牛つながりで今度はとても幸せな話。
「農場の裏手にある丘の、野菜畑を少し上がったところには
デイジーが住んでいたが、これはベージュ色のジャージー牛だ。
デイジーは少女にいくつかの特典を与えてくれた。たとえば
食べものを噛みくだきながら、デイジーがゆっくりと午どきの
休息をとるあいだ、自分の暖かい横腹に少女がもたれるのを
許してやった。ときには傍らにいる小さな人間をふり向いて、
濡れた茶褐色の目でじっと見つめることもあったが、けっして
驚いた様子は見せない。お礼にメイベルは、デイジーに群がる
ハエを長いあいだ青い小枝で追い払ってやったし、デイジーの
水飲み桶をみたすためにバケツで水運びをするという、ひどく
骨の折れる仕事にも、何時間もついやすのだった。
………
ところが悲しいことに、こんなに骨を折ったというのにデイジー
はすぐに水を飲みにはやってこようとはせず、自分の気の向く
までは動こうともしない。それでも牛は、ときには情をみせた。
あるときはメイベルの行くところへはどこまでもついて歩き、
とうとう狭い通り路の茂みのあいだに挟まれて動けなくなった。
しかしゆうゆうとして胃のなかの食べものを反芻しながら、
何年かかろうと後戻りなどするものかと立ちつくしていた。
少女と牛は両極端だったが、たがいを尊敬していた。」
メイ・サートン「私は不死鳥を見た」p27から。
メイの母親メイベルは英国人であった。両親が仕事でカナダへ
行くためにウェールズにある農場に預けられた時の思い出を、
メイベル自身の手記をみつけたメイが、子どもの頃に母から
聞いた話とすりあわせながら綴っている「追憶の緑野」の章。
デイジーと過ごすメイベルのなかに何が起こっていたのか、
至福の時を描いたこの文章がとても好きだ。
子どもでなくても、動物と対等にふれあうことでどんなにか
柔らかな平和な気持ちで満たされることか、よくわかる。
人間から受けるのとは違う、手つかずの生の喜びというような
まじりっけのない幸福感だ。
家畜という言葉がどうも間違っているのではないかと思う時が
ある。その印象の悪さは、実際の牛飼いや養豚家、養鶏家の
暮らしをずいぶん貶めている気がしてならない。
牛を可愛がる牛飼いや豚の子を抱いてみせてくれた養豚場の
おじさんも知っているから。
ただ金のためだけに働くのなら人間も畜生であるけれども
生きものを育てることの難しさも、喜びも、また愛情も同時に
あって、ただともに生きて役割を果たしあっているというのが
本当の姿だった。きれいごとではなく本当にそうだったのだ。
「農場の裏手にある丘の、野菜畑を少し上がったところには
デイジーが住んでいたが、これはベージュ色のジャージー牛だ。
デイジーは少女にいくつかの特典を与えてくれた。たとえば
食べものを噛みくだきながら、デイジーがゆっくりと午どきの
休息をとるあいだ、自分の暖かい横腹に少女がもたれるのを
許してやった。ときには傍らにいる小さな人間をふり向いて、
濡れた茶褐色の目でじっと見つめることもあったが、けっして
驚いた様子は見せない。お礼にメイベルは、デイジーに群がる
ハエを長いあいだ青い小枝で追い払ってやったし、デイジーの
水飲み桶をみたすためにバケツで水運びをするという、ひどく
骨の折れる仕事にも、何時間もついやすのだった。
………
ところが悲しいことに、こんなに骨を折ったというのにデイジー
はすぐに水を飲みにはやってこようとはせず、自分の気の向く
までは動こうともしない。それでも牛は、ときには情をみせた。
あるときはメイベルの行くところへはどこまでもついて歩き、
とうとう狭い通り路の茂みのあいだに挟まれて動けなくなった。
しかしゆうゆうとして胃のなかの食べものを反芻しながら、
何年かかろうと後戻りなどするものかと立ちつくしていた。
少女と牛は両極端だったが、たがいを尊敬していた。」
メイ・サートン「私は不死鳥を見た」p27から。
メイの母親メイベルは英国人であった。両親が仕事でカナダへ
行くためにウェールズにある農場に預けられた時の思い出を、
メイベル自身の手記をみつけたメイが、子どもの頃に母から
聞いた話とすりあわせながら綴っている「追憶の緑野」の章。
デイジーと過ごすメイベルのなかに何が起こっていたのか、
至福の時を描いたこの文章がとても好きだ。
子どもでなくても、動物と対等にふれあうことでどんなにか
柔らかな平和な気持ちで満たされることか、よくわかる。
人間から受けるのとは違う、手つかずの生の喜びというような
まじりっけのない幸福感だ。
家畜という言葉がどうも間違っているのではないかと思う時が
ある。その印象の悪さは、実際の牛飼いや養豚家、養鶏家の
暮らしをずいぶん貶めている気がしてならない。
牛を可愛がる牛飼いや豚の子を抱いてみせてくれた養豚場の
おじさんも知っているから。
ただ金のためだけに働くのなら人間も畜生であるけれども
生きものを育てることの難しさも、喜びも、また愛情も同時に
あって、ただともに生きて役割を果たしあっているというのが
本当の姿だった。きれいごとではなく本当にそうだったのだ。