想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

晩年を奪われた人々

2016-03-19 18:22:26 | Weblog
大江健三郎の作品「晩年様式集」の帯に
「おそらく最後の小説を、私は円熟した
老作家としてでなく、フクシマと原発事故
のカタストロフィーに追い詰められる思い
で書き続けた。しかし70歳で書いた若い人
に希望を語る詩を新しく引用してしめくく
ったとも、死んだ友人たちに伝えたい」
と著者の言葉がある。

内容は大江作品を読み継いできた人に
とってはこれまでの作品の謎解きが
作家自身の心象とともに語られるので
興味深いかもしれない。
思い切った告白とも読み取れ、ある意味
そういうことだったのならよかったと
読者としては安堵する箇所がいくつか
あった。特に「取り替え子」に言及し
伊丹十三との関わりを語ったのは小説
のもやものを晴らすのに役立ちもし、
またさらに死についての作家の思いが
幾重にも顔を出している。


(2010.3撮影)

死んだ者と遺された者の、彼岸と現世
のへだたりは、書かれることによって
橋が架けられる。
書くとは、憶うことだからだ。
これは作家に限らず、どんな暮らしを
した人でも同じことで、人はみな憶う
ことで肉体の束縛から解かれ、世間の
枷から自由になり、素直に語るものだ。

あれこれの都合の悪いしがらみの垣根
を飛び越え、想いの丈を伝え合うことが
今そこにある自らの魂を慰める。
だが、それは対話できる相手があって
のことである。

原発事故の衝撃から始まるこの作品に
終始流れるのは、悔恨をも糧にして
生きること、生き直し、生き継いで
いくことへの希望ではないだろうか。

だいぶ前に読んだまま枕元の小机に
積んだままのこの本を、いまさらに
取り上げたのはETVで放映された
福島県いわき市の下神白団地の
人々」
「というドキュメンタリーを
観たせいだった。

原発から二十キロ圏内の帰還困難
区域の避難者が、仮設住宅を出て
移り住んだ場所の一つ、県営住宅
である。いわき市は多くの避難住民
を受け入れている。新入者を快く
憶わない地元民は多い。

避難賠償金を貰える原発立地自治体
住民と、同じく放射能被害を受けて
も避難区域ではないため何の賠償も
受けられないいわき市民との補償の
格差が、住民同士の妬みの原因と
なっている。
いわき市を新たな生活の場に選び、
泣く泣く故郷を捨てた人にとって
新天地どころか孤立して生活せねば
ならず、新築の家は安住の場には
ならないのだ。ミナマタでも同じ類の
住民同士の離反はあった。
原因を作ったのは他ならぬ東電と政府
であるとわかっていながら、
生活苦のはけ口は、手近なところへ
安易に向けられる。
誰もみな、荒んで、寂しい。

下神白団地に移り住んだ人々は、
新築して出ていく予定の人もいたが
ほとんどは高齢者夫婦、独居高齢者で
あった。もう長くない先を見越して
そこでなんとか恙ない暮らしをとり
戻そうと、努めているのだった。

寂しいとは言わない。
言ったとたんに、寂しさに憑かれ
死んでしまうという恐れ。
皆、ここに来るまでに生き地獄を
味わっていた。
だから、つかの間、この団地で
休憩して、できれば楽に往生したい。



それにしても、花を植える地べたも
なく、鉄柵に囲まれた四角い部屋は
厚いドアで仕切られ、ていのいい
刑務所のようだと老婆たちは言った。

役人はいったい何を考え、復興とか
取り戻す、とか唱えているのだろうか。

百姓や漁師をバカにしているのだろうと
はっきりと思った。
そんなわかりきったことであるが、
福島の避難民の多くは農業や漁業
関連、あとは零細な自営業者である。
自分の手で作り耕し育てる仕事を生業
にして暮らしてきた人の感性は、口に
こそ出さないが豊かなのだ。そして、
日々、自然と交わって生きてきた人は
世間の交渉事は不得手である。

おのが人生の来し方を尋ねられれば、
語る言葉は饒舌ではないが、そこに
夢も希望もかすかな誇りさえあった
ことがわかる。
それを唐突に奪われて、とり返す術が
ない。とほうに暮れ、力も尽き果てる。

資産のある人は再生、復興、移住と
選択肢がある分、まだ生きる意味を
見いだすことができるだろうが、
失ったまま、死を待つ余生を誰が望む
だろうか。

その声を聞き、語りかけ、関西から
通い続ける方がいた。
阪神淡路大震災後の被災者住宅で孤独
死が相次いだことを教訓にしての訪問
で、ボランティアであった。
語り合うこと、他者と触れ合い共感を
受けることは、人として最小限、叶え
たいことなのだ。
自尊心からだろうか、
皆、あまりそれを口にしない。
しない分、語りだすを堰を切ったように
流れ出し、そして瞳に光が宿る。

華々しく縁飾りをした人生の、奥底に
あるものは、冨も貧しきも同じだろう。
表現はそれぞれであっても、人の望み
は変わりない。穏やかな幸せ。

この、同じであること、等しい重さ
であることが、命の尊厳という言葉に
置き換えられるとかえって薄っぺらに
なる。命を箱詰めにしてしまう。

自他の境界を超える橋は、物ではなく
心でしかかけられないのだが、
心の重さを知る人が政治の場に少ない。
ツケは弱者へ回り、老人は自助努力で
喘ぐことになる。
思い描いた晩年を奪われたのは、
福島の人々だけではないだろうが…
忘れられるには、早過ぎる。























コメント
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