想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ご存じですか?放射能土壌汚染のその後。

2017-01-16 22:25:40 | Weblog
(2012年冬のぷ〜ちゃん)

参加したクラウドファンディング
からお礼メールが届いた。
みんなのデータサイトが行う
(事務局長 石丸偉丈氏)
「東日本土壌ベクレル測定マップ」
マップと冊子を制作するプロジェクトに
305人が参加協力し、寄付金が
2,357,000円が集まったそうだ。
多いのか少ないのかわからない。
いや、少ない気がする…。

だって、みんなが住んでいる
場所を測るのだ。
どんだけ人口がいて、305人
なんだ?

放射能汚染は福島を挟んで南北に
及び北関東、東京、千葉、遠くは
山梨まで及んだ。
そんなこと言うな、という声が
こうしていても聞こえるようで
いやになるが…、
ほんとにあるとこにはあるのだ。
降ってしまったのだから。

6年経って、それが忘れられようと
しているようにみえる。
政府は終結宣言に等しい汚染地域
への帰還を促し、補償を打ち切る
ことを決めている。

しかし、補償をもらいたくて
避難したわけではない。
子どもを連れて帰る若い世代は
いないんじゃなかろうか。
高齢者ばかりの町って…
政府がずっと助けるとは言って
いない、帰れと言ってるだけだ。

住宅地域だけを除染しても風が
吹く。吹けば線量計は上がる。
山も川の水も、みなつながって
いる。そこらへんをちょっと
きれいにしました、帰ってきて
という話。

それよりも知りたいのは
放射能が今どうなっているか。

土壌汚染マップ作成は政府の仕事
であるはずだが、測っても彼らは
発表しない。
モニタリングポストの数値が
おかしいのも住民はみんな知って
いたし、政府発表は信じない。
ただ、考えるのを止めている人が
多いだけだ。

傷つくことをしたくないのが
人である。触れたくない。
見ないふり、知らんふり…。
胸の奥に閉じ込めてしまって
とりあえず今、という目先に
逃げている。

逃げられるだろうか…。
運がよければな、
運まかせ、さ。てな感じだ。
まだ6年しか経っていないから
そんなことも言える。
十年経てば病人が増え、騒ぎに
なって、また別の嘘に騙される。
そんなことを繰り返すのは
いやなこった。

色分けした正確なマップがあれば
考えなくとも見ればいい。
見れば、考えることもできる。
そこにあるとわかれば人はまた
違った行動をとるだろう。

放射線数値はベクレルなのか
シーベルトなのか、どっちが
どっちかわからなくても、
色分けすれば目で見てわかる。

政府が決めた除染基準0.23ミリ
シーベルトは年間にすると原発
事故前が年間1ミリシーベルト
だから約2倍である。
今また政府は、年間20ミリ
シーベルトで帰還を強要する
政策を打ち出した。

20倍でどこが安全なのか。
安全の代わりに政府は復興という
言葉をやたらと使っている。
安全とはいえないのだ。

考えさせないために知らせない。
知らせないために測らない。
測っても公開しない。
こういうことを事故直後から政府は
ずっとしている。
「直ちに人体に被害はない」と
事故直後から数ヶ月言い続けた
枝野議員の顔と声を今も忘れない。
原発の安全管理を放棄したのは
歴代与党の自民党だったが政権が
変わっても政府は同じことをして
きた。それが今現在も続く。

だから自分たちの手で測り、知り
考えるのだ。
それを始めてくれた市民測定所
有志の方々に心から感謝している。
それを支援する人々にも。それに
支援たってみな自分たちのためだ。

この前は福島産のリンゴを計測し
皮を厚めに剥いて食べることにした。
不検出ではなかったからだ。
農協の検査には合格してもゼロでは
ない、流通しているから安全では
ないということ。

リンゴから検出される理由は、
畑の土なのか、樹木そのものか、
はたまた風雨による汚染か、
色々考えられるが、現にキノコや
山菜類は現在も要注意だ。
川魚もゼロではない。
そういうことを忘れないために
あるいは改めて知るために
これからも積極的に測って
いきたいと思う。

