想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

いい子にしてたよ

2011-10-30 15:26:01 | Weblog
どうだんつつじの赤と、ベイビーの黒。
ステキなコントラストではないでしょうか!
って失礼、でもこのポーズは元気の印なのでお許しを。
動物病院に預けられてたベイビー、やっぱり我が家が
一番というわけで、森へ戻ってごきげんなのです。



紅葉もそろそろ見納め頃になりました。
留守のあいだに、強い風が吹いたとみえてすっかり裸
になってしまった山桜、それにきいろちゃんと呼んで
いるキハダの木、もうちょっとみていたかったなあ。

他所で緑豊かな景色を目にすると、つい福島を思って
美しさに感動するより先に涙してしまうような具合で、
汚されていない自然を、なによりイトオシク思うので
ありました。

今日は落ち葉集め。
腐葉土は作らないけれど、きれいにはき集めて冬仕度
をします。



恐れたり厭避するよりも相手をよく知ることが大事で、
セシウムもそれは同じこと。
半減期30年ということだけでなく、その性質をさらに
よく知ることで対処法はみつかります。
高圧洗浄で流すことができないのはなぜか?
それはセシウムに聞いてみよ、なんですわ。

間違った方法でいたずらに廃棄物を増やすのは未来へ
憂いを残すことになります。
目先の利害でじたばたするのをどうかやめて智慧ある者に
耳を傾けていただきたいものです。
人も然り。智なくば御せず。


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tabizora 旅空

2011-10-25 09:34:31 | Weblog
水平線、地平線。まっすぐ平らの線は、都会の真ん中と山ん中を
行き来する暮らしをしていると、心騒ぐ景色だ。



平らに一本、ずーっと伸びる線がもたらすものはそのまま平穏の
印象だけれど、若かった頃、退屈で逃れたい一本線であった。
大地と空はむかしのままで、歳を重ねるごとに変わってきたのは
張りを失いなっていく顔貌と‥‥、執着に翻弄された内面である。

歳月は、洗い流したい内面にやさしかった。
こういう時が訪れるとは、ついぞ思わぬことであった。
時薬と、何のかみさまが手配してくださったか知らねども
かたじけなさに涙こぼるる、の感であった。

地に、天に、まします神に、あらがってきたのは小さく愚かな自分で‥。








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忘却の印‥‥旅の途上にて

2011-10-25 04:44:56 | Weblog
つながれた犬、微動だにせず、目だけでこちらを見ていた。
ワンと一声欲しかったのだった。



見事すぎる、と思った。
家人は、どこへ行ったか? 逝ってしまったのか?
忘却に抗って、家が建っていた。
待ち人は、来たか?
いや、待ちもせず、呼ぶでなく、誘うでなく‥‥。
あるがままなのだった。





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2011-10-20 01:40:28 | Weblog
死のうと言われて一緒に死ねるもんでもないが、
生きるための話なら、少しはできよう。

たいしたことじゃなくて、その涙のわけや悔しさを
少し分けてくれるだけでいい。
生きるほうへと君の力が傾けばそれが万々歳で、
ちっとはましな友のふりができるというもの。



よく考えてみれば、ほんとうに死ぬ時はひとりさ。
声をかけてくれないか、ひとりになる前に。
夜更けに思いあまって、電話番号をなぞっては止め、
なぞっては止めたりしないでさっさとかければいい。

明日の話をふたりでしようぜ。
成功のときもしくじったときも、変わらないのさ。
まっすぐに歩けば、壁。
けれど、まっすぐを止めないから、友よ。

言葉をひとつふたつ交わしているあいだに、死神も不運も、
追っ払ってしまうさ。
ひとりではないことを、思い出してくれると、うれしいよ。

輝く朝日を、また迎えよう。






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無責任迷惑オヤジ

2011-10-19 00:44:00 | 
道路が壊れてからというものの、郵便受けが空っぽなのであります。
クロネコヤマトの集配所が山道へ向かう途中の、町中の端っこに
あるので、宅急便はそこで受け取れるけれど郵便物は待てども来ず、
本日とうとうお客様窓口へ電話したのでした。


(寝て待て、の省エネタイプのこの方は、だから長生きなのか?)

