想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

もやもや~心霊写真っぽい

2008-09-30 09:57:01 | 
    樹々のまんなかに白いもやもや~って漂っているものが‥ある。

    焚き火です、枯れ草を燃しています。
    安納イモはまだ届かないので、気分がもやもやです。



    こちらの怪しい写真、
    もやもやの中に親分の虚ろな目が‥。
    でも、もやもやは髪の毛であるね。
    親分が喉をこちょこちょとやられてるところ、なーんだな的な写真であって
    ちっとも怪しかねえよ。

    心霊写真ブームなんて時々ありますね。本気にして持ってる人がけっこういたりする。
    日本国内だけのことではなくて、世界中にありますね、特に欧州。

    うさこは秩父の山へ行った時の写真に、あきらかに怪しげなのが二三枚あった。
    そんなときは本人もけっこう変なものよ、そりゃそうだって感じで思い当たる。
    あのころ、うさこは二十代で若かった。札所巡りが趣味だったし(渋過ぎ)。
    憑き物は変なヤツのところへやってくるわけで、吸い寄せるんだなあ。

    最近は、吸い寄せるよりはじき返すほうが多くて、なんにも寄ってこない。
    寄ってくるのは犬猫小鳥、はっきりしてる方々である。
    怪しいのはヒトのほう。

    見えすぎれば、もやもやってわけにもいかない。
    悲しみも怒りも、人一倍感じることになるんだな。
    非力について、あるいは非力な己について、腹立たしいと思う夜もあり
    非力ゆえに見えざるものを知り、静かに深呼吸する夜もある。

    深く息をし、ベイビーの寝息を聞く。
    うさこは己の分をわきまえるのみ。
    「あるべきやうわ」なのだ。

    その樹上座禅の人、明恵上人を再読しようと思って本棚を探すが、ない。
    どこへやったか?
    秋の高山寺、行ってみたくなったが、なにせ世界遺産登録されちゃって
    人ごみなんだろうなあ‥、すぐとなりに神護寺があって、ここはいつも
    紅葉の頃は人だかり。
    高山寺は人けのない静かなところだったのに、と思うから結局足が遠のくことに
    なってしまうわけで、森の中で夢想する高山寺と明恵さんの姿でいいわ。
    明日もいちど、本棚探索。
   
    
    
    
    
    
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ありがとうと言うのです

2008-09-29 13:44:32 | Weblog

  実りましたよ、紅いヤマボウシの実。

  6月は若葉で緑一色の森に白い花を添えてくれました。
  大きな木なので、その一角の白は華やかで、そして清冽なのでした。
  それだけでもじゅうぶんうれしくて、ありがとう、と言いました。

  


  ほんとうのことを言えば、秋の紅い実を期待して、ありがとうと言ったのですが。

  そして今年は昨年に比べても見事な実りです。
  まだこれから色づくのがたくさん生っています。
  足下にもたくさん落ちています。

  ほんとうのありがとうは、期待も形も望みもないところで抱くものです。

  だから、わたしのありがとうは、ヤマボウシの実に対してではなく
  目には見えないけれども、山に降りそそぎ満ちている気配に向けて
  もろもろのつながりの純粋な采配へ向けて。

  降り続いてうっとうしい雨に、そのあとに訪れる猛烈な湿気に、
  そしてそれを吹き飛ばす大風に、抜けるような空からの陽差しに、
  そこに生きる鳥たちに、風に乗った粒子に。

  紅い実に集約されたそれら諸々が
  今日もまた、元気に生きていろよとうながしてくれます。

  ありがとうと頭が下がります。
  
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夕陽を眺めて

2008-09-29 02:01:15 | Weblog

   むかしむかし、おおむかしの事ばかり読んでいるのである。
   同じものを読み、これは考証できぬから偽りであるという意見がある。

   また、「考証と人間の本質は違う」と言い切った人もいる。
   その人は続けて
   「憧憬や心酔は畢竟するところ何物も生みはしない」と語っている。

   旧事本紀という名の書物に、心酔している人ほど真偽にこだわり
   考証に及ばんとして議論するのである。

   心酔もしなければ、憧憬もないわたしにとって旧事とは、
   人間の本質を学ぶもの、ただそれだけのことである。



   ただそれだけ、というそのことに生涯ふりまわされ
   時間を費やし、金をかけるのである。
   人間の本質を知るために、人間をやっているわけである。

   ちがうか?
   って、隣でまた声がするんだもの。
   またまた気取っちゃって、みたいなー、
   はいはい、そうです、単に赤く染まってく空を口開けて眺めていただけですよ。


