想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

再稼働正式決定の日のボク

2012-06-30 16:51:38 | Weblog
はい、この夜はこんな顔してました。
眉間のシワ、わかります?
ぼくのうるんだ瞳に、おっかあの顔が映っています。
おっかあは、週末なのにトウキョーにいて、いろんな人と
会って、帰ってきてからもなかなか眠れないようでした。

お布団に入ったかと思ったら枕をドン、ドンと叩いていました。
ぼくは、シッポでバンバンと相槌を打ちました‥
ちがうよ、ぷ~ちゃん‥‥とおっかあが言いました。
ぼくと遊んでるんじゃなかったんですね、おっかあは。

「がんばれって言われると辛いので言わないで下さい」
これは震災地に行くとよく聞いた言葉だった。
一年が経ち、がんばるにもどうしようもないだけの人々は
再稼働決定を怒りをもって聞いた。
警戒区域解除されて避難先から戻った町や村は夏草に被われ
歪んだ道路や錆びた壁、生気のない風景の中で。
高線量なのに避難区域に指定されないままの市街地で。
怒りはまるで関所に隔てられた封建時代さながらに、遮断
され他所の住人には届かない。
もう忘れたのか、がんばらなくてもいい私たちが応援すると
言った言葉を。

わたしは正確にいえば、被災者である。被害が少ないと
当初思っていたが、違っていた。
被害は大きすぎるほどで、じゅうぶん被災者なのだった。
けれど、何かしてもらえるわけでもない。何の補償もない。
病気に罹らないよう自己防衛の手だてをするしかない。
罹れば呪いたいだろうなあと思ったりしながら。

東電が決めた基準の、金額で表される被害の大きさは、
世界初、地球上初の原発大事故を自然災害かなにかの
ように小さい。(チェルノブイリの4~5倍ともそれ以上とも
言われているのに)よくあることで、いつか片がつくという
ような扱いかたとしか思えない。

東電と電事連(電気事業連合会)と野田内閣、自公民の
背広を来た面々は、どんな暮らしぶりなのだろうか。
何を食べ、どんなベッドや布団に寝ているのだろう。
家ではどんな音楽を聴いているのだろうか。
何を読んでいるのだろうか。
何を視ているのだろうか。
テレビ局の人も観ていたというネット中継の1万1千人の
デモは視ただろうか。

昨年秋9.19、明治公園に集まった5万人いや6万人か、
夜遅くまで明治通りから渋谷の繁華街へデモの波が途絶え
なかった。テレビニュースは集会参加者の数を正確に伝え
ていた。原発事故から半年後のことだった。
そして、一年三ヶ月が過ぎ、再稼働反対の官邸前のデモを
伝えたテレビニュースは無かった。

16日、西川福井県知事が官邸を訪れ、野田総理と閣僚3人
で再稼働了承の顔合わせをした朝、雨が降っていた。
前日と同じ場所には早朝から少しづつ人が集まり10時を
ピークに(西川知事到着予定時刻)人は500人に増えた。
テレビでは今日、再稼働が決まったとキャスターや評論家が
安全はだいじょうぶでしょうか、と問題視した発言をし、
当日朝の官邸前に集う人々を映し出していた。
テロップには500人が集まったと流れている。
全国ネットのテレビ放送で、抗議行動をしたのが500人と
しか伝えないのだった。前夜の1万500人と幾足かは数の
うちに入れなくていいのか。

政府もメディアも、事実を小さく、何事もないかのように
伝えるばかりだ。そして多くの人が、安全と言ってるんだから
大丈夫なんだろう、と思ってやり過ごしている。
もう福島の人に「がんばってください」とも声をかけない。
東北三県だけではない、関東以北に住む人々が疲弊していく
のを不景気のせいにさえしている。

わたしは官邸前行動の時、「あなた方は想像力の欠如」と
野田内閣閣僚と官僚たちを批判したが、それは彼らだけに
限ったことではない。
舌足らずな駄文しか書けない自分なのだがじっとしている
ことはできない。
自分が行かなくても、自分が言わなくても、誰かがやって
くれる、誰かが反対してくれる、という思いはもう通らない
のが現実なのだ。