山の中へ配達するのは本局の人ではなく、酒とか雑貨とかなんでも屋
を営む村の真ん中あたりの家が郵便局と契約しているのです。
トウキョーの人はへえーって驚くかもしれませんが、わたしも最初、
やれ大雪だ、やれ台風だとお天気しだいで届かなくなる郵便がなぜ
届かないのかわからないうちは不思議でしたけれど、請け負っている
オヤジがとんでもなく無責任野郎だと知ってから納得したしだいです。

そのオヤジがまたやってくれたわけです。
道が壊れてたから溜まるまで放っておいた、というのが届かない理由
でした。電話したら「今日届けた、今日道が直ったから」と本局の人
に話したらしい。3週間以上も放置したくせに嘘つきです。

あんまりだなあ、と思いましたので、あのね、嫌がらせしないという
のなら云うけどね、と変な前置きをして本局の親切そうな電話をかけて
きてくれた人に話したのでした。

「あのオヤジ、前もあったんすよ、サボって持ってこないんすよ、
ちょっと道悪くなると、もう来ないんすよ、今度は電話もなかった
けど、前は電話かけてきて取りにこいって云われましたよ。
酒屋やってる人でしょ、あれ、ホントに郵便局っすか?」
と申し上げますと、本局の方はそらあもううびっくりされました。
うちで配達を契約しているのですがー困ったことでーほんとにもーと
おもしろいくらいびっくりされて、謝ってくれるのでした。

「いやがらせなどしないようにちゃんとうまく話しますので、
言っていただいてよかったです、ちゃんと届けさせますので、これから
はこんなことがないようにしますので、ほんとにすみません。
たいへんにもうしわけないことでした、ほんとにすみませんでした。
郵便局は決してまちがいのないようにいたしますので、安心して
ご利用ください。よろしくおねがいします」と言われるのでした。

謝ってくれている人が事実を聞いてほんとに驚いている様子なのが
気の毒な感じもしてくるのでした。
無責任オヤジはどこにでもいて、それはいくつだからとかどんな
仕事しているからだとか全然関係なく行われる態度であるね。
性根が腐っているっつうことなんだが。

あんな山ん中、住むヤツが悪いと逆ギレしてほざくのが目に見える
ようだねえ、留守のあいだに放火とかされるんじゃないかと
やっぱり心配になる。
防犯カメラがあっても保険に入っていても、怖いのはニンゲンの悪。
山の中に暮らしながら、そんなことを気にしているのもアホらしい。
しみじみと、ニンゲンの悪から逃れたいと思う日々であります。

あたたかな本、読みました。「神様2011」(川上弘美著)



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呼んでないよ…、君ねえ

2011-10-15 14:22:09 | Weblog
シマコの子、ブチャが縁側に置いてある親分用席を
陣取ってしまった。
東京から戻ってきてすぐにコイツと目があった…。



シマコはもうふた月姿を見せない。カメが心配して
いるのに、どうしているやら。元気でいればいいのだが。
シマコにはブチャは出来の悪い子らしく、ここに置いて
いったということだが。
ブチャは親心子知らずを画に描いたような猫である。
シマコのような愛らしさと仁義がまだ身についていない
のでイマイチ可愛くない。
まあ、呼んでないよ君と言っても通じない、動じない。





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ビフォーアフターin フクシマ原発

2011-10-11 01:04:32 | Weblog
今年3月12日の午前中、ベイビーは雪の上を走っていた。
森の春はまだ遠く、樹々は冬眠からいまだ醒めない頃だった。
おだかやな、静かな、夢見るような時を、この日も過ごしていた。

静けさは、続いていたけれど。
地震で那須の山が盛り上がり、こちらへ迫ってくるように見えて
くりかえしくりかえし、山を振り仰いだ日だった。


午後3時半頃だったか、ニュース速報で第一原発に白煙が上がった
ことを知った。まだ寒いけれど外はいいあたたかな陽射しで、日向が
ここちよい日だった。
少し、風が出てきた。日が翳り始めた。
風は強くなり、雨に変わった。



雨は雪を融かし去年の枯れ草が露になった。雨といっしょに放射能にも
濡れた日だった。ベイビーはそんなことは知らない。
外で思いきり遊べる春を待っている。



高速道路が封鎖され、物資が滞り、ガソリンがなく食べ物が店から
消えた日。うさこは森に閉じこもって、まだ本当の怖さを知らなかった。
ベイビーに合羽代わりのTシャツを着せ、自分もマスクと合羽に傘さしの
変なかっこうでしか、庭であるはずの森を歩けないのが堪えていた。
森が大好きな自分に気づいて、少し肩を落として。



