雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

衛藤さんの記事の中の私

2018-06-06 10:02:53 | カワサキ単車の昔話

★先日ご紹介した衛藤誠さんの『二輪車新聞社便り』に『カワサキ販売網づくりの今昔』という記事があるというので読んでみた。

 懐かしい『カワサキ特約店制度』の取り組みは、私は未だ38歳の頃で、それを二輪車新聞のトップ記事に大々的に発表して貰ったことが、即成功に繋がった大きな要因だと今でもそう思っている。

 そのまま転記させてもらっている。

 

 

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二輪車新聞社便り

 

2017-10-02

カワサキ販売網づくりの今昔(1) 構想発表で大目玉

カワサキモータースジャパン(KMJ/寺西猛社長)は現在、新しい全国販売網政策に基づく「カワサキ・プラザネットワーク」づくりに取り組んでいる。思えばカワサキは今から46年前の1971年(昭和46年)、現行の「カワサキ特約店」制度の基盤ともいえる全国販売店の組織化が胎動の気配を見せていた

 これは、これまでの“実用車のカワサキ”から脱皮し、“中・大型スポーツ車”を中心とする販売展開を目指すため、新しい販売方式を模索しての動きであり、特に東京・大阪・名古屋など大都市市場で見られてきた。既にこの前年、70年(昭和45年)には東京で、中・大型機種の販売を指向する販売店約50店による「東京カワサキ会」(正式な名称は違うかも?)が結成された。

これに触発された大阪でも、カワサキオートバイ販売(カワ販=現KMJの前身/田中誠社長)大阪母店(近畿地区を統括)大阪営業所が1月、府下の主力20店を和歌山の勝浦温泉に招待して新年会。この席上、古谷錬太郎所長(大阪母店長も兼任)が“中・大型機種を指向する販売店の組織化”を相談したところ、出席者の大半が賛成し「早急に準備を進めてほしい」ということになったという。

この直後、古谷氏から私に声がかかり、古谷氏が考える新しい全国の“カワサキ販売店組織化構想”を示し「この早急な実施を図りたい」との話。そこで私も「この構想を二輪車新聞に掲載していいのか」と問いかけると、「是非大きく書いて」ということになり、本社でも“面白い”ということで、2月5日付で、1面トップで大きく扱ってくれた。

ところがカワ販でこの記事が大問題となり、私と古谷氏が明石のカワ販本社に呼びつけられ、当時の苧野豊秋専務から“大目玉”。

苧野専務曰く「現在、全国にカワサキ車を販売してくれている販売店は1000店以上ある。この販売店は、何の前触れもなくこの記事がいきなり舞い込んできたら何とする。販売店の今後の経営方針にも大きく影響するばかりか、カワサキの今後の営業活動にも大きく支障が出る」というような主旨のお叱りの言葉を約3時間。私は苧野専務のお叱りは“ごもっとも”と思い、大いに反省させられた。

ところが一方の古谷氏も、その場では“ハイ、ハイ”と平身低頭していたが、後々、古谷氏の言葉から、これは“確信犯”だと感じさせられた。

「難問題にチャレンジするには、まず、事を公に発表してから進める。当然リスクはあるだろうが、そのくらいのことは最初から覚悟している。私は物事を半年刻みに考えており、半年で出来ないものは、10年経っても出来る保証はない。これは私の信念であり、今度のことでは、衛藤さんには迷惑をかけたが、“事を急ぐため”の常套手段であり、物事の実現には大きな“追い風”になります。もちろん、これには多くの人たちを納得させる正当性がある限りです」とのこと。全く恐れいりました。

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠

 

★衛藤さんはこのように書かれているが、この販売網政策については、実はもう1年以上も前にカワ販の本社企画が立案をして役員会でも決裁・承認されていたのだが、第1線の現場が一向に動かないのである。現場の長にしてみると結構なリスクがあるし、本社案は総論は書いているが、実戦をどう進めるかなどは全く触れていないのである。

 私はこの時営業の現場責任者を初めて担当したのだが、会社が決めた方針が実際に動かないのは問題だと思って、私なりの方法でその実行を試みただけのことである。

 従って『この政策を実施すること自体』を苧野専務が怒られることは全くなくて、専務が怒られたのは『二輪車新聞に大々的に、本社の許可も得ずに大阪営業所が勝手に発表した』ということに対しての注意なのだが、こんなことを本社に相談などしていたら、それだけで何ヶ月も掛かってしまうのは間違いないのである。