黙って、じっと、手のひらを上向きに広げていれば何か
落ちてくる、何かもらえるなんてことはないのだ。
いくら待っても、何も来ない。
望むものは、自分の手と足と、全身を使って取りに行くこと
でしか手に入らない。
全身とそして全霊をもってかからなければ、失った平和は
戻らない。

平和と思っていたものがまやかしだったことを深く反省し
その陰に嘆く人や打ちのめされながらも激しく闘ってきた
人々があったことを、思い知ったはずなのだ。

することがわからない、何をやればいいかわからないと
いう人もいる。できるだけ声を掛け合おうと思う。断られ
てもいいんじゃないかと思う。伝えることが一歩目。
7月16日はさよなら原発1000万人署名集会












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純然たる幸福、市民革命の時

2012-06-16 17:55:05 | Weblog
ジョルジュ・バタイユの言葉。
「純然たる幸福は瞬間のなかに存在する。
しかし苦痛が私をこの瞬間から追い出してしまった。
私は苦痛が静まるはずの未来時の瞬間を期待して
しまったのだ。もしも苦痛が私を現在時の瞬間から
引き離すということがなかったのならば、《純然たる
幸福》は私のなかにあるはずだろう。」

この文章は【自殺】という章タイトルがつけられているが
それに惑わされて読む必要はないだろう。
バタイユの目指すところは純然という言葉に表されている。
世俗の価値とは断絶した孤高にあって、対比するものを
もたない唯一の場所である。

こんな言葉を思い出したのは、昨夜の首相官邸前に
集まった人の群れを見たからであった。
大飯原発再稼働反対を叫び、野田総理が8日に行った
愚かな声明を撤回してほしいという切実な声が続々と
集まった。狭い舗道を占拠し、道幅を超えあふれた人の
数と怒涛の声は、議員達が集まる会館まで届いていた。
官邸にももちろん聞こえていたはずだ。

この集まりをけん引している数人の言いだしっぺは特定の
団体組織ではないので団体の幟をたてたり、宣伝をしたり
しないようにという注意の声が人々へ向けてなされる。
いつも、必ず、それは言われ、人々を結びつけている理由
となっているのだろうと思う。一人で来ている人が目立つ
のも市民集会らしい風景だ。

社民党の福島みずほ党首が応援に来て長々と演説した日、
話終わったあと静かな声が、この場は政治団体の集まり
ではないので以後注意をと付け加えた。
福島さんの話は野田首相へ向けてより、集まった人へ向けた
連帯と支援の言葉の方が多かった、励ましたいという気持ち
であっただろうが、それは望まれてはいないのだった。
政治のプロの言葉は、場にも目的にもそぐわなかった。
しかし、だからと言って福島さんの熱心な力のこもった話を
怒号でさえぎったり野次を飛ばしたりなど誰もしなかった。
終わりまで耳を傾けていた。

仕事を終えてかけつけただろうサラリーマンや家事を放
ってきたという主婦、シングルマザー、独身女性、高校生、
高齢者、日常から抜け出してかけつけた人々は無名の
ごく普通の人であるだろう。
代わる代わるマイクをとって、野田首相、お願いです、
と語りかける。原発はいらない、廃炉にしてくれ、再稼働
しないでください、負の遺産を引き受けたくはないのだ、
今なお苦しんでいる福島を忘れたのか、と。
合間にラッパーのような野太い声の男性がリズムをとって
シュプレヒコールをし応える声が波のように後列へ広がって
いく。

ここにいて苛立つことも疲れることもなかったのが不思議
であった。政治運動はとかく疲れるものなのに、だ。

人々が今強く訴えているのは、効率性や経済性、損得
の利害ではない。もっと根本的な存在の自由を脅かす
ものへの恐れなのだった。
雲の上で見物している政治家に頼まざるを得ないなどとは
思ってもみなかった、当たり前の小さな、これまで普通と
呼んでいた暮らしをさえ失ってしまう、その恐怖と悲しみ
である。