高速道路通行止め解除、少しだけ楽になった気がした5月。
新芽が顔を出していた。森はこれから春だ。


桜も咲いた。いつも通り、ゴールデンウィークに咲く山桜。
今年は例年よりたくさん花をつけてくれた。花は桜。
桜って、祝いの花? 何祝う? と見上げながら、ちょい泣き。
桜はこころの花、日本人の。と気づいて、涙を拭く。
咲いてくれて、ありがとう、なんだと。


芽吹きの時、放射能などどこ吹く風で、森はどんどん新芽をつけて
にぎやかに緑の衣を織り始める。
このときはまだ知らなかったこと、3月のあの日、広葉樹はまだ裸で、
葉をつけていなかった。新芽もまだ‥。名残り雪と腐葉土の上に降り
注いだのだった。
ということは、新しい芽は汚れていないのだ。
反面、針葉樹の松は、松やにもあり、放射性物質が付着しやすい。
あの日もあおあおとして寒さの中で立ち続けていたのだった。

この森は人の手が入っていない分、自然のままにさまざまな雑木が
茂っている。特に落葉樹、広葉樹が多い。
福島は森と湖が美しい国。豊かな森が放射性物質を受け止める壁と
なって周辺地域へ拡散するのを防ぐ役割を果たしたようだ。
平らな土地であれば、もっと風は流れ、被害は広がったものを森が
ほとんどを受け止めてくれたのだ。



だから今、森はぐったりと疲れている。
森から降りてくる風は、けっきょくのところ、平地の人々の暮らしの
方へと向かって流れ、子供達の歩く場所へとあらぬものを運んでいく。
放射性物質は土を汚し、水を汚し続けている。

林野庁はなにをどうするつもりなのか。
誰か教えてほしい。
と言っててもしかたがないので、忙しく自ら働くしかないのである。
森が大好きだから、な、しかたがないぜ。
がんばるぜ、後始末だ。ビフォーアフター、美しまふくしま!







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チハー、秋ですな

2011-10-09 14:04:26 | Weblog
おひさ~です。ボクちゃん登場ですよ。
いつもいたんですけど、本日珍しく立ち姿なので使って
もらえるわけです、コンチハー、いい天気ですよ。

小さい秋小さい秋、を飛び越してもう中くらいの秋です。
台風の後、急に寒くなって木々はいつもより色づきが早く
なっているようです。
赤い実もあちこち生っています…。



一日づつ鮮やかさを増して秋が深まっていることを
教えてくれます。
春から騒々しくて、夏も遊べないままもう秋を迎えて
なんだか胸騒ぎばかりする日々でしたなあ。
年の瀬まで三月足らずになったけれど、春の始末は何も
済んでいないこの国の事情が個々人の生活に落としている
影はとても大きい気がします。

先週あたりからやっとです。
東京都内でも放射能数値が高い場所が少なくないって事が
ニュースで発表されました。
ひそかな不安であったことが明らかになったわけです。
内部被曝をできるだけ避けるために真実を伝える配慮が第一
になされなくてはならないはずですが、遅いですね。
実際には自力で自分の身を守るしかないというのが現状だと
いうことですね、怖いことです。

パニックになるからとかなんとか言われますが、いずれに
しても放射能は撒き散らされて、もうそこに在ることは
誰でもわかっています。ただそれがどのくらいなのかという
ことが重要な情報なわけです。
許容限度をあげたり下げたりすることの愚策をもう誰も
鵜呑みにはできないでしょう。1ミリシーベルト(年)を
20に引き上げるという理由、理屈のおかしさ…。
情報を出す側の役所、行政の方がパニックになっているのでは
ないかと思うくらい変です。

都内の放射能除染はほとんど進んでいないことを念頭に、
屋外では行動しなくてはならないわけですが、正しい情報
がなくては防ごうにも対処の方法が定まらない。
そんなときには想定を低く見積もらないで、用心に越した
ことはないのです。心配性のうさこがまたそんなことを
言ってるって思うなら思えよ~ですが(ほんとだってば)

いやー歳とってるからもういいよ、って言うそこのおっさん、
おばちゃん、普段は長生きしたいと思ってたんじゃないの?
今50、60でもう放射能は大丈夫、関係ないって?
10年から20年以内に癌が発症したら晩年はベッドの上ですよ、
それはつまんないことじゃないでしょうか。
若い人と子どもの未来のため、ばっかり言ってる中高年、
明日の我が身も考えないと他人事ではありません。