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おくりびと、満員

2008-09-26 06:01:31 | Weblog
  
  映画 おくりびと観てきました。
  
  整理券の番号順に入場するミニシアター系の劇場ではありましたが
  老若男女ほぼ均等、やや年配者が目立ち、満員なのに驚きました。

  納棺師という耳慣れない職業の二人の男、主人公である本木雅弘と
  社長役の山崎努がいい味だしてます。役者に負うところの多い作品という感じ。

  映画は大ヒット中という宣伝につられてこれからも動員するでしょう。
  さらに山形では日光金谷ホテルに続いて脚本の小山薫堂さんが町おこしに
  一役二役買ってる模様。この方はテレビの人だから大衆化すること、ビジネスモデル
  を作ることに長けているのですね。

  山形鶴岡市は藤沢周平原作の時代劇、山田洋次監督作品「鬼の爪かくし剣」の他、蝉しぐれ
  のロケ地観光コースがすでにあるようで映画づいているんですね。
  柳の下の泥鰌なの? (それにしても山田洋次の時代劇三部作、良かったですねえ!!)

  骨抜きが気になる人は他にもいるようでブログで小栗康平監督が撮ったらなあ‥と
  そこには書かれてました。
  同感‥かな、そこまで渋くなくてもいいけど、それにしても舌足らず、いや
  しゃべり過ぎな映画はどうも後味がよくないです。
  考えさせてくれないってことは感じさせてもくれないわけで、
  わかりやすさは何のため?って感じです。

  気になったのは、年配の方が多かったこと。
  歳をとって人生の締めくくりというか、旅立ちについて関心を持つように
  なるということを目の当たりにしました。
  でも、あれではわからんよー、ねえ、と言いたい。
  上映開始後にハーハー言いながらわたしの隣に座ったオバちゃん、感想聞きたかったよ。

  納棺師の仕事を描くというのは、どちらかというと逝く人へのメッセージではなく、
  送る側、看取る側へのものではないかと思います。
  死は新たな旅立ちへの門なのだ、という台詞があったのですが、
  その門の前で送る側、つまりわたしたちは生きている側でしか考えられない。
  死者を悼む心、偲ぶ心について考え直させる仕事なのですね、
  納棺師頼みで、死んだときはよろしく、ってことじゃあ‥ちょっとなあ
  違うと思います。

  お通夜に行ったとき、親族家族の方が葬儀屋さん頼みで何もしないのをよく見ます。
  このごろはどこでもそうなのかもしれませんね。
  沢木耕太郎が作品「無名」の中で、葬式の本を買ったと書いていたのをリアルだなあ
  と思ったことがあります、実際に直面しないとわからなくて不安になるものなのです。
  わたしは葬儀屋の社長さんに細かいことを何度も尋ねたことがありました。
  「おまかせください」と親切に言われますが、おまかせしてばっかりでは
  いけないと思うのでありますね。

  映画の中の人々は、山崎努演じる納棺業者に任せっきりでありました。
  そこで悟ってゆくのは結局、まかせないで引き受ける山崎、本木ご両人と
  銭湯のおばちゃんの親友だけなんですね、親友役、いいワキでした。
  
  原作「納棺夫日記」青木新門著を読むと、別な映像、イメージが浮かぶかもしれません。
  さて、観るか読むか、どちらにします? 両方?
  (数ヶ月待てば、レンタルビデオ、図書館、もありますから) 
  
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笑うとほそ目です

2008-09-25 02:00:59 | Weblog
      ベイビー、笑っているけど、目がほそいよ~

  子どもの頃は顔のことで、からかったりしますね。
  うさこはよく男子にからかわれていた子でした。
  顔だけならまだしも、足の形や水着を着たときのお尻の形、
  今考えるとよくぞ見てくれていたものよ、と思います。

