NHK『つばさ』は、週中テンションが弛んでも土曜日には必ず持って行くなぁ。いきなり『婦系図』のお蔦第3部を演じることになった千代お祖母ちゃん、最初はカンペまる読みだったのがだんだん気持ちが入って自分の言葉になっていく変化の表現は、さすがは吉行和子さん。
「もしもう一度人生を演じろと言われたら、あなたと出会えて、悲しい別れをした人生を選びます」と、客席の初恋の人・清之助さん(山本學さん)に伝えたいことをそのまま台詞にしている千代さん、甘玉堂臨時休業で、一家総出で川越キネマに集合してるこんな状況じゃ、お留守番の先代梅吉ジイちゃん(小松政夫さん)の遺影はどんな顔になっておるか…と思ったら、その前にラジオマン(イッセー尾形さん)が上がり込んで(降り込んで、か?)ちゃっかり紙芝居にして見せてやんの。あそこでラジ男がネジ巻いたから、最後に梅吉さん「よっ日本一!」言いに袖に現れてくれたのかも。
「昔と少しも変わらないのではなく、昔より数倍いい女になったよ」と、別れた元カレのクチから聞ける最高の言葉を千代さんに言ってくれた清之助さんが♪月がとっても青いから~をクチずさんでいたのが何とも。千代さんとお付き合いするならあの曲は必修なのね。
金曜日の、お蔦放浪篇の加乃子さん(高畑淳子さん)が、香具師の口上後いきなり自分語りを始めた場面も、朝、背中で音声だけ聴いていたときには何が起きたんだ?とさっぱりわからなかったけれど、夜、BS‐2の再放送で見ると、“ひとりスカーレット・オハラ”“のち、ひとり蒲田行進曲”みたいで何か腑に落ちてしまった。これも半分以上は高畑さんの力でねじ伏せた感。
どんなに悩んでも迷っても、結局はやりたいことをやる自分万歳!みたいな着地になる加乃子さんが、自分の家族や親戚にいたら勘弁だなあと思いつつ、観ててあんまり不快じゃないのは、この人の行動原理に“人を恨む、やっかむ”“悪意をもって企てる”ということがないからだと思う。昼帯では痴情怨恨、嫉妬に腹芸、裏切り二枚舌、さんざん見て娯楽にできる月河ですが、何となく、朝ドラに恨みつらみは似合わないという固定観念に近いものはあるんです。逆に言えば、恨みつらみをひっ絡めさえしなければ、人物のキャラや行動はどんなにぶっ飛んでいてもかまわない。『だんだん』なんかはそこがちょっとつらかった。行動は常識超えてぶっ飛びながら、根っこに恨みつらみ、という局面がちらちら絶えず覗いていましたからね。
抱き合うお蔦役がつばさ(多部未華子さん)から千代さんへと3世代股にかけた上、ぜんぶ芝居の後半はアドリブになったのに辻褄合わせてくれた真瀬(宅間孝行さん)も助演賞。欲を言えば、浪岡(ROLLYさん)渾身の劇伴をもっと大々的にフィーチャーしてあげればよかったのにね。先日の記事で、設定とは言え役柄上自分の息子が金髪カラコンってのも山本學さん、びっくりだったのでは…と書きましたが、考えてみれば「オレの親父が山本學さん」ってROLLYさんのほうがびっくりを通り越して凍結硬直ものだったか。
もひとつ欲を言えばですね、今回は手下の黒グラサンコンビ連れずに来てくれていた斎藤興業社長(西城秀樹さん)に、加乃子さんのひとり語りを千代さんのために「10年かけて加乃ンが到達した答えです」と解説させるだけじゃなく、山場で記事タイトル↑↑↑の台詞を言わせてほしかったですね。
予定にない第3幕千代さん客演に、ホワイトボードに貼る似顔絵も、サイズの合う衣装(寝間着だけど)もちゃんとあったとか、妙にメイクが似合って演技もうまい鳶のカシラ夫婦(金田明夫さん広岡由里子さん)とか、結局はラジオ局員とその身内の場当たりシロウト芝居なのに満員大盛り上がりになる川越キネマとか、…え?と思うところは尽きないのですが、そういうことに駄目出しマインドになる人はもうとっくに視聴打ち切っているでしょうな。気がつけば6ヶ月の放送クールの、すでに半分を消化しました。
あとね、本当に騙されたと思って、昨日(3日)、『コールセンターの恋人』も録画し今日再生視聴しました。
こう言っちゃなんだけど、意外と拾いモンじゃないですか。TVショッピング業界の舞台裏を描くお仕事コメディという体裁を取っているけど、これは小泉孝太郎さん扮する都倉渉が迷い込んだ“ワンダーランド・アドヴェンチャーファンタジー”ですね。なぜか顧客クレーム処理に天才的な閃きを見せる、ミムラさん扮する青山響子が、マドンナ兼ナルニア国のアスランのような存在なのかも。久しぶりにお顔を見た気がするミムラさん、抜けるような色白で、ファンタジーの気まぐれフェアリー・プリンセスにぴったり。でももう人妻なのね。
俳優デビュー8年でやっとつかんだ主演・小泉孝太郎さん、“若いのにチャレンジ精神がなく、そこそこ主義ほどほど主義でちんまりまとまった感じ”はなかなかうまいこと演れていますよ。先日の『徹子の部屋』でのトークにも滲み出ていた素の“小モノ感”が、“勝手の違うワンダーランドで右往左往する一般人”の佇まいといい具合にかみ合っている。
「自分はトップにはなれる器じゃないし、ガツガツ努力してトップを争う人生より、そこそこの努力で、ラクして真ん中らへんがいちばん」という悟りに若くして到達した人って、「でも、ガツガツ努力しなくてもトップになれるヤツが世の中には居るんだよな、いいよなぁ」という贅沢なルサンチマンと、「自分の能力(&毛並み?)なら、ラクにいっても真ん中らへんにはいられるはずだ(真ん中より下になるはずはない)」という甘え傲慢さ、「ガツガツ真剣努力して惜敗する悔しさは味わいたくない」という臆病さを、同時に抱えている。
よってこの役、若さをもう持たない中高年や、あらかじめ真ん中より下の階層に生まれてしまった者(1st callでは高枝切りバサミの小倉久寛さん)から見れば、キサマ世の中なめてんのか!と言いたくなるようなシャラくささがある程度必要。孝太郎さんの演技にもう少し“ヤなやつ臭”があってもいいかなと思いますが、“基本ヤなやつが一瞬見せる間抜けな善意”と、“基本善意の間抜け青年に端々でチラつくヤな面”とのネガポジ反転までは、坊っちゃん俳優孝太郎さんまだ表現し切れないし、演出も揺れている模様。観客が見ていて「都倉しっかりやれよ!」「よしよし、いいぞいいぞ!」と思えれば正解ですね。
謎のフェアリー・プリンセス(or囚われのアンドロメダ?)青山響子ミムラさんとの恋愛要素は、ほのかに匂う程度のほうがいいですね。とりあえずもうちょっと声を張ろうよ、孝太郎さん。“内容は威勢がいいけど聴き取り辛い”のも父上譲りか。イーストウッドの年代まで役者続けたいなら克服しないと。