雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

植木と混植の我が家のバラ

2014-05-16 11:21:50 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 ★いよいよ薔薇の本格的なシーズンである。

小さな庭に薔薇が60本も植わっているのだが、その半分が つる薔薇と言っていい。

その植え方がは庭木の間のほんの少しのところに植えているので、これからでも未だ10本ぐらいは大丈夫植えることが出来ると思っている。

そんなところに植えても薔薇のシーズンには結構目立つように空間に枝を出してくるので、今からでも薔薇を育ててみようと思われる方にはお薦めである。

   

   

 

陽のあたるところに枝が伸びてくるので、植え木の根っこに植えても大丈夫なのである。

この二つの薔薇の根元はほんの30センチ平方ぐらいのところに無理して植えている。

 

   

 

 これは庭の一番奥の部分だが根元はこんな形なのである。

    

 

 

薔薇園のつる薔薇などは、何もないところに植えられているので、それ1本で相当の面積を占めていて、確かに豪華だが、あんな形に植えようとしたら我が家など1本のつる薔薇も植えることは出来ないと思う。

薔薇を育てると、1年間その世話をしなければならない

特につる薔薇は、ピエールドロンサールなどまさに豪華だが、殆どが『一季咲き』だから、1年の内で5月、6月の2ヶ月しか花の時期がナイ

そして花が落ちて、つるだけになった姿はあまり格好いいものではないし、それが『むき出し』になっているのは、一般家庭ではあまり綺麗だとは言い難いのである。

植え木の間に植えておけば、花の時期が過ぎても全然問題ないし、一番都合のいいことは『つる薔薇』は枝を支えなければ、放っておいたのでは花もつけにくいのである。

5メートルにも伸びる枝を『ヨコにしないと花はつかない』。 

 庭木はその支えになってくれるのである

 

右は整枝する前の写真だが、この立っている枝を今はヨコに寝かしたり、引っ張ったりして、その空間は完全に埋められている。

 

      

 

冬と今ではこんな感じになる。  もし植え木でもないと冬は寂し過ぎるのである。

         

 

冬の整枝に時期に、『絵を描く心境』で枝をどこに持っていくのか。

それを考え、思い浮かべる時間がまた楽しいのである。

 

こんな空間が、こんな風に様変わりするのである。

 

     

  

   

 

 こんな感じに隙間が埋まってしまyのである。

 

 

来週には咲き揃うことだろう。

      

English Version です

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男性と女性雑感

2014-05-16 07:07:00 | 私の生き方、考え方&意見

★昨日Facebookに『かきつばたの写真』などアップしたら、

お庭に花が一杯でいいですね。 とコメントがあったので

庭は私が担当してます。その代わり家の中のことは一切やりません。 『家内』とは言い得て妙だと思っています。やはり分担が確りしている方がいい思います

と答えたら、女性の方から『いいね』を頂いたりしたので、ちょっとそのあたりのことについて書いてみたい。

 

     

 

このブログのカテゴリーの中に『私の生き方、考え方&意見』と言うのがある。

私の生き方の一番のベースは、自分でも『差別化』だと思っているので、一言で言えば変わっていると言うことだろう。

大体『差別化』とは、マーケッテング用語で、『区別』とはちょっと違うのである。単に分類するのではなくて、一般のレベルとは『ちょっといい方に差がある』ことがMUST なのである。その ちょっといい が気に入っていて、自分の生き方は差別化されていて、ちょっと変わっているのだが、勝手にそれは『ちょっといい』と思って気に入っているのである。

当然差別化されているので、世の中の一般的な考え方でナイのは当然で、それを押し付けようとしたりするものでは決してない

 