  笑うと目がなくなる、とよく言われ、
  垂れ目とからかわれ、
  笑うと歯が出て出っ歯、とさらに言われ、
  そうなるとですよ、目をカッと見開いて口をすぼめて
  笑わねばなりません。
  ほんとうにそんな無理な表情で撮られている写真が
  あったことを覚えています。
  変な顔しちょるなーと母が言いましたが、うさこは
  どうしてなのかは説明しなかった。自分でも笑ったくらい。

  足の形が変と言ったのは、今もたぶん中学校の国語教師をしている
  はずの従姉妹、同じクラスだったのです。
  原始人間ギャートルズの足だあ! と大声で言い、上履きを
  脱げよと足をひっぱったり、乱暴な子でありました。
  中学校でどんな顔して教えているのか、だいたいの想像はつきます。
  14歳で激しいSだった彼女、ずっと独身という風の噂ですが、
  あると思います、世のため人のためです。

  

  で、うさこはかようなからかいをどう受け止めていたのか?
  つまりですねー、聞いてはいたのですが、反応しなかったのですよ。
  気にはなってたから覚えているのでしょうけど、
  顔ですもん。どうしようもないとどこかで思ってました。
  諦めてました。  
  結局、あれこれ言われつつも、シャカリキな子ども時代を過ごし
  男子にビンタを見舞ったりするお転婆だったのです。

  父に「勝って兜の緒を締めよ」と諭されたのは小2の時です。
  今でもよく覚えています。
  世のため人のため、よくぞ戒めてくれたと思います。
  オトナになったら二重瞼になり、まあるい頬はこけてなくなりました。
  それでも本気で笑うと細目になって、前歯のはぐきが見えます。
  つまり無防備なアホ顔になりますので、知らない人の前では
  鼻先だけでフフっと笑い、よけいなひんしゅくをかうのです。  

  顔問題、あなたの場合はいかがですか。
  人生、顔に出ますねえ、よくもわるくも。
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焚き火と焼き芋

2008-09-24 00:26:36 | Weblog

   落ち葉を集めて焚き火をする季節になったので、うさこは
   さっそくお芋の用意をし、楽しみに備えているのです。
   いまから注文し来月届く予定の安納いも!
   デパートよりずいぶん安かったので(種子島直送)偽物ではないかと
   疑心暗鬼‥‥、いろいろと調べたわけでした。

   安納いもというのは、種子島の特産品。
   (鹿児島県に育種登録され、種子島に限定許諾されている品種)
   バイオ苗を植えて育てます。

   銀座のデパートで五百円/gと高価。
   たかがサツマイモじゃないか、とあなどってはいけない特別なイモです。
   このところの人気に便乗して、種子島産ではない安納いもが通販などで
   出回りはじめ、本家の種子島では品質低下が懸念されているそうです。
   お芋の業界までパクリがあるのですねー、売れるとなるとすぐに
   疑似商品が出回る、まったく歪んだ商魂であります。

   種子島は、宇宙事業と農業、そしてカヤックやサーフィン
   など海のレジャーにやってくる観光客相手の商売で成り立っています。
   貧しい島暮らしに一発ヒット商品となったのが安納いもらしい。
   他にもパッションフルーツやアップルマンゴーなど南国ならではの産物が
   いろいろある。けれども、イモは消費量、需要ともに一番なようです。
   糖度の高い安納イモは洋菓子和菓子ともに材料に使われ、注目の的なのです。

   貧しい、貧しい、どうやって生きていけばいいのか?
   という窮地に神様、仏様、というのがこのお芋サマ。
   グローバル金融にこっぴどくやられた資源のないこの国で
   無策の政府の下で庶民はない智恵をふりしぼってどうにか
   生きるわけであります。
   充足しない飢餓状態だから産みだされる智恵と力。
   工夫と技術は、この国に生きる者の伝家の宝刀。
   見方を変えれば、「足るを智る」ことでもあると思います。

   種子島は、ちなみに製鉄、古代日本で製鉄の炉の遺跡が発見された場所
   でもあります。鉄は中国から来た技術だと思い込んでいる人が多いですが
   なんのなんの、日本の鉄と中国の鉄は精度が違います。
   川の砂鉄と鉄鉱石から削った荒い鉄の違い、溶鉱炉の技術の違いがあり、
   同じ鉄器でも鉄の産地が異なっているのです。
   種子島には古代社会があったということです。そしていま宇宙産業の拠点、
   最前線の地となっているわけで、なんだか興味のつきない島であります。

   イモを食べたいばかりに、いろいろと考えを廻らせたうさこ、
   日々生きるモチベーションはほぼこんなところにあり、
   これでいいのでしょうか? と誰に問うでもなし‥‥、風に吹かれて夜は更けます。
   (明日は今日の分も筋トレ!)
   
