★昨日は3ヶ月に1度の眼の検査の日で病院に出かけた。
待合室で神戸新聞を読んでいたら、『田崎雅元さんと孫中山記念会の囲みの記事』に出会ったのである。
『6月までは、川崎重工業の相談役をしていた田崎さんだが、今回孫中山記念会の理事長を引き受けるらしい。
舞子公園に、孫文記念館があるのは知っていたが、孫文とは、川重の初代社長松方幸次郎とも関係があったような記事の書き方であった。』
『孫文記念館』で検索するとこんなサイトが現れる。
明石の直ぐ隣の舞子公園にある通称『六角堂』は、子供の頃からよく知っているのだが、それが孫文とどんな繋がりがあるのか?
サイトの中の説明(概略)では
『この建物は、もともと神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂(1855~1926)の別荘が前身、外観が六角に見えるところから、地元では長らく「舞子の六角堂」として親しまれてきた。
孫文との関わりは、孫文が1913(大正2)年に来神した際、神戸の中国人や政・財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になったときに始まる。
1983(昭和58)年11月、兵庫県が神戸華僑総会から寄贈をうけ、改修を行った。
1984(昭和59)年11月「孫中山記念館」として一般公開を開始、1993(平成5)年12月には「兵庫県指定重要文化財」に指定された。
2001(平成13)年11月、移情閣は、文部科学省より国の重要文化財に指定された。
2005(平成17)年10月、孫中山記念館は、「孫文記念館」と改称された。
この記念館には、日本と孫文、神戸と孫文の関わりを中心に、呉錦堂の生涯や移情閣の変遷などについての詳細な展示が行われている。』
私などは、孫文よりは、『呉錦堂』と言う名の方をよく覚えている。
『孫文』についてのWikipediaの書き出しは、
『孫 文(そん ぶん)は、中国生まれ・アメリカ国籍の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」と呼ばれる。 号は中山 、字は逸仙。中国では前者で知られる。中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。また、中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」として近年「国父」と呼ばれる。海峡両岸で尊敬される数少ない人物である。中国では孫文よりも孫中山の名称が一般的であり、尊敬の念をこめて「孫中山先生」と呼ばれている。』 と書かれている。
★この『孫中山記念会』の理事長を引き受けた、田崎さんは、
『孫文記念館を全国区にしたい、若い人たちに対しては、インターネットかな・・・』などと記者に語っているのである。
これは間違いなく、『私と繋がる』と思って、このブログを書いている。
現役の頃から、『レース仲間時代』も。苦しかった『単車事業再建の時代』も、つい何年か前はメリケンパークのミニ鉄道フェスタでも、極く最近の今年の春の『カワサキの想い出、そして未来』でも、
田崎さんとはいつも繋がって、『コンビ』で、いろいろやってきた。
これは今年の3月、NPO The Good Times 後援の『カワサキの想い出、そして未来』にかってのレース仲間の一人として参加してくれた時の写真である。
勿論、NPO The Good Times の会員でもあるし、広報援助がメインのこのNPOは、『孫文記念館』を全国区にするには、これ以上ない格好のツールなのである。
★『孫中山記念会』の理事長は、満州生まれの田崎さんには、また格好の役だと思う。
私は韓国が子供の頃の故郷だが、田崎さんは中国がその故郷なのである。 中国人にもファンが多いという孫中山だから、NPO The Good Times はつい先日から、アメリカ進出も果たしたので、次は中国との国際親善に協力するのも素晴らしいことである。
昨日の神戸新聞の記事で、また一歩、NPO The Good Times の『新しい公共』としての繋ぎの役割が見えてきたような気がする。
このプロジェクトは、『ひょこむ』では、オトモダチの兵庫県井戸知事や、元知事の貝原さんも、関わっておられて、兵庫県そのものの情報発信にも一役買えると思っている。
NPO の公式ツイッターの情報発信力は、現在17万人、もうすぐ20万人なのである。
毎日、会員さんの情報発信のお手伝いをしているが、瞬時に世界に発信されるその威力を実感している。最近では、フォロワーの増加も、また1日500人のペースに戻しているので、1ヶ月に1万人づつ増えてゆく、20万人も秋までには到達するだろう。
孫中山記念会と田崎さんの記事で、何となく今後の進展を、勝手に夢見ているのである。
★NPO The Good Times のホ―ムページです。(会員さんの のブログもツイッターもFacebookも見られます)