『ゲゲゲの女房』を毎話視聴していると、長期間多話数の連続ドラマの、“作り方の要諦”について考えさせられることがあります。
この枠ならば、半年間、週6回を20数週。これだけ長丁場となると、“第1話を見た客だけが、そっくり最終話まで全話見てくれる”とは到底行きません。途中脱落する客もいれば、逆に中途から参入してくる客もいる。途中数話ないし数週“下車”して、インターバルののち“再乗車”する客、それを何度も繰り返す客もいるはずです。
そうであれば、序盤を未視聴でも、途中が抜けても、人間関係や劇中事件の順序・因果関係がわからなくならないように、ナレーションや説明台詞の多用、“これまでのあらすじ”フラッシュや、なんなら地デジデータ画面やネットの番組サイトを駆使して「中途参入や飛び飛び視聴のお客さんの理解をたすけ、興味を持続してもらう」工夫が不可欠になってきます。
一方、第1話・序盤で食いついて、そのまま万障繰り合わせて、録画やワンセグを使ってでも全話完走中の優等生客にとっては、中途参入一見(いちげん)さん向けのこういう間口広げ、敷居下げ的親切は、ちょっとジャマくさいわけです。
ネットやデータ画面は見なければ済むことですが、無くもがなのナレや「これこれのときこういうことがあったから、誰某さんは誰某さんをこれこれこんなふうに思っているのよ」式の懇切説明台詞、反復する回想Vなどは、ドラマのテンションを下げ、“んなこたぁもうわかってるし”と、いたくしらけた気持ちにさせる。“でもまぁ、わからない人もいるから、仕方がないか”と付き合っているわけですが、“途中からの客への親切”と“ドラマとしてのテンションの維持”とのバランスは、脚本家さん演出家さんともにアタマが痛いと同時に、TVドラマ屋としてのウデとセンスの見せどころでもあると思います。
もうひとつ、これとは正反対に、“第1話からの完走優良顧客”“限定”のスペシャルサービスというのもあるから、連続ドラマとはおもしろいものだなと思うのです。
つまり、中盤以降に“序盤から視聴している人だけが理解でき、味わえる場面、台詞”をところどころに入れておく。もちろん、序盤からでないお客さんが見て意味不明、ちんぷんかんぷんでは意味がないしセンスもない。スペシャル性はあくまで“完走組にだけわかる”ように隠しておくのです。
たとえば今日(8月2日)放送回のアバン、村井家自家用車で買い物帰りのいずみ(朝倉えりかさん)が玄関先、急いで飛び出してきた倉田(窪田正孝さん)と鉢合わせ、危うく取り落としかけた買い物かごを倉田がつかんでくれて、「助かったぁ、卵、割らずにすんだ」と笑顔で顔を見合わせる場面。
“序盤から組”の視聴者なら、鉢合わせと卵、この2つのモチーフで速攻、少女期布美枝(佐藤未来さん)と横山青年(石田法嗣さん)との遭遇シーンを思い出さずにいられないはずです。
戦争のただなかの昭和17年、お使いで持っていた貴重な卵を、出会いがしら地面に落として割ってしまい泣きそうになった布美枝に、自分の手持ちの卵を譲ってくれた横山さんを、少女布美枝は“優しい人”と好感、のちにユキエ姉ちゃん(足立梨花さん)の見合いの相手がこの人とわかって、姉ちゃんのため、家族の平和のために、引っ込み思案の布美枝が精一杯の奔走でガイなチカラを発揮…という展開につながります。
一方、いずみの卵は、以前は看板屋徒弟として資材運びや危険な足場作業もこなしてきたであろう倉田の、間一髪の運動神経のおかげで、割れませんでした。手伝いに上京した当初は「ぶっきらぼうで愛想が悪くて、苦手」と思っていた倉田が、藍子ちゃん火傷事件のとき、徹夜明けにもかかわらず、しげる(向井理さん)とともに藍子を抱いて病院まで走ってくれて以来、いずみは彼に急速に好意を持ちはじめています。
初対面の印象が悪かった相手ほど、一度好ましい方に針が振れると、“誤解していて悪かった”と埋め合わせしたい気持ちで加速度がつくもの。急いで投函しようとしていた新人漫画賞宛ての封筒、布美枝(松下奈緒さん)との会話から、今日が締切りなのかしら、アシの仕事が終わった後深夜まで一生懸命描いていたらしいのに、俄かに仕事が立て込んで、外出できなくなって困っているのでは…と気づかされたいずみは仕事場へのお茶運びにことよせて、倉田に「私、出して来ます」と耳打ちします。
家族のための食材を買い揃える女性にとって、“卵”は気遣わしいアイテムです。栄養たっぷり、子供も大好き、いろんな料理に使え、常備していないと心もとない。でも持ち運び、取扱い過程でうっかりすると簡単に割れてしまう。食料難の時代ほど、1個2個割れたことで絶望的になる必要はないけれど、命を孕む身体である女性は潜在的に、食用卵にも“命”を感じます。うっかりミスやアクシデントで、食卓に並ぶことなく卵が割れてしまうと、いつも多かれ少なかれ、女性の心は暗く沈むものです。
“大事な卵を守ってくれた人”に、おとなしくて引っ込み思案の10歳布美枝と、活発で行動派のいずみ、姉妹でも持ち前の性格や、育った時代、環境、置かれている立場の違い、そして似ているところまでが、劇中時制や話数を超えて、一瞬浮き彫りになる。「布美枝ちゃんもこういうことがあったけど、いずみちゃんはだいぶ違う動きをするね」「でも基本、人に優しいところ、人のために自分ができることをぱぱっと思いついて行動に移すところは、やっぱり姉妹だね」「でも、自分を良く印象付けようって下心がちらつく分、いずみは戦後育ちの末っ子だからちゃっかりしているな」等と、“完走組”の視聴者ならばひとつのシーンからいくつもの味を噛み分けることができるのです。まるでお得意様限定のノベルティのよう。万障繰り合わせて視聴忘れ、録画もれのないよう腐心してきた労力への、ご褒美のようでもある。
今日放送の例をひとつ挙げましたが、『ゲゲゲ』は中途参入客に対する敷居下げサービスもそこそこ怠りない(←水木しげるさん夫妻という現存の著名人の実人生に沿って作られ、“ゼロからの作り話”でないことに多くを助けられてもいます)一方、“完走優良顧客限定”のこういう仕掛けをも、嬉しくなるくらい随所に散りばめてくれています。
データの集めようがないでしょうが、この抜かりなさのおかげで、序盤から食いついた客の脱落率は『ゲゲゲ』、相当に低いのではないでしょうか。言い換えれば“優良顧客率”がかなり高いのではないでしょうか。「前のあの回、あの場面、見ていてよかった、覚えていてよかった」と思える場面が本当に多いのです。
一見さんを尻込みさせず、低体温のライトな客も粗末にせず、自他ともに認める熱心な優良客には“ここの客になってよかった、トクした”と気分良くさせる。
こうして考えてみると、連続ドラマ作りというのは、ショップやスナックやサロンの経営みたいなものだなあ、と思います。