   ※風の谷のある土地は寒いところで、種イモ(じゃがいも)の産地。
    熊を招く心配から農作物を敷地内でつくるのを控えています。
    裏の山や近くの谷は熊の生息地なのです。


   

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まるくなる

2008-09-23 13:57:27 | Weblog
      この森は、よく雨が降る。そして大風が吹きまくるので、樹々は
      しなりながら伸びていく。
      だがこう降り続くと、たまの晴れ間に急いで撮るしかない。

      レンズが曇っていて、よくぼや~っとした画像になる。
      防水ではないのに、しとしと雨の中に持ち出して、
      (10年も使っていると扱いが雑)
      曇りがとれるまで小一時間、レンズが乾いてほっとした。
      当分、大事にしようっと。
      (新しいものを買うのに抵抗があるこのごろ。
       いや、かつての消費型生活の単なる反動にすぎないだろうけど)


             ~yogaする犬~まるまってます~

      かつて、といえば、うさこのかつては、トンガってましたねー、
      うさぎって感じからほど遠かった、ずいぶんと。
      それなのに、いつからか、ま~るくなって。
      昼寝ばかりするうさこになって
      しょっちゅう追い抜かれてます。

      ま~るくなってみて、我ながら驚きますことには、
      久しぶりに話した新婚の後輩に、「子どもはまーだ?」と尋ね
      「子ども、いたほうがいいわよ」と言ったこと。
      言われた方もけっこう、乗り気なような、驚いたような‥

      本当にそう思うのだからしようがないですが、
      実は「子ども嫌い」の二十代を過ごしました。
      三十代後半に少し免疫ができて
      (ハトのヒナとか、文鳥とか、うさぎとか、子犬とかで)
      だんだんと嫌いではなくなり、子どもを見る眼が変わっていきました。
      しかしながら、この世情、末世といってもいい時代に子づくりを奨励するとは‥
      行き過ぎではないか‥変わり過ぎではないか‥言い過ぎではないか‥なにゆえだ?
      と我ながら笑っちゃいます。

      歳をとったらまるくなる、角がとれるの説もありますが、
      意固地な方へ向かう年寄りもいるなあ‥
      寛容と年齢は必ずしも比例しないわけで、うさこは寛容ではないし‥。      

      まるくなってトゲトゲがひっこんできたのは、なにゆえかはさておき
      いや、ほんとうに、子どもが好きなのです。
      人は変わります。
      この場合、易の方のカワル、易るです。
      で、元には戻りません。

      変はコロコロと変化するの意だから、いつまた気が変わるかしれないわけで
      そっちではないようです。

      うちには人の子はおりませんが、親分がま~るくなったり、
      ときどき子どもだったりするから間に合ってます。
      カクカクした人とは、ともだちになりません(なれない、か)ので
      だいたい、みんなやさしい関係でありますね。

      で、「違うか?」とか「みたいな~」とか、
      よこから必ずひとこと言う手合いもいたりして、
      にぎやかであります。
      寂しかった二十代、あの頃のわたしに会って
      「ちがうか?」と言ってやりたいです。

                  ※ふるごと、更新しました。

   
      

      

      

      

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ふつうのしあわせ

2008-09-22 13:39:40 | Weblog
      んー、おっかあ、なんか食べてる?