原発事故以来、真実を知ってしまった人々にとって、
その恐怖はかたときも離れない。
未来に続くのは今である。今とは、昨年の3月のあの日、
幸福が過去の記憶となってしまった一瞬の時で止まった
ままなのだ。

永遠とは瞬間の連続である。
瞬間に留まるのはバタイユの言葉を借りるまでもなく、
困難なことだ。瞑想によって自らを世俗から隔離した仏陀
然り。
けれど以前の私たちはその瞬間を胸の内に秘めることが
できていたはずだ、自ら望めば。

ところが未来への志向で不安に陥るのではなく、今の今の今、
止まったままの恐怖から抜け出せないでいる始末、目を開けた
現実はそういうことだ。そういう世界に生きているということ。
そのことを身体と心の両方で感じ取った人は、廃炉、ハイロ
と声に出して叫ぶことでどうにか自分自身を立てようとしている。
留まっていることの恐怖と戦っている。
唯一の価値、純然の幸福を取り返したいと願っている。
自らの内、多宝塔までもが壊れたわけではないのだから。

希望や未来や復興などという言葉は政府と電通が垂れ
流す作り物の嘘っぱちでしかない。
それは金銭と同義のものである。
今、原発反対に立ち上がった普通の人々、市民と呼ばれる
人々に通底しているのは、何らかの利益をもたらすような
価値観ではなく人らしく存在したいという、欲求ともいえない
ような欲求、願いではないかと思った。

一夜明け、再稼働は一万人余の声をも無視してお約束の
ように関西電力、原子力ムラの言うがままに決定された。
けれど、人々の純然たる幸福奪還の行動はまだ始まった
ばかりである。





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上天草市ガレキ処理について速報

2012-06-14 15:22:57 | Weblog
インターネット上、ツイッター上で情報が錯綜している模様ですが、
以下の話がありました。
情報源は上天草市環境課課長さん。

天草広域連合の松島地区中間処理場は、消却能力日量
34トン(17トン×2基)です。平成8年建設なので16年経過
しており老朽化しています。
そのため処理能力の7割しか実行できない状態です。
このたびの海事組合から出ている案は、コンクリート瓦礫などを
組合員の保有する山などに捨てるという杜撰なものまで含み
この面で廃棄物処理法適法上でも問題があります。
現在の役場の考えとしては、瓦礫受入れはしない方向で進める
予定とのこと。


県外からたくさんの電話があり、市役所の担当者は息つく暇
もない様子ですが、皆さんのご心配や不安は理解しています、
丁寧に対応したいという話です。
皮肉ではなく原発事故以前の、東北地方の人々のゆったりと
した親切な雰囲気を思い出します。
のんびりと平和な土地、風土はおもいやりの気持ちを育んで
くれるのでしょう。

自分のことも助けられなくて、他人を思う余力はないか?
否、福島の人々は自らが傷ついて知ったことを日本中に、
世界中の人に届けたいと思っているのではないでしょうか。
寡黙だったのが、声をあげるようになったのは自らを助ける
ためだけのことではないと思います。



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祝15歳うんち談義

2012-06-11 15:02:52 | Weblog
森もどうやら梅雨入りでしょうか、ちょっと早い気がします。
日を追って濃い鮮やかな緑に被われる森です。
あいにくの雨で地面がぬかるんで、土の入れ替え作業ははかどり
ません。ま、できるところまでということで進めました。

そして、門番の親分ことぷ~ちゃん、いや本名は雷君だけど
ベイビーとかぷ~とかしかよばれない彼は、おかげさまで
15歳を迎えました。犬にしては長寿、と言われますね、犬に
しては‥と。ありがたいことです、長生きしてくれて。

長生きするとヒトと同じであちこち具合が悪くもなりまして、
大手術後無事に1年めぐって喜んでいたのもつかのま、新しい
病名がつきました、気管虚脱といい、気管が狭くなります。
これは犬特有の病気で慢性的なものが進行して急に悪化する
と言われます。また麻酔後に症状が顕われる例もあるそうです。