 それに、私を大阪営業所に指名されたのは田中誠社長で、当時の大阪市場は全国でも最弱市場だったので『それを何とかするように』との指示を仙台から異動する前から聞いていたので『私流にやって大丈夫』と思っていたのである。

 

 

 2017-10-09

カワサキ販売網づくりの今昔(2) 現在も過去も狙いは同じ

古谷氏の狙い通り、事はトントン拍子に進み、「半年あれば物事はある程度の現実をみる」とおっしゃる通り、この年の5月には大阪府下の主要な販売店25店が参加して「大阪カワサキ共栄会」の結成総会にこぎつけ、カワサキオートバイ販売から田中誠社長の出席もみた。

名称の「大阪カワサキ共栄会」は、その文字通り“カワサキとその販売店が共に栄える”という願いを込めたもの。また、その会長には船場モータース(現・船場)の岡田博社長が就任した。さらに5カ月後の10月には、同共栄会の2回目の会合が開かれ、東京カワサキ会から北多摩モータース、城東カワサキの両社の社長さんも来賓で出席し、東京の組織活動などの情報を話し、相互に意見交換を行った。

このあと、カワ販大阪営業所は、カワサキ共栄会メンバーを軸とした販売強化策を展開して、府下の販売店のうち約500店もの販売店との取引中止を実施した。同時に「カワサキ特約店制度の基本構想」の検討にも着手した。これにはカワ販本社の田中社長も大阪の展開に強い関心を示し、その取り組みを側面から支援したこともテンポを早める要因になったようである。

おりしもカワサキは、この年(71年)、“二輪車事業10周年” を記念して、全国的な「二輪車事業10周年記念セール」を展開し、このセール成約の優良店100店を“KMC&米国市場視察旅行”に招待することにした。

このセールの主催は全国カワサキ会(小野寺和夫会長)。この会は、全国のカワサキ代理店(ディストリビューター)組織で、カワ販の各地区母店もこのメンバーに含まれており、大阪母店長の古谷氏は同会の副会長に就任していた。

「米国視察旅行」は、72年(昭和47年)1月8日から15日までの7泊8日で、KMC(カリフォルニア)とサンフランシスコなど西海岸の旅で、参加した100店のうち、約50店は東京地区、残る50店が大阪をはじめとする関西と、名古屋地区の販売店であった。この帰国直後には、京都カワサキ共栄会も結成をみた。

このあと、4月にはカワサキ本社に東京・大阪・名古屋地区を統括する直営部が社長直轄として設けられ、直営部長に大阪母店長から古谷錬太郎氏が赴いた。前年から検討されていた「カワサキ特約店制度」の構想も急ピッチで進み、8月中にはその概要がまとまり、二輪車新聞の8月31日付けに掲載。9月8日、大阪の厚生年金会館で、この正式な発表説明会を開いた。まずは直営部管内の東京・大阪・名古屋地区で先行することにして、正式なスタートは72年10月1日からだった。

契約第1号は、説明会を行った翌日の9月9日、大阪の船場モータースで、しかも船場モータースの岡田博社長は自店の契約だけでなく、東・名・阪各地で契約促進をバックアップした。さらに翌年の73年9月からは、この「カワサキ特約店制度」を全国的に導入することになり、首都圏全域や広島、福岡などで積極的な活動が展開された。

これには、東京・大阪・名古屋地区で特約店契約を結んでいた販売店も積極的な協力を行ったという。また、当時のカワサキは“ZⅡ”をはじめとする中・大型車の販売が好調で、これも特約店契約促進の追い風になったようである。

カワサキが現在取り組んでいる新しい販売網政策の「カワサキ・ネットワーク」と、46年前に取り組んだ「カワサキ特約店制度」は、新しい販売網を構築しようという狙いは共通している。しかし、唯一異なる点を挙げると、現在進めている制度は、寺西猛社長、清水泰博取締役を中心に、本社で綿密な計画を練り、これを全国展開している点と、46年前の制度は、販売店の声などを汲み入れる形で地域の営業所長などが考え、これを可能な地域から全国的に拡大しようとした点だと思われる。

この差異は、混沌とした46年前の二輪車市場と、すでに成熟しきっている現在の二輪車市場という、全く異なる時代的な背景がもたらすものだと思う。

なお、カワサキ・プラザネットワークは、15年11月に計画が発表され、16年4月に内容の説明会、16年12月8日、大阪にモデル店第1号がグランドオープン。17年4月から正式スタートし、17年中には全国で25店前後のカワサキ・プラザネットワークをみる予定。そうして当面の目標である20年4月までには全国で120店のカワサキ・プラザネットワークを実現させたいとしている。