      ご飯も食べた、おやつももらった、でも‥‥
      雨ん中でも遊びたいのになー。

      くんくん親分は雨が降ってもくんくんと歩きまわり、周辺チェックを怠りません。
      シマコの足跡など、特に要チェックして立ち止まってこっちを見ます。
      別に教えてくれなくてもいいんですけど、シマコは家族なんだから。

      一回りしてきて、雨用ウェアを脱いでもいいんだけど、
      今日は一日、しとしとなので、もうちょっとこのままで。

      

      夜、町まで用足しに降りようと車でゆっくりと山道を下っていたら、
      ライトに照らされて浮かびあがったのは一匹の茶色いシマシマの猫。

      ねずみ師は、すぐに降りてシマコに話しかけていました。
      「おい、シマコ、どこ行ってたんだ? 遊びすぎだよ、
       ごはん用意してあるぞ。」
      だそうです。
      シマコさんは、おすわりしてじっとねずみ師の話を聞き、車と反対の方向へ
      歩いていきます。ごはん食べに帰ってきたわけで、おうちがあるのは
      しあわせなことです。
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秋の光に包まれて

2008-09-20 23:13:12 | Weblog

   秋の光が射しています。
   素肌には少し冷たい風に吹かれると
   Tシャツで過せる季節がなごりおしい、
   いい気なもんです、はい、そうです。

   秋は遠足、運動会と行事が目白押しの季節だった
   こども時代。(今は春の運動会のようですが)
   うさこは秋が嫌いでした。
   理由は、我が家の事情にあります。
   記憶というのは恐ろしいもので、大人になっても
   子どもの頃のまま、秋が深まるにつれ憂鬱だったものです。


       ~昔よく見かけた野の花、懐かしいので~

父を好きでした。
   この秋は、父を偲ぶ日が多いようです。
   我が家の事情はその父に起因していました。

   大人にならないとわからない大人の事情というのが
   あります。
   当事の親の年齢を超えようとする今、わかってしまうと
   子どもだった自分を悔やみますね。
   子どもだからしかたがないのです。
   でも、できれば父の友人か恋人、あるいは愛人でありたかった、
   そして、「大丈夫です、あなたは間違っていない、どこまでも
   一緒に行きます、あなたと」
   そう強く言いたかった。

   月を見れば父を想うといつか書きましたが、
   この秋はほんとうに何年ぶりかで、よく月を見上げ
   父と話をします。
   とっくの昔に、父は「わたしの父であった人」になって
   しまっているのに、です。

   人は魂だけで向き合うと、父でも子でもなく
   一個の命として互いを尊ぶのだということがよくわかります。
   とても残念なことに、わたしはただの子ども、
   それも出来の悪い子でしたけど。

   月に向ってそのことを謝って、ちょっと心が静まるのです。
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「こうちゃん」須賀敦子

2008-09-18 04:07:22 | 

    須賀敦子全集第7巻に収められた「どんぐりのたわごと」の中に
    こうちゃん、はあります。



    すすきの穂がはじけてふわふわになるのはもうすぐ。
    こうちゃんは、その一本を持って、ぶんぶんと振り回しながら
    わたしの庭をかけまわっています。

    わたしは須賀敦子という類い稀な才能の作家について、ほとんど知りません。
    知らないまま読み始め、噂ていどの知識はありましたが、その批評のどれとも
    違う印象と記憶をわたしの中に強く刻んでいきます。

    こうちゃん、読みはじめて数分、目頭が熱くなるので
    驚きました。
    悲しい話が書かれてある訳ではないのです。

    中程で、気づきました。こうちゃんの正体に。
    やはり、そうかと。

    わたしはキリスト教文化に疎いのです。
    日本人の多くが実はそうではないでしょうか。
    小川国夫や遠藤周作を読んだにしても、です。
    須賀敦子という人が、その教養に深さに及びもつかないだろうほとんどの人に
    絶賛された理由がわかった気がしました。

    こうちゃんは、だれにでも見えるからなんですね。
    東西の文化や宗教の違いなど、人の都合にすぎないのだと
    読み終えて、激しく涙があふれてきました。

    肘掛けの部分が割れたので、添え木をしてガムテで補強した椅子は
    みっともないでしょうね。
    あたらしく買ったのより、すわりごこちがいいのです。
    それに対で、おそろいを並べたほうが、落ち着くのです。
    そのうちもう片方も壊れるでしょうから、そのときまで一緒に使います。
    

  

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おいらを呼んでいる

2008-09-17 17:33:23 | Weblog
     朝が来た。
     おいらを呼ぶのは、なんだろう。
     早く、早く、おっかあを連れて駆け出すのだ。



     匂うなあ、なんだ?
     おいらを呼ぶのは、だれだ? なんだ?



