★『継続は力なり』とは言うがホントにそうかも知れない。
87年生きてきて、『私の周囲』には継続出来てるものが結構ある。
そんなにムツカシイことの継続は出来ないが、
簡単なことを努力で継続出来ているものばかりではある。
まず、一番長く続いているのが『日記』なのである。
毎日書いていたら、こんなに沢山になってしまった。
書き出したのが大学2回生の昭和28年(1953)11月9日だから、
もう67年続いている。
突然書き出したのは、11月8日の朝日新聞に
『蒋介石が30年間日記を付けている』のが立派だとあったので、
『日記を書くぐらいなら自分にも出来る』と翌日から書き出しているのであ
る。
11月だったので、日記帳など買わずにこんな大学ノートで始めている。
その第1日目にこのように書いている。
そのまま転記してみると
『平安の昔より十六夜・かげろう・紫式部日記と日記も上の部類では文学として1000年の年代を経て現在に残っている。そのような部類のものにしようとは毛頭考えてないのだが、ただ単なる青春の想い出として後々には自分の脳裏から消え失せてしまうであろう些細な日々の出来事を、大袈裟に言えば思想というものをつたない筆ではあるが記していこうと思うのである。
日記というものを自分で記そうと思ったのはこれが初めてである。
そして生まれて初めての日記の書き出しが肺浸潤という病気に悩まされている日々であることは思っても不幸極まりないことである。
日記とは読んで字のごとく日々の記である。このようなものは少なくとも後に自分の考えなり行動なりを残そうとする意志表示である。健康な時には日記など見向きもしなかった代物である。
十日ほど寝たというだけで、日記を記そうという気持ちになるのはどういう意味を持つのだろう?
人生五十年という短いとされている期間をさらに短縮されるかも知れないという人の弱い気持ちから出ているのだろうか?
一日の手持無沙汰からかも知れない。まあとにもかくにも悪いことではなさそうである。世に名の聞こえた人々も多く記していることではあるし。
いつまで続くかが問題である。これから先一生続いたら大したものである。
2,3日で止まってしまっても、またそれもよいだろう。
身分相応に『あきしょう』の自分に最適な大学ノートによってその1頁を始めることとする。
いついつまでも続くことを祈るや切である。』
大学2年の秋のリーグ戦の途中から、何となく体が『けだるく』て、
自分から医者に診てもらいに行ったら『肺浸潤』と診断されたのである。
『10日間ほど寝てた』と書いてるが、一番落ち込んでた時期だと思う。
『肺浸潤』にはなったが、その後は寝込んだりはせずに、ずっと野球を続けていたら、段々ひどくなって『肺結核』から更に『空洞』が出来たりしたのだが、会社に入社して3年目に入院したら1年で完治して、今まで生きている。
そんなことで日記もそのまま続いているのである。
★大学ノートでスタートした日記だが。
今では『5年連記』の高価で立派なもので書いている。
定年後になってネットをやり出してから特に現役時代の昔のことを書く際には
本当に重宝しているのである。
『人間の記憶力』が如何に『いい加減』なものであることを思い知らされる
ことが何度もあった。
どうも自分の『都合のいいように』覚えているので、事実と違うことが多いのである。
★ ちょうど20歳の時から書き始めて
これは29歳の時、この年の12月21日に結婚しているのだが、
この年の日記を先日読み返してみた。
会社の仕事も『めちゃ忙しかった』年なのだが、
『家内との付き合い』にも相当の時間を割いている。
なぜ12月21日などと言う年末の押し詰まった日に結婚式を挙げたのかというと、会社の仕事が忙しくて、とても10日間も休むことなど『考えられなかった』のだが、ほぼ1年も終わってやっとこの日には何とかなったのである。
これがその年の日記帳である。
若し、日記がなかったら、この年のことなどこんなに詳細には思い出せないだろう。 そういう意味でも日記はなかなかいい。
書いてるときは、単に書いているだけなのだが、後になって役立つこともある。
★ 今からも『生きてる限り』日記は続くかも知れない。
今の日記帳は来年まで、米寿の年(88歳)までは大丈夫だが、
来年の秋には、また『5年連続の当用日記』を買うことになるのだろう。
それから5年と言えば、『93歳まで』
自分の感じとしてはこれくらいまでは大丈夫だろうと思う。
『蒋介石』は『30年日記を書いて』褒めて貰っていたが、
私は誰も『褒めてくれる』人がいないので、
自分でこんなブログにアップして悦に入っているのである。
日記に限らず『継続しているもの』は幾つもある。
これは『私の趣味』なのかも知れない。