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠


昭和47年8月31日付の二輪車新聞より。


昭和46年2月4日付の二輪車新聞1面。

 

★衛藤さんの記事はホントに正確で懐かしい。 

ただ、現在進められている『カワサキの販売網政策』とは、基本コンセプトの段階で差異があるようにも思うのである。

基本コンセプトに共感する仲間たちと一緒に創ったので、全国展開には3年程掛かったが県単位では1回の『特約店説明会』毎に完成していったのである。その説明を大阪の船場モータースの岡田博社長が、現地まで出向いて手伝ってくれたのである。

私の30代後半からの数年の大仕事であった。

この特約店制度の完成を見て、私は約10年の『カワ販出向』を終わり発動機事業本部企画室企画課に課長として復帰するのである。

 

もう50年も前の話だが、この特約店制度を一緒に進めた仲間たちは、いまもFacebooKのトモダチで繋がっているのである。 

平井稔男・柏原久・関初太郎・吉田純一・吉川健一・山本隆・加藤さん(八尾カワサキ)などなど、そのスタートの時期に、みんなカワサキにいた人たちなのである。

 

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水俣病を語り継ぐTシャツ

2018-06-06 06:12:01 | 発想$感想

 ★朝、ちょっと早い時間ですが『おはよう日本』で『熊本・水俣病語り継ぐTシャツ』という番組を見ました。

 

   

 

 『水俣病』ずっと昔のことだったぐらいにしか覚えていないのですが、改めていろいろと解りました。

水俣病(みなまたびょう)は、1956年(昭和31年)5月1日に熊本県水俣市にて公式発見され、1957年(昭和32年)に発生地の名称から命名された。1942年頃から、水俣病らしき症例が見られたとされる。1952年頃には水俣湾周辺の漁村地区を中心に、猫・カラスなどの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった(このころは「猫踊り病」と呼ばれていた)という。

  • 1946年:日本窒素がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。
  • 1949年頃:水俣湾でタイ、エビ、イワシ、タコなどが獲れなくなる。
  • 1952年:熊本県水俣で最も早期の認定胎児性患者が出生。ただし認定は20年後。
  • 1953年:熊本県水俣湾で魚が浮上し、ネコの狂死が相次ぐ。以後、急増。
  • 1954年:8月1日付熊本日日新聞で、ネコの狂死を初報道。

 

  ★ そんな水俣病を忘れないようにと、いろいろな活動が行われているようで、 その中の活動の一つとしてこんなTシャツが創られ、販売されているようです。     

     

      

 

 

     

 

 https://gaiaminamata.shop-pro.jp/?pid=121170163  の中でこのように説明されている。

水俣病事件の史実のひとつ、猫400号実験をモチーフにしたTシャツです。
水俣で暮らす夫婦創作ユニット「HUNKA」のおふたりに、制作を依頼しました。

 

   


「水俣をちゃんと伝える。そしてそこには愛やユーモアを添えたい」と願う気持ちを、このTシャツいっぱいに表現しています。

I died here.(わたしはここでしんだ)
I was here.(わたしはここにいた)
I am here.(わたしはここにいる)

 

猫400号ってなあに?

猫400号は、チッソ水俣工場付属病院の院長だった故・細川一先生が、
水俣病発生の原因が工場排水にあるのかどうかを確かめるべく行った通称「猫実験」の、400番目の猫です。白黒ぶちの、メス猫でした。

しかしながら、この猫400号の存在をチッソが公表することは、ありませんでした。
細川先生は、科学者であり医師でありながら、会社に属するひとりの人間でもありました

 

なぜ今「猫400号Tシャツ」?

1956年の水俣病公式確認から60年以上を経た現在も、水俣病は終わっていません。
たくさんの命が犠牲になって、現在の水俣があります。
その命に、少しでも想いを馳せたい。感謝の気持ちを伝えたい。
「あなたを忘れない」と言い続けたい。

そんな私の意思表明のひとつのかたちが、この猫400号Tシャツです。
お手にとって(着て歩いて)いただけると、嬉しいです。

― ガイアみなまた 高倉鼓子 ―

 

    

★戦後の日本を象徴する事件だったように思います。

私が社会に出た今から60年前のことですが、私も初めてその詳細を知りましたので、ブログに残しておきたいと思ってアップしました。

 

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