     ベイビー、それはね、秋だよ。
     小さな秋がそこにやってきとるんよ。
     匂うのは、枯葉。君の大好きな発酵した葉っぱの匂い。

     お願いだから、そこにスリスリとほおずりして
     秋の匂いをいっぱいつけて帰ってくるのは、やめてね。

     昨日、ねずみ師が言った。
     「音はなんだ?」
     ふ、なんだって、音は空気振動で伝わってくるんですよ~、とうさこ。
     「何が伝わってくるんだ?」とねずみ師。
     ふぇ、それは音でしょ。とアホうさこ。
     「だから音ってなんだ?」
     あ、あ、それはエネルギーでしょう、衝突によるものですね、とうさこ。
     「そう? で、それがどうしてわかるの?」とねずみ師。
     ふぇ?! そりゃ、脳でわかるのですよ、先生。
     「そ? どうして? 知覚しなければ、音は無いのか」とねずみ師。
     いえ、無音が無いので‥闇と光と同じですよ‥、とうさこ。
     「だから、音が音とわかるのはどうしてだろうね?」とねずみ師。
     

     先生はこうやってうさこをビシバシ、ビシバシと追いつめ
     日々、うさぎの昼寝を戒められるのです。



     アルファ親分に、くんくん親分が飛べ! と言われて
     トンでるつもりです。
     なーんももらえないのに、でも、ジャンプします。
     んー、イマイチ低いけど○、こっちは遊び。
     うさこも、考える遊び、遊んで人生は暮れてゆきます。
   
     
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男子の忍耐

2008-09-16 10:17:09 | Weblog
   めずらしく乗せてくれるのか? 親分。



   やめてくだせー、おいらは馬じゃないっす、はい。
   するりと逃げるのである。

   追いかけて、またのろうとする。

   どうしてもまとわりつきたい日もある。
   犬だけがじゃれつくとはかぎらない。
   けっこう、こっちからも行くので、親分は忍耐強い男子となった。

   

   Nつよし君はちょっと忍耐を知った。
   っていうか、要領がわかれば、仕事のおもしろみがわかる。
   よって、楽しいのである。
   まだ空には遠い、ふふふふ、食うの方がもっぱらである。
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ハリセンボンノマス

2008-09-15 13:06:06 | Weblog
   「(ゆびきりげんまん)はりせんぼんの~ま~す
   ゆびきった!」 
   とは約束を誓うときに交わす言葉。
   上の文に読点を打て、そして漢字に置き換えよ。

   ハリセン ボン ノマス
   ハリセン ボン ノ マス
   ハリセン ボンノマ ス
   ハリ センボン ノマス

   針千本ってどんだけ~、じゃなくてどれだけあるのかと
   考えていたら、ふと、読点(、)の位置がズレ
   オヤジ思考になってしまったのである。
   オヤジの思考回路とは、謎が多い。常々接してそう思うのであるが、
   それが自分の脳内で起きている。
   ゆゆしきことだが、これは感染に相違ない、昨今の事情から考えるに。
   軽い風邪みたいなものだと思う、いや思いたい。

   ハリセンをボンが呑むという絵がまず眼に浮かぶ。
   ボンはぼんぼんのことで、盆ではないよ。

   嘘ついたぼんぼんがハリセンを飲み込むわけもない、
   すると、やはり針を千本呑まねばならん、となる。
   その前に指を切って(たぶん小指だろうが)、万回拳固で殴られるわけだ。
   激しくも厳しい掟を子供同士で交わしていたことになるなあ。   

   ゆびきりげんまんと歌うのはこどものころから馴染みなのに
   どうしてもハリセンとバカボンしか思い浮かばない。
   兎追いしかのやま~、と歌う「ふるさと」の歌詞をずっと頭の中で
   ウサギ美味しいか、野山と思っていたうさこである。
   漢字に置き換わって意味を示さないかぎり音だけだと、いかようにも
   解釈を許すのである。
   かくして約束は守られなくとも、殴った覚えもないし、殴られたこともない。