小さな庭に植えた木々、そこへやってくる小鳥たち、
公園と町中の住宅とを行き来する彼らの健康も不安です。
町中を流れる川も心配です。みなつながっていますから。

オイラは人間の年齢でいえば80歳は過ぎてるわけですが
おっかあはうるさいくらいオイラの身体を気遣いますね、
だって死ぬその瞬間まで元気でいろよってんですから。
手術してもらってまた山ん中で歩けるようになって、
一日一日がほんとうに、たのしいんだよー。
草、歩きながら食べるのダメダメって大声で怒られんだけどねー。
余生の楽には今が大事。


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カメの特技

2011-10-06 15:36:15 | Weblog
かつてはねずみ、今はカメとうさこに呼ばれている御仁の正体は
知ってる人は知ってるので説明はしないよん。
カメ先生の特技(本人が言ってるわけではなくうさこがそう思う)は
ユンボを使っての土方作業である。
これがあるとないのとでは大違いで、まあ山では無ければやって
いけないのである。



でもって、いつもいつもあてにしてしまって、申し訳ないかぎりだけど
今回の台風被害での道路崩壊にあたり、ふさがっていた別の山道
(っつても村道だし)を補修するのに、即日の出動だった。



役場の人にありがとうと言われたくないが、言われてしまった。
礼を言うより河に墜ちた道路を復旧する約束が欲しいのだが、来年だと。
あんまりなので苦情をたらたらと述べたてて、どうにか古い道の補修の
約束をとりつけた。
役場の人は繰り返し、「坂道どうします? コンクリの坂道が急なので、
そこは大丈夫ですか」大丈夫なわけないでしょ、と何度言っても聞いて
くる。鈍いうさこも気付いたのであった。
だいじょうぶと答えると、なんもしてくれないってことに。
オーマイガットのお役所仕事でありまする。



下り坂の正面は奈落、藪に隠れているが、谷底までそうとう深い。



下り坂を突き当たって急カーブ、次にまたゆるやかな坂道。
この先には渓流の水があふれてぬかるみになっていた。
応急処置はカメがやってくれたので、あとはここに砂利を入れてもらう。
雪が降るまでにどこまで直せるか……やらずばなるまい、なのです。

こちらのかみさまはよくはたらくかみです。




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一生に一度の秋

2011-10-04 10:11:09 | Weblog
秋は何度でも来るけれど、いつも一度きりの今の秋。
写真は昨年の秋‥、草ぼうぼうの中でベイビーがゴロンチョ、
でも平気で見ていられた、フツーの秋の日‥。
ここの線量はそれほどでもないとわかっていても、無いと在るは
絶対的に違うのだから、それほどでもないという表現は誰の何の
ためなのだろうね。
少なくとも、ベイビーのおっかあであるわたしのとっては意味を
なさない言い方なのでありますね、福島のお母さん方も東京のママ
も同じじゃないだろうか。
ただ、知ると知らないで違ってくる。
認識しているかどうか、そして認識の深さの違いによって心配の
度合いが変わるだけなのだ。

それにしても、情報はとても偏っているね。
知ってる人は専門家はだしで教えてくれるが、知らない人は何事も
なかったかのように暮らしている。
何事もないのがしあわせだって口を揃えて言うようになった時にさ。



「天の蓋は棟、地の横は梁、人の心は柱にあり これ神の形なり」
縦横真ん中、バラバラになっちまっって、漂うばかりの時代だなあ。
心、どこにつなぎとめようかと迷う人ばかり。
ここへいらっっしゃーーーーいと三枝師匠ばりに言いたいところだが
道が壊れてるからね、連絡無しはダメよん。
ムカエタノムと打電いやメールせよ。
カメがケモノミチをならしてくれたので、うさぎもカメも狐もそこを
通っているのですよ。クマは通らないはず‥だけど。

ただ今のBGMはCry baby ジャニス・ジョップリンなり。
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予感っつうか、遠眼鏡いや千里眼っつうか‥

2011-10-02 09:28:13 | Weblog
秋が来たと言っても今年の秋は紅葉に染まる森の樹々をどんな気持ちで
眺めればいいのか。美しければ美しいほど悲しみが増すだろうからなあ
なんてこと思っちまうこのごろであるよ。
東京の人、代々木公園の森はだいじょうぶかな?
福島だけの問題ではないぞよ、スピーディーのデータを文科省は隠して
後出しばかりしてるんだから。

