想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

六月、切り株に芽が出た

2022-06-22 18:51:00 | Weblog
おおお、芽が出た。

先々のことを考えて森庭の木々を伐採したり
移植したり、少しずつしている。
先生と自称弟子たちがだが。
わたしはヒヤヒヤしながら見ている。
この子といっしょに。



「切り株の木」という詩を思い出した。
「風のつよい日だった。大きな切り株しかない木が、
吹いてきた風に言った。
おーい、風。わたしの過去はどこにあるのか。
枝葉をもたない。影をもたない。闇を生まない。
それが現在なら、わたしの未来はどこにあるか。
 切り株よと、風は言った。違うんだ。
過去、現在、未来と、時間を分けるなんて
間違っている。うつくしい時間はどこに
あるか。大事なのはそれだけだ。
 切り株の木は、空を仰いだ。すると日の光が
さっと差してきた。
・・・・・・・・・・・・
 椅子くらいの高さの切り株のまわりを、
切り株の木がずっと生きてきた時間が囲んでいる。
日々の魂を浄めるような時間が、そこにはのこっている。」
(©長田弘「詩の木の下で」2011)



汚された木々、汚された土は十年二十年では
癒えない。元通りにはならない。
ガイガーカウンターがピーピーと甲高く
鳴る場所だった、ここからの眺めをその前も
後も撮り続けてきた。
もうそれも終わりになるだろう。

一帯がTOKIOBAという名になった。
知ったのは少し前のことだった。
その数年前から太陽光発電会社があたり
じゅうの木を伐り、土を掘り返している。
それがキャンプ場やイベント場になった
としても自然が人工物で被われることに
かわりはない。

11年過ぎたからほとぼりは冷めたか。
汚れた土地の有効利用というのだろうか。
有効か?
動植物は追いだし、人が来る。
叢に巣があったキジバト、
もっと奥の藪にも仲間がいた。

耕し整備した黒土、畑にでもするのか。
広い敷地内に舗装した道路が延びている。
震災前に浜通り近くの里山で撮影していた
番組の三番煎じか、もっとビジネス化
するのか。
いずれにしても人が集まるのだろう。
あそこには水辺がない。
遠くに那須連山が見えるけれど、
そばに木立はなく、だだっ広い牧草地だ。
牧草地だったから柔らかい土だ。

短い夏は激しい雨が降る。
冬は雪が積もり、気温が低く溶けない。
晴れた日の陽射しは恵みのよう、
春が来るのがほんとうに待ち遠しい。

復興や開発という言葉が使われる土地、
戦後の福島の歴史はずっと他所の人が
ブルトーザーとダンプを乗り入れ
土ボコりを巻き散らし
木々の葉を汚してきた。
地元の人の幾人かは見張り役や、
重機作業や運転手の下請け仕事にありつく。

あの埃を吸うのは危険ではないか。

昨年夏から冬場、そして春先と
ずっと牧草地や雑木林を掘り返し
土を盛りあげ、掘り下げ、また盛る。
たっぷりと水を貯めた雑木林は
道路の脇に細い流れを作っていたが、
木を伐り、道路わきに新しい排水溝を
掘ってU字溝を埋めこんだ。

長い人工水路は泥で埋まり溢れないか。

アスファルトは切り込みだらけで
凸凹になり見苦しく、鄙の景色が
泥とほこりだらけだ。
道の両脇から、狸や猫やたまには鹿、
猪が現れるような場所だ。
工事の間じゅう騒音に怯えただろう。

わがもの顔で、土を木を汚す人たちは
ほんとうに愚かしい。
退化の一途をたどるヒトにも
美しい時間は訪れるのか。






コメント
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