★今年阪神タイガースが優勝したら『38年ぶりの日本一』と言われてた。
そんな38年ぶりの夢が実現した。
ところで、38年前はどんなチームだったのか?
「38年前の日本一のチーム』は吉田義男監督時代の阪神タイガースで、
こんな懐かしいオーダーだったのである。
この38年前のチームはまさに素晴らしいメンバーで、
間違いなく日本一に値する。
素晴しい実力もさることながら、こんなメンバーが揃った
そんないい運も吉田義男さんはお持ちだと思っている。

★ 『吉田義男』さんの名前が出てきたので、
もっともっと旧い時代のお話をご紹介してみよう。
吉田義男さんは高校は京都の山城高校だったが、
昭和25年(1950)の夏の甲子園に出場していて、
当時2年生だったから、私と同年配なのである。
その年は明石高校も甲子園に出場していて直接対決したわけではないのだが、
この年に出来た『新豊岡市誕生』を記念した野球大会が豊岡市で開催されて、
その夏、甲子園に出場した兵庫・京都・鳥取の3県の明石高・山城高・米子東高の3校を招待されての野球大会が開催されたのである。
試合そのものは3者1勝1敗に収まったのだが、
その中で私の印象に残っている選手が『吉田義男』さんだった。
小さい体でショートを守り、守備もよかったが、
大物ぞろいの山城で3番を打ち、3安打を打った打撃の方が印象的だった。
その夜は城崎温泉の最高老舗旅館・西村屋本館に泊めて頂いて、
3校揃っての最高のおもてなしを頂いたのである。
まだ戦後の貧しい時代からの復興途上の時期だったから、
食い盛りの高校球児にとっては、
城崎温泉の最高旅館でのおもてなしは『想い出に残る最高の出来事』だったのである。
38年どころか73年も前の話である。

私の高校時代の一番いい想い出だったと言ってもいい。
多分吉田義男さんも、間違いなく
この城崎温泉の西村屋本館も、この野球大会のことも覚えておられると思う。
別に面識がある訳でもないのだが、そんな『想い出を共有する』仲間として、私はいつも吉田義男さんを何となく親しく捉えているのである。
★私と同い年のはずだから、もう90になられたと思う。
どうしておられるのか?
『吉田義男さんの近況』と検索してみたら
こんな写真が現れた。

ごくごく最近の写真だが、お元気そうで何よりである。
これは間違いなく『100歳が大丈夫』だと思う。
私も、吉田さんにあやかって、頑張って生きたいと思っている。
そう言えば、岡田監督もいい運をお持ちである。
38年前のメンバーでもあるし、
「阪神タイガースの2回の日本一』に関係されている唯一のメンバーなのである。
改めて『阪神タイガース38年ぶり優勝』おめでとう。