ところで、なにげなく2010年10月のブログカレンダーをクリック、
いやなにげなくではないな、見たかったからだ、美しい秋を。
色とりどりの衣をまとった景色が遠出もせずに眼前にあるのを眺めて、
熱い紅茶とクッキー持参で、丸太のベンチに腰掛けて過ごしてた、
例年であればやがてそういう時間があったわけで、もうじきだったわけで。

予期せず、災いはふいに、訪れて、まだ去ってはくれず、居座りのままだ。
今年雪解けの春三月からこのかた、丸太のベンチは誰も座らない。

去年10月のカレンダーをクリックすると月末から逆順に見れる。
ベイビーの甘えた顔にふふふと笑いながらスクロールしていき、24日の
タイトルが目に止まった。
まねびの喜びと記している。

小林秀雄の「本居宣長」を引用した文章を綴っている。ああ、これかと
思い出しながら、書いていたときの気分らしきものが少し蘇ってきた。
最初はフンフンと自分で書いたものを確認しながら読んでいたのだが‥。
しばらくして、驚いてしまった。

『引用と比喩から始まったまねびがいつか
直感で伝わりひらめくときがやってくるのだ。(中略)
それらが脳内で形をとって表れ次に比喩の言葉も引用も
浮かんでくるようになる。その興奮がたまらない。
おもしろいことは他にもないことはないが、わたしには
カメに学ぶ旧事の世界が世界の扉であり、渡る橋である。』

そう結んで行間を空けた後、それまでの文章と異質な展開になっている。
本居宣長や旧事本紀の解釈の世界とはちょっと結びつきようもない
「I(アイ)君という人がいた』という書き出しで始まる。
I君とは、エテカッテ大明神とわたしが渾名した人物のことで、その人物を
つらつらと思い出しながら綴っている内容である。この時に実際には伝聞で
しか知らないのであったが、知らなかったわりには、約一年後のこの夏に
発覚した事実とぴったり一致することを書いている。

昔エテカッテ大明神のもう一つの渾名は「知ったかブタ(仏陀のモジリ)」
であった。
その知ったかブタが今現在、日々ツィートしたりまき散らしているのは
私たちにはなじみ深い言葉で、それを見た者はまず驚く。驚愕といった方が
リアリティがあるくらい、驚く。
カメこと源宗先生の教えの言葉そのものだからだ。
旧事本紀からの引用と解釈、例えば仁智義礼信、五常五行、人の道、なんて
序の口で、人の生き方なるものをとうとうと調子に乗ってつぶやき。
もちろん出典も引用とわかる表現もしない、知ったかぶりそのものだ。
(ハンドルネーム削除しておきます)その男はプロフィールに顔写真も使って
いるので、確かにエテカッテ大明神と知れる。

気持ちワリーなーというのを抑えて我慢しながら読んだというのが大方の
感想である。皆そう言いながらチェックしているようで、知らせてくる。
それを聞いた時もまだ去年のブログに書いていたことを思い出せなかった。



去年すでにI君はカメの言葉をパクって商売に使っていたわけであるが、
話を聞いた時点では軽い伝聞なので、さもありなん、だけどまあヤツには
先生の教えは理解不能であったし、それが教祖なんちゃって真似てやって
詐欺で掴まらなきゃいいが、位しか思わなかったのだ。
まだ気持ち悪いツィッターやmixi(ニックネームは○○様)の記事を目に
していなかったのだ。
それでも、おそらくこういうことするんだろうなくらいのことで去年の記事に
以下のように書いたのであった。

『カメの講義録や書籍や機関紙の類を引用、いやパクッている姿
を想像するに難くない。エテカッテの彼がかつてレポートの束をわたしに
持ってきたことがあったが(何のためかわからんが)、その内容はすべて
カメの講義録のパクリであった。いやパクル自覚もないレベルである。
ただ真似て引き写して、それを反復することでわかったつもりになっていた。
その先をつきつめるんだよ、当時あきれて、何度そう言ったかしれないが、
そのうちいなくなったので束だけ残った。
本一冊分くらいのレポート用紙の束はコピーされたもので使用した紙は
勤務先のロゴ入りの用紙。勤務中に書いていたらしい。本末転倒、その後彼は
管理職だった勤め先を解雇されている。』

ここに出てくるレポートとは「井上レポート」と当時呼んでいて、
今もファイルが保管されている。なぜ処分しなかったか、不思議‥。
I君の肉筆は特徴的で、それが今わたしの手元にあることを知れば彼は驚愕
することだろう。なぜ捨てなかったのか今にしてみれば証拠品。



