(今年も独り身ではないシマコ‥‥カンロク姐さんモテモテ)
便りがないは無事な証拠、こういう言い方はもう古いのか。
病的ひきこもりが増えた今日、便りがないとはては病んではいまいかと心配、
ふだんからメールだけはくるが声は聞こえないというのに慣れているからメール
もないと気になるということだ。
「便りなきは無事‥‥」や「留守がいい‥」は声をかければ届く距離に人と人がいて
つながっている安心感があって成り立っていたのだろうと思う。
ケータイが普及してしょっちゅう電話する、どこにいても電話がかかってくる、
それがいつのまにか音無しのメールとなり着信音か振動音だけは頻繁に鳴っている。
便利かどうかなどいうレベルのことではない。
それなしで暮らせないというくらい生活に浸透し、それは考え方を変えるまでに
至っている。モノは便利な道具だったはずだけど、モノによって思考が変容する。
その思考はそもそも表層の部分しか見えていない程度の、軟弱な感情である。
動じない思考は頑として存在し、軟弱なものは常に流され埋没するサダメ。
病気になって存在感が増すというのは辛いもんがある。フクザツである。
長い間そう行き来もしなかった知人、仕事がんばってるなあくらい思っていたら
癌で闘病生活を送っていると知ってにわかに案じるキモチが募る。
うっちゃっておいて心配も要らないというほうが幸せであるなあ。
うちのベイビーはまたの名をプーと呼んでいるが、プーを抱きしめる回数が
増えて、しんみりする。プーと呼ばれ、きげんがいいベイビー。
抱きしめてぎゅっとして、それをワサワサッとほどかれて逃げていかれた方が
よほどいいのに‥。
ヤツはでれでれと抱かれてままで寝ころんでいる。
しかたがないので子守唄など歌う。
しんみりするのが嫌なので、途中で起きあがると、やや不満顔でさらにまとわりつく。
ヤツは病気のふりをしているのではないか、と思いたい。
思いの強さでリアルを変えたいなんて昔から考える傾向があった。
それは人間の原始的本能であると知ってからは控えている。
そっと祈る。そのほうがスジってもんだ。
人が本能のままに在れば、直ちに傲慢となりさがりかねないからなあ。
毎日帰ってくる夫がたまに帰らないと心配であるが、ふだんからいないなら
気にもしない。
定年退職してそばにいるようになるとうっとうしく思え邪魔者扱いする。
そういうニョーボーと、うちに帰ろうと帰るまいと働き続けたダンナ。
老後はふたりして一緒に寝坊してゴロゴロする時間を過ごすというのは
そうとう楽しいと思う。そういう夫婦もきっといるだろうが、しあわせな
人は己を語りたがらないから世間では熟年は退屈か離婚かなんて誤解する。
不満な声はデカイし他人の不幸は甘い蜜らしくそんな話ばかり取り上げられる。
そういう声ばかりだと世間の空気が汚れてさらにエコにわるいじゃん。
悲しくない話の、あっけらかんのキズナがいいなあ。
便りがないは無事な証拠、こういう言い方はもう古いのか。
病的ひきこもりが増えた今日、便りがないとはては病んではいまいかと心配、
ふだんからメールだけはくるが声は聞こえないというのに慣れているからメール
もないと気になるということだ。
「便りなきは無事‥‥」や「留守がいい‥」は声をかければ届く距離に人と人がいて
つながっている安心感があって成り立っていたのだろうと思う。
ケータイが普及してしょっちゅう電話する、どこにいても電話がかかってくる、
それがいつのまにか音無しのメールとなり着信音か振動音だけは頻繁に鳴っている。
便利かどうかなどいうレベルのことではない。
それなしで暮らせないというくらい生活に浸透し、それは考え方を変えるまでに
至っている。モノは便利な道具だったはずだけど、モノによって思考が変容する。
その思考はそもそも表層の部分しか見えていない程度の、軟弱な感情である。
動じない思考は頑として存在し、軟弱なものは常に流され埋没するサダメ。
病気になって存在感が増すというのは辛いもんがある。フクザツである。
長い間そう行き来もしなかった知人、仕事がんばってるなあくらい思っていたら
癌で闘病生活を送っていると知ってにわかに案じるキモチが募る。
うっちゃっておいて心配も要らないというほうが幸せであるなあ。
うちのベイビーはまたの名をプーと呼んでいるが、プーを抱きしめる回数が
増えて、しんみりする。プーと呼ばれ、きげんがいいベイビー。
抱きしめてぎゅっとして、それをワサワサッとほどかれて逃げていかれた方が
よほどいいのに‥。
ヤツはでれでれと抱かれてままで寝ころんでいる。
しかたがないので子守唄など歌う。
しんみりするのが嫌なので、途中で起きあがると、やや不満顔でさらにまとわりつく。
ヤツは病気のふりをしているのではないか、と思いたい。
思いの強さでリアルを変えたいなんて昔から考える傾向があった。
それは人間の原始的本能であると知ってからは控えている。
そっと祈る。そのほうがスジってもんだ。
人が本能のままに在れば、直ちに傲慢となりさがりかねないからなあ。
毎日帰ってくる夫がたまに帰らないと心配であるが、ふだんからいないなら
気にもしない。
定年退職してそばにいるようになるとうっとうしく思え邪魔者扱いする。
そういうニョーボーと、うちに帰ろうと帰るまいと働き続けたダンナ。
老後はふたりして一緒に寝坊してゴロゴロする時間を過ごすというのは
そうとう楽しいと思う。そういう夫婦もきっといるだろうが、しあわせな
人は己を語りたがらないから世間では熟年は退屈か離婚かなんて誤解する。
不満な声はデカイし他人の不幸は甘い蜜らしくそんな話ばかり取り上げられる。
そういう声ばかりだと世間の空気が汚れてさらにエコにわるいじゃん。
悲しくない話の、あっけらかんのキズナがいいなあ。