ともあれ、ゼエゼエと言っていた理由はこれでした。
息が苦しい、呼吸がままならないのは生命の根本に関わる問題
です。壊れかけのエンジンで車を走らせようとしても無理な
ように、立ち上がって歩くのが辛くなりました。



週末の二日間は2、3m歩くのが精一杯でした。
オトコのプライドが許さないってんで用足しは外へ、と言います。
ダメダメといってもきかないので連れていきます。どうにか
立ち上がって歩き出して、さて右足を上げ片足立ちをしようと
したら、前脚にも片方の後ろ脚にも体重がかかりよろけます。
立ちつづけただけでエネルギーを使い果たしたようで、息が
苦しくなるのでした。

三日目の朝、どうするかなあと思案していたら、ぷ~ちゃんは
スタスタと歩みよってきて、はい、おっかあ、シッコに行くぜ
とまあ軽やかなので驚きました。
いつもの木の根っこに次、また次と印をつけて15mほど進んで
少し息が荒くなりました。もう帰ろう、戻ったほうがいいよ、
歩けなくなるよ、と言っても、もう返事する余裕もなく、
ふんばっていました。
よくがんばりました、はい、ウンチ成功しました。

うんこ、うんこ、とうちではおまじないのようにその言葉が
飛び交っています。うんこ、しなくていいの? うんこする?
うんこ、まだ? そんな感じで、ぷ~ちゃんはそれに目で答え
ます。元気なころはウルサイよ、ヘン、うんこうんこ言うなよ
おふくろ、みたいな生意気な顔をしていましたね。
でも、うんこは大事なことなのです。


  (オールハート動物病院待合室にて愛想ふりまく)

うんこが出にくくなって直腸大腸の手術もしましたし、出れば
ごはんをパクパク食べられます。入れると出すはセットです。
ぷ~ちゃんは律儀なオトコですからたとえ息が苦しくても全力
で務めを果たしたいのでしょう。
おっかあとしては、おもらししても、そこらへんにまき散らそう
が、いっこうにかまわないよ、と言ってきかせているのですが。


 (ここんちの水はおいしいぜ、と病院のミネラル水をがぶ飲み)

やさしくしてくれてありがとう、と思います。
くたびれかけたぷ~ちゃんの身体ですが、あたたかい塊がわたしの
心を包んでくれます。

入れたら出る、出たものを始末する、この事が片づかないと困る
のは原発も同じです。爆発で放出された放射性物質を無主物など
と言って東電への告訴を棄却した裁判所はわかりやすい嘘をつき、
そして今また使用済み核燃料の置き場所もない状態で原発を稼働
させるためすでに核燃料を準備済みというのですから。
でも、この悪魔の装置にスイッチ入れる役目を誰が引き受けるの
でしょうか。現場で雇用された人に押し付け、知らんふりしても
関電と野田、細野、枝野、仙石と言った名を人々はわすれません。

自分の個人生活は計算高くしながら、社会への責任はまったく
気にしないという愚か者たちに、正しい計算のしかたを伝えることを
諦めてはいけない、そう思いました。我が家のうんち考察です。










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こんなふうにしあわせでした

2012-06-04 17:50:30 | Weblog
(2011.3.12午前10時の散歩)

2011.3.11、その日は東京から森の家へ戻る日でした。
いつものようにギリギリの時間まで働き慌てて支度をし、
昼食用のサンドイッチを買いに行く途中、ちょこちょこと
寄ってきた子猫に目がとまりました。
シマコによく似た小判の紋所をつけているのです。
カメラを持っていなかったのでケータイを急ぎ取り出し
構えたけど、子猫は足元にすり寄ってくるので顔が撮れ
ません。商店街の舗道をねぐらにしている野良ちゃんの
ようで、シマコと似ているというだけで心惹かれて離れ
難いのでした。後ろ髪をひかれながら、バイバイ。




