き缶。
今日もまた座っていた。
近くに「のじれん」の事務所があるのだが
おじさんに話してみようかと思っている。
心寒い日々。

























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桜を前に母を想う

2020-04-02 00:13:33 | Weblog
コロナは世界中を覆ってしまった。
例年5月に個展のために帰国する知人は
今年は帰れないと連絡してきた。
スペインもコロナが猛威を振るい、彼のいる
田舎の方は比較的落ち着いているが、国全体
が緊張状態にある。外出はできないので家族
とうちでゆっくり過ごしているのだという。
そして日本のニュースを見て、感染者数が
少なすぎるね、と言っていた。
それはオリンピック延期が発表される前日
だったから、あれから感染者はいっきに増え、
疑念はやっぱりということだ。
いつの時代も外からの方が日本の国情は
よくわかる。年々酷くなる有様だ。



さて、コロナで困っているのは、私の場合、
マスクやトイレットペーパーのことではなく
老人介護施設の面会が規制されたまま、
先の見通しが立たないことである。
老人は感染すると重篤になりやすいので、
当然の措置だ、掟破りは許されない。
遠く離れたところから家族が面会に行っても
ドアの小さな四角の窓越しに会ったという話
を聞くと、そんな切ないことならばビデオ通話
で我慢したほうがマシだと思った。

しかし、母の体調はあまり芳しくない。
今日も一言、二言、話してすぐに切った。
「風邪をひかんようにね」
と母は言った。
昨日は、「ごはんは食べたかい」だった。
元気でいるかい、しっかりしなさい、
と病床の母に私が励まされている。
母の顔色はいちだんと悪かった。

昨年のちょうど今頃、会いに帰って、姉たちと
母を囲んで食事会をしたことを思い出す。
あれからすぐに異変が起きて、もうダメかと
何度も危機はあったが乗り越えてきた。
三月は母の誕生日だから、去年も誕生日
までに書き上げたい本があった。
そしてそれを持って帰り母に見せることが
できた。母は喜んでくれた。
夏、秋、冬の始めと、しだいに悪化していく
のは高齢なのでやむをえないことと諦めも
していたが、三月になるとまた誕生日まで
どうしても生きていて欲しいと願っていた。

その日がくる前に、面会禁止になった。
空港へ向かう前に今日からダメになったと
電話があり、きても会えないと言われると
諦めるしかなかった。
ドア越しなんて辛くて耐えられない。

母がまた誕生日を迎えられたことは奇跡の
ような、思いがけないことだった。
だが、いっしょにそばで過ごすことができない。
急変しても、入室どころか施設に入れない
という。 
それならばいっそ自宅へと言ったり、姉妹で
うろたえていろいろなことを言い合ったが、
母がいちばん落ち着いていた。

「えらい病気が流行って恐ろしいよ、
くるなよ、きちゃいかんよ、おかさんも外には
いかんようにしてここにいるから」という。
好きに過ごしているから心配いらん、という。

しみじみ、母の辛抱強さを思って泣けてくる。
子どもの頃に、母に起きていたことを、記憶を、
ちらと思い浮かべるだけで私は今も身震いがする。
しかし母は我慢我慢の人だった。
その我慢が少しも恨みがましくないのだから
泣けてくるのだ。

私は電話をかけて、「たぬきですよ〜」という。
「はー、あーたは山のたぬきさんですかー、
よう出てきなはった」
あるいは「知っとるよ、たぬきの声がした」と
返ってくる。
今はもうたぬきですよ〜と言えなくて、
お母さん、大丈夫ね、と言ってしまう。
どうしようもない言葉だ。

そしてあのように、風邪ひかんように、
ご飯食べるように、と返ってくる。
おかさんはなんともないよ、と。

介護医療院は医師や看護師がいるが、
治療ではなく、緩和ケアである。
しだいしだいに何も効かなくなっていく。
衰えていくことを憂えてはいけないと
わかっている、とてもわかっている。
しかし、私は父亡き後と同じように
悔いばかり募り、祈るしか為すすべがない。

人を批判せず、人を恨まず、憎まず、
情がこのうえなく深い母。
ある時、よう似とる、情が深すぎて、なあ、
あんたもと言われた。
悩んでいることを図星に当てられて
戸惑う私に、しょうがなかよ、性分は
なおらんと言った。
長く生きて、どんどん透明になっていく
母のそばにいると心が安らいだ。

肉体を超越し、どうか「好きなこと」を
思っていられるようにと願う。
施設敷地内に桜がたくさん植えてあり、
明日は花見があるという。

誕生日の次はいっしょに桜を見よう。
現世の喜びかたをつぎつぎに、語った。
母はそういう私たち姉妹につきあってくれたが、
ベッドから起きられない今、悔やんでは
いないだろう。
もう母はすっかり祓い清められた魂の
世界へ、片足以上、二、三歩先へ行って
いるようだ。

願わくば恋しい人のそばにいられるようにと
また私は現世的なことを思ってしまう‥‥、
大変な苦労であったのに、父を好きな母、
どうしようもない、なおらん、ということ。
なんと純真な女人、なんと美い人なのだろうと想う。










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