5月18日の KAWASAKI Z1 FAN CLUB の 『全国合同お茶会in浜松』
Yoko Bettyさんの
Mr.Bikeのコラム記事で大きく紹介されています。
★English Version です。
★NPO The Good Times のホ―ムページです。
5月18日の KAWASAKI Z1 FAN CLUB の 『全国合同お茶会in浜松』
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★ 日本最高のサッカー選手は? そんな記事が出ていた。
あなたは誰だと思いますか?
私は、断然と言うか、群を抜いて釜本邦茂 だと思っている。
サッカーには何となく縁があって、中学生のころだから、もう70年近く前から関心があった。 神戸一中はサッカーの名門で当時の全日本のメンバーにOBがいっぱい名を連ねていたし、校長先生の高山先生がサッカー部のOBで、野球部も甲子園にも出場するなど強かったのだが、校内での存在価値は圧倒的にサッカー部だったのである。
その後息子が小学校からサッカーをしだしたので、親バカでサッカーはよく観に行ったものである。当時の日本リーグでのヤンマーは圧倒的に強くて、釜本の現役時代のプレーもよく知っている。
ネルソン吉村や、阿部などの名選手もいて強かったが、中でも釜本のシュートのすごさは、間違いなく世界のトップクラスだったし、当時は格上だった韓国戦などでも、日本には釜本がいたから何とかなったのである。
★記事はこんなことから始まっている。
本文の記事の内容は、1位釜本、2位カズ、3位香川で、4位に中田が入っているのだが、
日本の今の人達の一般的な評価が中田がトップだと言うことで、こんな見出しになっているのである。
★こんなのはなかなかこれが正しいとは言い難いのだが、チームの中での存在感や、プレーの迫力と言う点で、全然格が違うのではないかと思っている。
Wikipediaからの記述の抜粋である。
日本サッカー史上最高と言われたストライカー。1968年メキシコオリンピックでは7得点を挙げ、得点王に輝くと共に、日本代表の銅メダル獲得に大きく貢献した。右足から繰り出される強力なシュートが最大の武器。特に右45度からのシュートは正確無比で、そのレベルは恩師のデットマール・クラマー曰く世界最高クラスであった。また、左足からのシュートも右足ほどではないが正確であり、跳躍力を活かしたヘディングシュートも美しく、後に釜本は、自らのシュートについて「5割は右足。左足が3割で、頭が2割」と語っている。即ち、あらゆる形からゴールを奪う事が出来る万能型フォワードであった。
対戦相手は釜本の突破と右足からの強烈なシュートを警戒し、それを阻止する事に神経を集中させる。そこで左足のシュートが威力を発揮した。1974年の日本リーグ通算100得点目は左足のトゥキック、1981年11月1日の通算200得点目も左足シュートであった。
日本代表では杉山隆一との名コンビで知られた。1964年東京オリンピック当時は「20万ドルの足を持つ男」の異名で呼ばれた杉山の方が有名な存在であったが、後に釜本がストライカーとしての才能を開花させると、杉山はアシスト役に徹する様になった。そしてメキシコ五輪では釜本の記録した7得点のうち4得点は杉山のアシストからの得点であった。
釜本の選手時代の動画があったので、時間のある方はご覧になればいい。
★当時は日本リーグ時代でサッカーもそんなに人気が高いわけでもなくて、いつでも試合も観れたし、関西にいたのでゴルフ場などでもよく見かけたものである。
今のようなタレントのような人気ではなくて、まさにスポーツ選手としての能力の評価であったと思う。
そう言う意味では、J リーグで活躍しているカズ以下の人達と同じように比較するのもどうかと思ったりもする伝説の選手だと思う。
ただ、現役引退後の監督時代などの釜本は、あまり好きではナイ。あくまでも選手としての釜本がよかったと思っている。
English Version です。
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