リンゴは美味しかった。



生きるのは闘い続けること。
勝たなくていいけど
闘わずに負けたくはないので
あーる。




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承前)真心を以って死者を悼めよ

2017-01-04 02:36:56 | 
奈良時代以降わが国の官僚による
神道と仏教の政治利用はすさまじい。
天皇と宗教者はそれを止められず
むしろ、おのれの地位を維持すべく
私腹を肥やす者たちと手を結んだか、
圧力に負けたのか、いずれにしても
官僚のあくどさは今に引き継がれて
いる。
私心あるところに神は己現せず。

神職憲法の第十六条は後世の過ちを
予見していて興味深い。
「(前略)釈氏の自意を以て修い、
神祇をして成仏たらしめんと以て
浄土に送りまつる等の法においては
永えにきめてとどめ、僧をして
おこなうことを得せしむことなかれ」
僧侶が神域で祈祷をし神を降ろそう
としたりすることを禁じたものだ。

奈良時代末期は、早良親王の怨霊
退治に陰陽師と僧侶が活躍した。
桓武天皇周辺のみならず、災難は
都一帯に広がって治らなかった。
祈祷も効めなく方策が尽きた。
あげくの果て咎人と断罪した筈の
早良親王に祟道天皇と称号を奉り
さらにその怨霊を鎮めるための
神社を造った。これは神道の鎮魂
の方法でない。

これらは御霊信仰のはしりであり、
飛鳥時代にはなかった考えである。
神道では怪奇をもって説くことを
厳しく戒め、邪道とされたからだ。
密教僧空海が重用されるようになる
下地が、この騒動の頃にできた。

疚しさが募って恐れ、猜疑心が生じ
苛まれ、そこにつけ込む宗教者が
いて、すがりつく。この悪循環は
自らを禊ぐことを伝える神官が
いれば、断つことができたのでは
なかろうか。
または慈悲を諭す僧がいれば…。


(疚しくないけどスリスリ)

この事件はそもそもが新興仏教勢力と
仏教伝来時よりの伝統を踏まえた南都
仏教との勢力争いが背景にあった。
宮廷政治に高僧が関与しすぎたことが
要因を作り、そして対抗勢力はそれを
改めさせるのではなく新興の仏教勢力
を用いた。どっちもどっちである。

争いの根にあるのは官僚の権力闘争で
あった。ましてや道を説き人を導く
立場で政治の外にあるべき宗教者自身が、
道を外してしまえば、混乱は避けられない。

仏教は伝来以来、僧は国の保護を
受けていた。それが次第に財力を蓄え、
官僚と同等の影響力を持つに至った。
本来は無欲、無闘、無我に生きるのが
僧(和合衆)の道で仏の教えであった
はずなのだが。お釈迦さまからみれば
堕落である。

釈氏憲法第一条に
「(前略)欲、怒を生じ、己我を発し
和徳を失い闘争を為すは廃倫の盗びと
なり(後略)」とある。
仏道から外れた僧は盗人同然と。 

また釈氏憲法の第十一条に
「効験の有無は僧たる者の徳に有らむ」
とある。徳なくば、神はおろか、仏も
降臨しないと諭している。これは僧
に限らず神官でも道士でも同じだ。
祈祷したにもかかわらず天災も疫病も
治まらず、国も民も疲弊した。

平安時代に続いた混乱は武士の台頭を
招き朝廷はその権力を完全に失っていく。
法を修して私すれば邪道となる、の
結果である。
怨霊に負けたのではなく自滅である。

古代憲法の前文に
「高慢にして以て新たに異則を立て
政を為さばその世はおだやかならず、
社稷(朝廷、国家)は必ずひさし
からざらむ」とある。
失ってから悔いても遅いのだ。

古道の戒めは破られ続ける。
明治政府は新たな国家建設の核として
神道復興を画策した。この影響が
現在にまで及んでいるといえる。
公務員化した神官は祈るよりも帳簿
つけが仕事になったのである。

