NHK『スタジオパークからこんにちは』先週7月30日(金)に、『ゲゲゲの女房』音楽担当の窪田ミナさんがゲストインされましたね。
ジャケのポートレートのイメージより小柄な、レモンイエローのチュニックブラウスが似合う、可憐な…と言うと何やらしゃらくさいけれど、パワフルもりもり!才能あふれバチバチ!と鼻につかない親しみやすいヴィジュアルの女性で、「作曲・音楽担当として、ドラマのオンエアを見て“音楽がいい仕事したなあ”と思う場面はどんな場面ですか?」とアシ司会の近田雄一アナに訊かれて、「シーンと、曲を作ったときの自分の気持ちが一致して、“まさにこういう気持ちで作ったのよ”というところに(曲が)随いてくれてると嬉しい」と答えておられたのが印象的でした。
その嬉しい例として、登志おばば(野際陽子さん)が死の床で「ずっと見守っちょうよ」「ええご縁がありますように」と布美枝(松下奈緒さん)の手を握る最後の会話with『光に包まれて』と、藍子初節句の雛人形を買うようにと布美枝実家から送られてきたお金を家のローン支払いに回さざるを得なくなり、しげる(向井理さん)手描きの豪華七段飾りを唐紙に貼って祝った“エアひな祭り”with『ご縁の糸』との2シーンを挙げておられました。
『光~』はこのドラマのひとつの核である“見えんけどおる”もの、見えないけれど見守ってくれている存在をイメージして、“登志おばばのテーマ”として作曲されたとのこと。
エアひな祭りの場面は、見知らぬ同士が縁あって結ばれ家族となって、おカネがなくて初節句のご馳走もないせつなさと、それでもエアで盛り上がる可笑し楽しさとがマッチして、窪田さんがいままででいちばん好きなシーンだそうです。
“せつなさと笑い”という、秀作ドラマに不可欠な2大柱に感じるものがあるとは、窪田さん、骨の髄まで“劇伴向き”な音楽クリエイターとお見受けしました。
幼時からピアノをよくし4歳で初作曲、11歳で自作曲自演奏でロストロポーヴィチ指揮によるフルオケと協奏。1983年の、このときのNHKホールでの録画が番組中に流れましたが、11歳窪田さんの作『陽気なダンボ』が、ロストロさん(←勝手に略)によるのであろうクラシックコンチェルト風盛りつけがあるにしても、まったく『ゲゲゲ』劇中に流れてもおかしくない庶民的なフルーティみずみずしさ、デリシャスさに満ちた楽曲なんですね。
窪田さんの才能にももちろんですが、彼女の資質を「このドラマ向き」と看破して、「朝ドラの音楽担当って長丁場で100曲以上作らなければならないし、音入れ回数も多くて大変そう」とビビッたというご本人を口説き落とし連れて来た制作スタッフに拍手です。
4歳5歳からピアノのお稽古にかよって、先輩の小学生中学生のおねえさんたちが引いちゃうくらいやたら上手い子ならさほど珍しくもありませんが、先生やママから弾けと言われた曲を完璧に弾きこなすだけではなく、自分で曲を作ってしまうとなるとかなりレアで選ばれたる者ですよ。
それでも「音楽は続けて行きたいと思っていたけれど、作曲を職業にしようとまでは当時、思っていなかった」という、選ばれざる者から見ればなんともゼイタクな、ゆるさ、鷹揚さ、風通しのよさも、おっとりのんびりヒロイン布美枝さんの物語『ゲゲゲ』の音楽担当に向いていたのかも。
ちなみに、窪田さんの談によると、11歳窪田さんが学んでいた音楽教室のマスターコースにロストロさんが来演、たまたまご披露した彼女の自作曲にいたく興味を示してNHKホールでのフルオケ協奏に至ったらしいですが、窪田さんのこのセンスにびびっと来たということはあれだな、ロストロさんが『ゲゲゲ』の音楽担当でも違和感なかったたのだろうな。
いっそ、窪田さんの幼時~少女期~留学期から、メジャードラマ・アニメに引っ張りだこの人気劇伴作曲家になるまでを朝ドラ化したらどうでしょう。4歳で初作曲時は篠川桃音さん、11歳でロストロさんと共演時は佐藤未来さん、イギリス留学して「意味を説明できない音符は、入れてはいけません」か何か言われてカルチャーショック受けてる年代は、そうねえ、上野樹里さんとかにしてさ。
でもって、帰国後数々の劇伴をこなして、朝ドラ音楽で絶賛され、3回めの音入れでコンソール室で「えーと、いくつか音の間違いがあったので、フルートの最後はナチュラルでお願いします」とか言って自分で弾いてる年代は、ピアノが達者に弾ける女優さんということで………
…結局、松下奈緒さんかよ。大きくなりすぎ。