大相撲名古屋場所のNHK生中継は、事前いろいろ忖度されましたが結局行われないことになりましたね。
別に英断だの、苦渋の決断だのとは思いません。広くおカネ徴収して放送して見せてる公共放送として普通にやるべきことをやった、と言うか“やるべきでないことをやらなかった”だけのことだと思いますが、それよりも、NHKがこの決定を下したことで、“大相撲はまだ全然キレイになっていない”という共通理解が広く世間に行き渡り印象付けられた、これがいちばん大きいと思います。
“或る事象、或る人物が、世の中通るのか、通らないのか、決めるのはTV次第”ということです。
政治家誰某さんの人間性、清潔or不潔、好感度or非好感度の判断材料を一般大衆に提供するのが、新聞よりも週刊誌よりも、追い上げ急なインターネットよりも、やっぱりTV。TVで一挙手一投足、クチのききかた溜め息ひとつ、眉の上げ下げまでナマで、あるいは顔の毛穴までアップで、広く全国津々浦々のお茶の間に、最近はおおかた大画面地デジ放送で露出する影響力は何だかんだで大きい、という意味がひとつ。
もうひとつは、TVの“倫理的真っ当さのメルクマール”としての意味です。
まーーどっから見ても素行優良とは言えそうもない芸人やらアイドルやらが入り乱れてやりたい放題、高給取りの局アナ、局員P、局員Dらが制作会社や芸能事務所と六本木辺りでブイブイつるみながらなあなあで作ってるのが見え見えな番組が依然あふれ返る中、(何度も念押して悪いけど)カネ徴収して放送してる公共放送局が、「放送することが、広く公共の利益や健全な娯楽に沿うと思えないので(フル生中継では)放送しません」と宣言した。
これ、大仰に言えば、「大相撲、現時点では社会的にナシよ」のネガティヴキャンペーンに等しい。
出演タレントの薬物事犯や、脱税など絡みで、すでに収録済みの番組がオンエアされずお蔵入りになったり、本放送後のパッケージソフト化や再放送が事実上不可能になった例も数々ありますが、出演者ひとりの、出演後におかした違法行為のために、番組まるごとが法に抵触するシロモノになったわけではないのに、社会的には番組まるごと「ナシよ」の扱いを受けるわけです。
これが民放の番組、民放のコンテンツだと「自分らだってキー局を嵩に着て好き放題やってるくせに何様」と思うのですが、やはりいまだに「NHKにレギュラー出演できるタレントは身奇麗」「民放局アナよりNHKのそれのほうが質素で知的で努力してる」という漠然としたイメージは根強いと思うのです。
そのNHKに、大相撲は拒否された。
大相撲をTVで見るのを楽しみにし、「大相撲をやらないなら受信料払いたくない」と言う、主に地方在住の高齢世帯にギリギリ譲歩するために、午後6:00台にダイジェスト番組を放送するとのことですが、“大相撲は黒いから、NHKでやらなくなった”という全国全TV視聴者への逆アピールは、相当尾を曳きそうです。
NHKがやってくれないなら、値下げして他民放で今場所どう?というオファーに出なかっただけ、大相撲協会、ギリ倫理的に、俵に足かかっていっぱいいっぱい「残った」かなという気もしますが。
どうなんだろう、こうして、公共放送とは言えたかがTV局ふぜいに“断罪”されるくらいなら、相撲協会がもう一度主語になって、今場所まるごと中止して、朝は猛稽古、午後はゴミ収集や公共施設の清掃等、チカラ作業のボランティアを請け負って、大相撲への社会的肯定を取りつけるべく働いたほうがよかったのではないかしら。
国技だの伝統だの、神事由来だの、監督官庁文科省だのの上にアグラをかかず、“盛り立て、投資してくれるダンナ衆次第の、芸者さん芸者置屋さんと同じ立場”という、プロスポーツの原点に戻って、とにかく“相撲大好き、黒かろうが白かろうが、相撲なければ夜も日も明けない”ファンを、ひとりでもふたりでも増やすほうが焦眉の急だと思うのですけれど。リクツや倫理をふっ飛ばして動いて叫んでくれますからね、“ファン”というやつはね。