想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

曇り空の朝には Duid Deed

2014-09-18 10:22:59 | Weblog
Bud Powell - Duid Deed



素の元気になれるんだなあ、これが。
バド・パウエルは朝、モンクは午後から夜。
もうずーっとそばにいてくれて、ありがとう。

今はCD持ってなくてもyou tubeで聴ける。
でも山ん中だと…電波よりアナログだから
古いレコード…。

風が出てきた。

仮字とかいてかなと読むやまとことばも
音の世界。

音は自分のなかに雑音があると聴こえない。
つまり読めない。

音はわかりやすい霊しきのさきっぽのこと。
NO JAZZ NO LIFE  
金で買えないもの。

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住んではいないが…除染

2014-09-11 11:03:40 | Weblog
フレコンバッグ(「汚染」土を入れて運ぶための袋)という
物を、あちこちで目にする。
「原発稼働した方が地域が活性化する」という意見に
接するたびに、あなたの住んでいるところにこれがあると
したらどうだろうかと訊きたい。
規制委員会で審査が通ったからだいじょうぶと言う人に
いや、今まだこれがあちこちにあって暮らしているのだ
この袋はどう片付けるのか決まらないのだ、あなたの家
の庭先にあったらどうだろうか? と訊きたい。
胸のうちで、その思いがいつも湧き上がる。



この地域は不幸中の幸いという言葉が当てはまる処だ。
雨と風に運ばれて、隈なく降った放射能の量がほんの
少し中通りや北部より少なかった。
もちろんホットスポットはあって、3km離れた牧場は
そこで牛を飼い続けていいのか?というほどに汚れた。
村じゅうで除染が続き、夏から山奥のこのあたりまで
順番がまわってきた。

けれども写真の場所は別荘地で、誰も住んではいない。
建物はあるが原発事故以後は、一度見に来たきりで
その後は姿を見かけない。
それ以前も草刈りや庭の手入れをする持ち主ではなかった
が、無惨に荒れ放題なのだった。
村では人が住んでいるところは0.23μsv以下を目標に除染
すると通知してきた。
ここは住んでいないけれども対象になった。
都内に住む持ち主が承諾書にサインしたからだろう。

庭はきれいに草刈りされ、土が剥がされ、置きっぱなし
になっていた廃材も汚染物として回収されたので、
建物以外は新築時のようにきれいに片付いた。
黒い土肌が露出した庭には山砂が撒かれるのだろう。
草はとうぶん生えない。モノグサな持ち主には都合がいい
だろうが…

建物のある百坪余りを除染したところで、その周囲に
広がる林と薮は捨て置かれる。空間線量は一時的に下がる
が強い風が吹けば上がる。
環境庁は山林の除染はしない方針だから宅地だけ行うと
いう話だが、人口比に対して山林面積が大きい村には
放射性物質が今後数十年に渡り放置されることになる。

不景気で税収も落ち込んだ村では除染事業は雇用促進に
つながったというが、ごく一部の人々のためでしかない。
それは目先の活気に過ぎず、豊かな自然だけが取り柄の
この村が以前に戻るための施策はなされていないのが
とても残念だ。
官製談合というオマケ付きの除染、絶望した住民を再び
背後から突き落とすような裏切りかたではなかろうか。

樹木や竹薮は一度刈り取り、下草を払い、表土を剥がす
ことで放射線量はぐんと下がり、全体的に下がる。
放射線量が下がったことはガイガーカウンターだけでなく
身体で感じてわかる。
息をして、なんとなく軽い感じがするのだ。
まとわりつく息苦しさは心因性だけではないと思う。



我が家の敷地内で色々と試してみた。
風のない日の線量は、東京とほぼ同じになった。
数値を見て、気持ちが明るくなるのがわかって、そういう
ことなのだとしみじみ思う。



水がきれいなことが救い…これを守っていけるかどうか
不安といつも隣り合わせなのだが…。












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猫の耳にめげる日々…

2014-09-03 21:38:58 | Weblog





江戸ちゃんはミルクのおかわりももらって、子どもたちも
おなかいっぱいで、ありがとうというか、ヨシ!なのか
目を細めて満足気な顔です。

で、催促しすぎてメッと言われたので、ちょっと休憩、
昼寝でもして待つか…



ようやく静かになったと思っていたのですが、物音を
立てたり、椅子から立ち上がる気配にも敏感に気づき、
ガバッと置きて、またチョーダイチョーダイが始まるので
コーヒーカップをそうっとテーブルに置きました。
そうっと、音を立てないようにしたつもり…
ほんの小さな、コツッというか言わないか、気づかない
くらいの音だったけど、江戸ちゃんは顔をあげ、首だけ
こっちへ向け、じっと秋波を送ってきます。
秋波っつうか、食欲で(笑)。

猫の耳は犬よりさらによく、超音波も聞き分けるそうで、
縁側から突然走りだし、草むらにいる獲物にとびかかって
いくのも合点がいきます。
まったりしているように見えて、聴こえているんですね。

広島の土砂災害で、黒ラブを飼っていた女性が、未明に
騒ぐ犬の気配で目覚め、窓の外に土石流が迫ってくるのに
気づき間一髪で脱出したという話がありました。
暗いニュースのなかで、うれしい話でした。
ラブちゃんの体重は54kgとありましたから、最近には
珍しい正統派のラブラドール・レトリーバーですね、
おかあさんは家を出た後はラブちゃんの足が泥にとられ
歩けなくなるのを引っぱりあげ抱きかかえて逃げたそうで
ほぼ火事場のナントカです。重かったろうと思います。

傷つけられても吠えなかった盲導犬オスカー君も立派に
パートナーを職場まで送り届けました。ふたりの命が無事で
本当によかったと思いました。

動物の能力やありさまに驚かされることが多いけれど、
ヒトもむかしむかしは、見えないものを見、幽しものに
気づく力があったのだと思います。

最初に神に気づいたのは誰なんだろうって思うことが
しばしばあります。古伝の記述の意味がわかってくると
ああ、そうか、これは感応しなければ書けない話だと。
伝承には初めがあるのだから、だれだ? と。

でも「なぜ」とか「だれ」とか思うのはヒトの、それも
新しいヒトの特徴なんだろうとも思いますね。
疑問はヒトを進歩させてきたのだろうけど。
失ったものが大きい気がします。

空を見上げていると、「なぜ」よりも「ああ」の方が
増えます。目を閉じると、もっとそうなり、「ああ」も
なくなり、無になれます。
ソラではなく、空ですね。



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