   昨夜の雨があがり、朝から晴れた日曜日。
   本榊をたくさんいただいたので、庭木にするべく
   ねずみ師とNつよし君はスコップで穴堀りしている。

   約束を破るというのは、つまり嘘つきである。
   嘘をつかない人生はない。いいえ、決してという人ほど、嘘臭い。

   穴の中へ向って、これまでついた嘘を吐き出して
   その上に榊を立て、封じ込める。

   作業をみているうさこは、勝手な想像でにやつくのである。

   古代よりこの国では神さまが降りる依代に榊を使う。
   榊は旺盛な繁殖力と常緑がとりえの木、
   特に稀少なものだから使われたというわけではない。
   榊があるから神が降りるわけでもない。

   榊は浄めた場所の目印で、結界を示すのである。
   して嘘を埋めた上に、どんな神さまをお招きするか?
   善神か、魔か、それがもんだいにゃ~(と、ごまかしたい問題)

   天物梁命(あめのこやねのみこと)は善にはたらく。
   邪をよせつけないハタラキであるから、さしずめ
   うそぼんぼんにとっては、もっとも苦手な神さまだな。

   千本針を飲むのも、拳固で殴られるのも、苦手な神さまといるのも
   同じくつらいことだろう。
   ならば、千本針を飲んで喉を血だらけにして声を失うより、
   善の方へ向き直るほうを選んだほうが、まだ未来があるだろう。

   ‥‥というカンタンな式が悪事にまみれた脳にはわからない。
   汚染、感染の悪循環から脱するには、穴堀り作業などもってこい、 
   坊さんが作務をするのは、空になるため、悪事を考える脳を使わないためである。
   それにしても、うそぼんぼんの魂はどこへ行った?
   野山をかけめぐり逃げて行ったのかもしれないなあ、穴の中は暗くてやだもんなあ。

   妄想を繰り広げている間に植え込みが終わってしまいました。
   どうせ、猫の手とうさこの手はあてにされておりません。


     十三夜(12日撮影)

   
     十五夜(14日撮影)

   夜になり、満月を観ることが叶いました、高速バス停まで送ったN君から
   「高速道路は雨降ってますよ」とケータイメールで。
   なのにこちらの空は晴れて、雲間から月光。
   神々のお遊び~。

   「お父さん、ありがとうございます」とおつきさんへ向かってつぶやいた。
   月が見たくてガン飛ばしてたうさこにしては、チョーうれしい夜であった。  
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男子の甘え

2008-09-13 15:10:52 | Weblog
     しのぎやすくなったご隠居さん、若返った顔。
     イングランドから大西洋を渡ってカナダで漁をする人と
     ともに働いたレトリーバー犬、水に強くて泳ぐのが大好き
     だけど、暑いのは苦手。
     すっかり涼しくなった山の中、リキ入ってる顔である。
     
     なにせ、毛皮族。短い毛だけど一年中ぬくぬく。
     うさこは、この大きな背中に抱きつくのが喜びである。
     なんかひげをそり遺した頬でずりずりする感じに似て
     ちょっとMな喜び……、ややヘンタイ気味、いや編隊である。
    
   燃料費がかさむ季節が到来する。
   値上げでさらにアップするから、今年は炭の量を
   ふやそうかと思ったりして、そのたびに思うのは、
   エネルギーの自給対策。
   ここの特徴であるところの大雨と大風を利用して
   発電設備を! と考えたりする。
   しばし、理系脳になったつもり…考えてみるが
   …ビミョウ、電気についてほとんど知らないことに
   あらためて気づいただけである。ま、そのうちな。

   囲炉裏の炭が熾きていると家じゅうが暖かいし
   長持ちするし、温みがちょうどいい感じ。
   親分さんはいつも囲炉裏のそばが定位置なので
   火が入る秋から冬は特等席。
   歳をとってきたからね、あったかくてふわふわしたのを
   キッパリ断ったりしなくなった。

   ま、お汁粉食べる高倉健さんって好きなイメージなので
   許せるわ。

   何を意味不明なことを言っておるかと思われるでしょうから
   健さんの網走番外地シリーズを見てくだせー。
   吹雪の中で走り回る健さん、お汁粉もあんみつも遠い世界、
   暗いカウンターでトレンチコートの襟立ててバーボンって
   感じの「男」なのである。
   その健さんが女の差し出したお汁粉を食べ、低い声で
   「うまいっす」と言うってのが、このギャップが、
   たまらんねえ。