高速道路を走行中、栃木中部あたりで地震発生でした。
地震の被害は山道へ至る途中の崖崩れだけで、幸い我が家
はほとんど被害はなく安堵したのですが、下の村は断水して
いました。
散乱した家の中を片付け、翌朝いつものように散歩に出ました。
地震の後の森の様子を点検する目的もあります。
この時はまだ爆発事故は起きていませんでした。
まだ春遠く雪が残る山道、澄んだ空気を思い切り吸い込んで
ベイビーはヘラヘラ、ご機嫌でした。
彼は生後間もない頃からこの森で育ちましたから、戻ってくると
別人いや別犬のようにはりきります。



福島第一原発一号機が危ないとの情報で正午からは東電記者会見の
ニュースに釘付け、テレビから目を離せないのは初めてでした。
山ではほとんどテレビは観ないし、地デジも映らない場所です。
スカパー契約のニュース番組とラジオが情報源でした。
1号機の水素爆発から3号、2号、4号とたった三日のうちに
次々に爆発しました。福島に住んで10年以上経つのに、原発立地
県だという意識が薄い、というよりほとんどなかったのでした。
原発も核もいらないという考えであったけれど、そこにそれが
あるのだ、という意識はなかったのです。これは意識していない
のと同じことでした。

森は曇りでした。まだ雨は降っていませんでしたが、ここは
別名風の谷(命名したのはうさこですぅ)東西南北の風がこの
上空でぶつかり合います。
ニュースの直後から、ベイビーの散歩時は合羽を着て数分間で用足し
のみ、急いで家へ戻ります。
ベイビーの身体が少しでも濡れたらゴシゴシと拭き、ヒトはマスク、
雨があがっていても合羽をきて外へ出るようにしていました。

締め切った窓から外を眺め、失われてしまったものの大きさに
打ちのめされていました。
私の森、私の庭、私の樹々、私の、私の、とふだんなら私の
とは思わないのに、自分がそれらのものにいかにすがっていたか
生かされてきたかを、嘆きながら過ごしました。
不安というより、ああ、失った、と泣くだけで、何をどうしたら
いいのか、何も思いつきませんでした。
いい歳なのに、まるで放り出された子どものようでした。



本家、庭猫のシマコがこうして縁側にねそべるのを笑いながら
見守っていられた、しあわせな時間。
この後もシマコはここに来続けたのですが、夏を最後に姿を
みせなくなりました。
猫の背丈の空間線量は、あの頃いったいどのくらいあったの
でしょう。思うと身体が震えてきますので、シマコは早くに
逝ってよかったのではないかしら、そんなことさえ思います。

今、すっかり変わってしまった森に前と同じように生きている
動物たち、猫たち、樹々は、これから長い歳月、いわれない
苦しみを受入れなければなりません。
悲しいと声にだしては言うことがない代わりに、少しずつその
姿に、放射能の刻印が表われてくる、それをわたしはまっすぐに
見る勇気が自分に残っているかどうか、自問し続けたのでした。

ツイッターで@SciCom_hayashiさんがこう言いました。
「(福島)の中通りのある方は、もっと多くの人たちが東電に
対して怒りの声をあげてほしいと語っていました。汚染被害、
いままで食べられていた産地のものが食べられなくなる(食べ
たくなくなる)被害を、全国3000万人以上の人が申し立てたら
事態はかわると。」

わたしはそれに対して、「個々の声を一つに、ですね」と返し
ました。多くの人が思っていることは同じだと、何一つ責任を
とらず原発を再稼働することばかり言っている政府、野田首相、
そして逃げ回る東電に怒りを感じないわけがないと思うからです。
「自分はしないが誰かが立ち上がるだろう、誰かがデモに行く
だろう、自分も反対だけれど仕事があるから、きょうは都合が
あるから」と実際には行動しない人が、行動するようになれば
事態は変わります。
誰かがって、それはあなた、あなたが必要なのです、と隣の人に
伝える、伝えられらまた伝える、伝える輪を広げていく。
すでに小さな、中くらいな、いろんな輪っかがあるのですから
それは必ず「事態を変える」大きな一つの輪になるのではないか
そう思っています。

あの日からいくつもの出会いがあって、教えられ、励まされ、
「不安でどうしたらいいかわからない」を卒業することができそうです。




























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