自称門下生という者がいて、I君はその中に混じっていた。カメに学びたいと
集まっていた人のうち十数人の男子どもがオレらはずっと先生についていきたいと
だから今日から門下生だと名乗りをあげたわけである。
ならばそれらしく学べというのがカメの返答だったかどうかは知らないが、
ちなみにわたしはその仲間ではない。

門下生は自らが決めたルールから脱落したり生き方や利害で衝突しながらも
ビミョウな絆で結ばれていることは見て取れる。
彼らにとってはその中心にある重みがとても強固で大きいということ。
このたびのI君のパクリ事件でそれを知ったのである。
門下生達は激しく憤って許さんと言った。それを見てわたしはアラほんとに
あなた方は門下生だったんだねと言ったしだいである。
有事に臨んでしか本音って見えないものだから失礼したが、それは逆に嬉しい
ことであった。

さてI君は「まねびの喜び」を知らないままに不始末で逃げたのだから今の様子は
さもありなんだが、内実は寂しいし、不安なのではないか。可哀想な気もする。
しかしながら向こうはわたしを心底憎んでいるだろう。
会えば太ったからだで心臓に悪いだろうなあ。
ボクシングでブヨブヨの贅肉を筋肉にしたと喜んで自分の写真をバラまき、
下品を超えてしまった姿はトドメなし。なおさらに哀れだが、心臓は鍛えられない。
ココロはもっと鍛えられない。
ココロはやわらかにするしかない。

縁もいろいろ、さて、極まり易わりいかに定まるか、これからだ。

10/6追記 さてさてと言ってたら、ツィッター上のパクリ言葉が消えたようなので
こちらでもハンドルネームを削除しました。
過去ログでの盗用については記録してあります。
追って調査しているので再開されたら再度名前を載せます。
悪質な場合には他の件も公表するしかないですね、ネット上もリアルも同じ。
していいことと許されないことはありますし、自由って言っても法律犯しては
いけないでしょう。バレなきゃいいって感じで隠れてやってる人には日当たりの
いい場所へお誘いいたします、まぶしいよ~、お日様は。
さて、いかに定まるか、注視担当の皆様、不愉快でさぞかしお疲れ様でしょう
けれども、しばし継続のほどよろしくお願いします。




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福島の「希望」

2011-10-01 01:04:54 | Weblog
ナツハゼ夏櫨のジャム、今年はおあずけ~。
野鳥も食べに来ないでね‥。


木瓜の実って見たことありますか?
リンゴかと思ったね、5個成ってます、よりによってこんな年に!
って去年植えたんだったっけ。宮司さんにいただいて。
実をつけたってことは地に足着きましたということで、よかったね。

避難区域が解除されたニュースが流れても、喜んでる空気よりも戸惑い
の方を強く感じるのはわたしだけではないね、たぶんね。
スピーディーのデータを隠したのと同じやり方としか思えない‥。
解除すれば解決、原発事故収束、なんて短絡的な受け止め方を期待
してるのか? バカらしすぎる。
でも、ほんとにバカにしてんだよな~中央官僚と政治家達、福島の人を
田舎もんだと思ってバカにしてんなあ‥。

田舎ってすごいんだぞー、ウツクシマフクシマだぞー。
失ってなんかいない、今も福島は生きています。
美しまふくしまというキャッチフレーズ通り、美しい秋を迎えました。
人々は寡黙に耐え忍んでいるのです‥。放射能物質をどうしたらいいかと。
森と湖と川と、里山と、歴史ある町々。
あたりまえのように暮らしていたから美しいことを知らなかった人々も
故郷の自然のかけがえのなさに今さらながら気づいてしまって‥。
よけい悲しいんです。
うさこはよそ者でしたが今は福島大好き県民なのですよん。
別荘族ではないですよん。

官僚とか政治家とかじゃなくて、福島の再生に一生懸命(この言葉!)
文字通りこれから一生をかけて取り組もうって人々がいます。
それをお伝えできる日が早く来ることを願っています。

カメ先生にはたくさんのお力をいただいて感謝しきれません。

「希望」という言葉が、福島にいると身に沁みて突き刺さります。
とても美しい言葉。胸がキュッとなる言葉。
福島で今、希望とは私利私欲とは遠くにある言葉なのです。

追記/あ、いろいろあるけどぷ~ちゃんは元気にしています。
今足元で爆睡中、ぷす~っといい臭いもしていますけんね‥。
このごろぷ~の写真をあまり撮っていないだけです。
まとわりついて、うさこを慰めたり励ましたりハタライテくれてます!





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