   甘味を食って絵になるのも、甘えて許されるのも
   ふだん強い男であるな、ひ弱な男子はツッパッテ
   忍、忍で(伊東四郎じゃないよ)鍛えて、あるいは
   還暦すぎるまで待たねばならんね。

   明日の十五夜、雨降りお月さんらしいなあ…
   夜だけでも晴れないかしらん。
   とりあえず今夜は、曇った夜空へ向って眼飛ばしてみる。
   団子作って待ってるぜいって。

コメント (2)
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イントウ・ザ・ワイルド 青年は荒野をめざした

2008-09-11 10:05:29 | 
      森の中へ、深く深く分け入って行こう。
      旅の先に探しあてるものは、何か?
      それはまだ見えないが、いつか‥‥



      行くんですかい 親分。
      何も持たずに‥‥、はだかのままで‥‥

      ソローの「森の生活」だけは持っていたそうで‥‥

      ショーン・ペンは好きな俳優の一人であるが、主演とか監督と聞くと
      もう映画を観たような気になって盛り上がる。
      日比谷や恵比寿の映画館は近くて遠いので、もちろんまだ観ていない。

      ジョン・クラカワー著の原作「荒野」は実話を追ったノンフィクションである。
      それを下敷きにしてさらに取材で得た事実を加味して脚本が書かれたという。
      ショーン・ペンらしい話だと思う。

      これらはプロモーション用の雑誌記事などで以前から書かれていて
      周知の話だが、作家沢木耕太郎は朝日新聞の批評欄で「穿った見方」と書いた。
      取材して加えた事実はショーン・ペンの主観ではないかということだ。

      素材が実話であっても映画や小説といった作品の形をとれば監督の主観、
      思想がそこに色濃く映し出されるのは、当然のことである。
      原作に忠実であることに意義があるかなしかは、見る側のあるいは関係者の
      軸足の重心がどこにあるかによる。
      沢木耕太郎がノンフィクション作家であることを、こういう批評で思い起こすのは
      残念である。
      (対象との距離を絶妙に測って書かれた一連の作品から感じられる
       冷静な印象のある沢木氏らしくない一文、たとえばこれは私の主観だ)

      火宅の人、檀一雄を描いた「檀」、それから実父を描いた「無名」など
      深夜特急を読む若者でなくとも市井のオトナにとっても魅力的な作品の多い
      沢木耕太郎なので意外に思え、眼が止まった。

      原作を凌駕しているとの評価の高かった、映画の最後の場面になる
      美しくも厳しい大自然を映し出した映像はやはりすばらしかった、と
      最後に付け加えてもある。末期の眼に映った景色だろう、とも‥。

      まあ観ないうちにはなんとも言えないのに言いたいので、すまんが言うが、
      (評判というのはこうやって外野が騒ぐから盛り上がるんだなあー)
      主観や「主観によるかたより」さえもが、興味深くまた感動的であるのは
      主観の持ち主に魅力がある場合である。
      これこそ感性の世界であって「表出した既成事実調査」とは離れた
      素粒子的問題である。
      そのほうがエキサイトするではないか。

      これは映画館の大画面を前に、何も食べたりせずに観るべきだなと思うが
      日比谷は縄張り外なので、ちょっと地下鉄に乗って~という具合に足が向かない。
      銀座線も千代田線も日比谷線もあるだろうが、なにせわたしは霞ヶ関より
      東になかなか行かないんである。このごろの恵比寿などもっと行かない。
      246から晴海通りは日比谷公園を横目に突っ切って、銀座も通り越し
      大歌舞伎座前で減速。左折すれば高速入口である。
      ここで立ち止まるには、相当の魅力、引力が必要なのだ。

      ということは、結局のところ、DVDを大画面で、
      いや中画面で、たぶん観るのかなあ。
      沢木耕太郎がベタ誉めしていたら、DVDさえ観るのはいつになるか
      わからないので、主観とはかくも勝手なものだと我にして思う。 
          


      いつだって~どこでだって~はだかであるが、本日は首飾りいやチェーン取り忘れ。
      駆け出したのは、腹が減ったから。
      親分は旅には出ない、荒野では迷う性分である。
      これから先もおっかあに引っ付きまくる一生だ、ブラボー。
      これも冒険じゃ!
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