死を悼むのはヒトだけではない。
象は仲間と身内の死を悲しみ墓を
作るという。
死者は墓へ埋葬し弔う。古今東西、
古代から人はそうしてきた。
墓石があってもなくても、死者の霊を
敬い慰め、弔う気持ちを表した。
それが人の自然な素直な姿である。


(未だカナシミを知らず…太っちょ)

昭和の太平洋戦争で戦死とされる兵士の
多くが餓死である。
大岡昇平の「野火」より現実は悲惨で
あったろう。
銃後の人々もまた無差別の空襲で焼け
出され、傷つき、命を落とした。
死んだ人を弔うのはその人が生きていた
時を知る人の役目である。
悲しみ悔やみ悼む心が死者を慰め、
送ることができる。

これらのごくあたりまえのことを
腐敗した政治家と官僚がねじ曲げたまま
未だに誠実に死者を送ることをしていない。

古代を想うのは、人々が今よりもまだ
誠実であったことを感じることができる
からだ。
そこへいっきに戻ることはもうできない
と思うけれども、まっとうで率直な言葉に
励まされ、まだ立っていられるのである。
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死者を、社に祀るなかれ

2017-01-03 19:43:41 | 

年末年始にかけて首相閣僚の靖国神社
参拝が世界中に配信され、批判されて
いる。

天皇陛下も外国の賓客も靖国には
行かず千鳥ヶ淵の戦没者の慰霊施設
を訪れるのは、靖国神社が戦死者を
慰霊するためではないことが明白
だからである。

神社はその名のとおり、神の鎮まり
ます処を指す。
「古代憲法」神職憲法の
第一条に
「大社は天下を衛り国社は
国家を護り県社は群民を守る。
三社は風雨を領し禍福をつかさどり
これを以てはたらきとなす。(後略)」
(現代語訳省略)

第十四条に
「吾が国は天尊齊元の国なり。神代
すら尚、未だ人魂を祭りて神明に
混えず。人の代も之に随え。
皇、王、臣、連たち、先人たちを
崇むといえども神号を以てせざれ。
陵廟をまつるといえども祭締を以て
せざれ。之によって芳野、菟狭の
如く己現の霊神に非ざれば社祠を
造り祭祀を致すことなかれ。」
とある。

つまり、神社の区別と役割を示し、
神代の由緒ある神社以外に、新たに
神社を造り人を祀ってはならないとし、
また神と人を一緒に混ぜて祀っては
ならないと定めた。
吉野(金峯)や宇佐(神宮)は霊験
(由緒)あってのことなので特別で
あり、それ以外は神社、祠を造ること
を認めない、としたのである。

ジャーナリスト清水潔氏のtwtを
引用RTしたところ、ふだん静かなTL
に多くの反応があった。
戦犯合祀の問題以外に、そもそも論
として、靖国神社も明治神宮も神道
の原則から外れているのだ、という
ことを書いたのである。
twtでは文字数が足りないのでここに
条文を補足した。

古代憲法(聖徳五憲法)はまったくと
いっていいほど知られていない。
そこには、腐敗しきってしまう以前の、
この国の儚い夢が描かれている。

聖徳太子薨去後、晩年の推古天皇が
中臣御食子や河勝とともに憲法を
遵守したことが記録にあるが、奈良
時代になるとこれらの禁は完全に
破られ、まるで別の国と化していく。
法が変われば国は変わる。
憲法の重みとはそういうことだ。



神を祀る意味と、人の死を悼む
ことは別のことであり混同しては
ならない。
葬り方を伝えるのは仏教の務めだ。
人魂を神の位置に置くのは、神の
尊さに便乗するもので、死の意味を
欺くことになる。神に仕える神職者は
これをわきまえ禁を守れと定めている。

墓参を神社参拝にすり替え、死者に
偽りの格式を与えることで、遺族の
悲しみを誉れに置き換える。まさに
靖国神社はそのための装置であり、
神社とは名乗ってはいけない場所だ。











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