★まず、世の中には男性と女性が居る

これは動物の世界にも、植物の世界でも、太古の昔から、オス、メスがあるから、世界が続いているのである

それぞれ役割分担があるはずだから、自然にそれ『らしく生きる』ことが一番いいのだと思っている。

なのに、最近、特に日本の社会では、男性、女性がそれぞれの『いいところ』を無くしてしまうような そんな生き方が進んでいる ような気がしてならない。

男女同権 これなどはそれでいい。 然し男も女も同じことをするのはどうかと思っている。本来、女性が得意なことは女性が担当すればいいし、 男性がやればいいと言うことは男性がやるべきだと思う。

子育てや、家事、特に家の中の仕事は女性がやる方が、家事のレベルでは断然その方が上手くいくのである。家内とは言い得て妙である。

その代わり家の外のことは、間違いなく男の方が上手くやれるのである。 例えば料理でも、家庭料理は女性の方が得意だが、外の専門的な料理は板前さんでも、コックさんでも断然男なのである。

そのあたりのことを、ちょっと錯覚してるのではなかろうか?

女性の幸せの一番、『子育て』ではないかと思っている。女性の愛情の対象は結婚までは男性だが、子供が出来てしまうとその殆どが子供に注がれる。

こどもが学校から戻ってきて『ただ今』と言った時に、『お帰り』と迎えてくれる母親の声で『いい子に育つ』のだと言えないことはない。託児所などでは決して肩代わりは出来ない母親だけが持っている特権みたいなものを自ら放棄してしまっている。

アメリカの社会は、子供が中学生になるまでは、親が子供の面倒をみなければならない仕組みが出来あがっていて、小学校の送り迎えは親の義務なのである。

 

我が家は、こんな単純な『昔の家庭の常識』が今の時代にも生きていて,家内も、息子の嫁も、も別に強制したわけではないが専業主婦だったし、お陰さまで息子も娘も孫たちもなかなか『いい子』に育っている。

家内もそんなに昔堅気の女性ではないのだが、私がやる料理とか洗濯とか、家の中の家具の配置だとかでは、気に入らないのか決して手をつけさせないから、私は一切手伝ったりもしない。でも、家の中のことは、一切やらないが、庭のことも含めて外のことは、殆ど私がやることにしている。

共働きが出来ないと、経済的にどうこうと言われるのだが、少しは我慢をして生きる方が人間らしくていい

昔に比べると生活が贅沢になり過ぎているのではないか? そのために子供を犠牲にしたような働き方をして、その結果が昔に比べて、いろんな問題児が世にはびこっているのではなかろうか?  昔はそんなにダメなことばかりだったのだろうか?

 

子供を産み育てる と言うことは、女性にとって何ものにも代えがたい大事業であり、それが女性にとってホントの生甲斐や幸わせではと思ている。

社会に出て大活躍をされる方も間違いなくおられるのだが、そんな男勝りの女性達でも、一般女性並みに化粧などはされるのである

そういう本来の女らしさや、男らしさが生きる社会の方が、人類にとって幸せなのだと思っているのだが・・・・

 

 

★ちょっと違う観点から・・・

こんな女性、男性の生きていくうえでの分担みたいなものも、それぞれが分担して自然にやればいいので、子育てを男がしたらイケナイなどと言っているのではない。

家事なども、我が家では家内がいるときは私は一切やらないが、毎年家内がアメリカの娘のところに遊びに行くときは、1ヶ月以上も家事、炊事、洗濯、買い物などなどの一切を私は、私流に無難にこなしている。

でも、こんな流儀で、もし家内が居る時やったなら、夫婦喧嘩のタネを撒き散らしているようなものだから、やらぬに越したことはナイのである。

 

会社などでも いろんな仕事をいろんな人が分担してやるのは、その方が上手く行くからで、不得意なものをみんなで平等にやったりはしないのである。

家事でも、子育てでも、何でも夫婦が平等にやろうとすることなど、馬鹿げている

ちょっと動物の世界の、子育てや生き方を、学んでみてはどうかなと思っている。

いろんな場面に対応して、動物達はなかなか上手に生き抜く知恵を身につけているのである

 

昨今の日本の社会の進み具合は、どうもおかしいのではなかろうか?

 

 

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