★ 昨日は西明石のホテキャッスルプラザでの蕪会があって出席してきた。
「蕪会」とは川重の明石工場に勤めていた単車と発動機のメンバーのうち
課長と部長の集まりで『かぶら会』と名付けられた会である。
蕪会が出来たのはそんなに旧くはなくて、今回の会合が第7回なのである。
現在の蕪会会長は3代目で三原修二さんなのだが、
三原さんとは現役時代いろんな関係で私と繋がっていたのである。
今日の会長挨拶の中でもちょっと触れられたが、
カワサキモータースという現在の名前が産まれたの1993年のことで
その名付け親は私で、それを承認してくれたのは当時事業部の企画課長だった三原修二さんなのである。
1993年当時は私は国内のカワサキオートバイ販売の専務だった。
国内で7万台も売れていた最盛期だったのだが、
その内訳は二輪が6万台、ジェットスキーが1万台にもなったので、
カワサキオートバイ販売という名前は変えねばならないということになったのである。
幾つかの案の中から『カワサキ・モータース・ジャパン』に決定し、
1993年からKMJはスタートしたのである。
そんな「カワサキ・モータース」という名前が今回の事業本部の新会社の名前となって、
いま世界のカワサキの販社は「カワサキ・モータース」の傘下に入っているのである。
★そんな懐かしい昔話を楽しく語り合いながらのいい会合だった。
50名ほどのメンバーが集まったのだが、
集まったメンバーには90歳以上の方が4名おられたのだが、
私は4番目で、最高齢は94歳だと言われていた。
そんな高齢でもこのような会に出席される方はみんなお元気で、
旧い昔の想い出を懐かしんだいい時間が過ごせたのである。
★今年はカワサキの単車事業スタートから70周年なのだが、
12月にはKX50周年の記念祭もあるし、Z1会の忘年会もある。
そんな会合に出席できるということは、元気で生きているということで、
本当に嬉しいことなのである。
そんな会に出てこられる方はみんな本当にお元気で素晴らしいことだと思っている。
今月中旬には大学の野球部のOB会もある。
この会合にも出席するし、できれば昼のソフトボール試合にも出場したいなと思っている。
兎に角、健康で元気だということはこの歳になると一番の宝物である。
これから1ヶ月半、大いに楽しんで生きたいと思っている。
そんな幕開けの蕪会だった。