鈴鹿8耐がこの週末30周年の記念大会である。
朝日新聞なども連載で30年の8耐の歴史を振り返っている。
丁度その真ん中の1990年からの何年間か8耐のど真ん中にいたような、そんな夏を毎年経験していた。
鈴鹿に20万人近い人たちが押し寄せ、8耐が一番華やかだった時代である。
30年の歴史の中で、カワサキが優勝したのはたった1回、1993年7月25日、ラッセル、スライトのコンビで悲願の優勝を果たしている。
カワサキが耐久に弱かった訳ではない。むしろその逆である。
耐久の本場フランスのルマン24時間では当時2連覇を達成している。
そのフランスのチームをKAZEのスポンサードで何度か招んだりしたのだが、それでも勝てなっかった。
8時間の鈴鹿耐久レースは独特の高速耐久で、それなりに非常に過酷なレースだったのである。
当日の日記には、
「8耐ウイークがまだ梅雨の明けない異常気象で雨の心配のなかスタートした。----本当に優勝はあっけなく手中に入った。夜スポンサーのイトーハムや高橋鉄郎さんらと祝杯を挙げた。
日本航空高校チームの参戦などもあって、カワサキが8耐の話題を独占した。」と書いている。
そして、あけて26日の日記、
「独り鈴鹿から車で帰社、午後の営業報告会はシャンパンでの乾杯から始まった。
岩崎君が出席していなかったが、彼が一番ほっとしたと思う。モタースポーツ部が出来た年に優勝できてよかったと思う。----」とある。
当時、カワサキはレース界からも注目されていて、
スポンサーもイト-ハムやまんだい、
さらにはアート引越しセンターが「0123のゼッケン」で出場するなど話題を集めていた。
実現しなかったが、朝日でも紹介された千石さんが、「カワサキで」と島田しんすけと明石まで訪ねてくれたりした。
なんとしても優勝したかった頃である。
モータースポーツ部が出来て、岩崎茂樹君が部長で担当した。
今年の8耐に出発するチームの 「はらださん」 から先日。
「今から8耐に行ってきます。 岩崎さんもどこかで見てくれていると思います。」 とコメントが届いた。
カワサキが唯一優勝を果たしたときのマネージャー岩崎茂樹君も故人になってしまった。
でも、いろんな人がいろんな想い出を持っている鈴鹿8耐である。
30周年の記念大会の今年はどんな結果になるのだろうか。
朝日新聞なども連載で30年の8耐の歴史を振り返っている。
丁度その真ん中の1990年からの何年間か8耐のど真ん中にいたような、そんな夏を毎年経験していた。
鈴鹿に20万人近い人たちが押し寄せ、8耐が一番華やかだった時代である。
30年の歴史の中で、カワサキが優勝したのはたった1回、1993年7月25日、ラッセル、スライトのコンビで悲願の優勝を果たしている。
カワサキが耐久に弱かった訳ではない。むしろその逆である。
耐久の本場フランスのルマン24時間では当時2連覇を達成している。
そのフランスのチームをKAZEのスポンサードで何度か招んだりしたのだが、それでも勝てなっかった。
8時間の鈴鹿耐久レースは独特の高速耐久で、それなりに非常に過酷なレースだったのである。
当日の日記には、
「8耐ウイークがまだ梅雨の明けない異常気象で雨の心配のなかスタートした。----本当に優勝はあっけなく手中に入った。夜スポンサーのイトーハムや高橋鉄郎さんらと祝杯を挙げた。
日本航空高校チームの参戦などもあって、カワサキが8耐の話題を独占した。」と書いている。
そして、あけて26日の日記、
「独り鈴鹿から車で帰社、午後の営業報告会はシャンパンでの乾杯から始まった。
岩崎君が出席していなかったが、彼が一番ほっとしたと思う。モタースポーツ部が出来た年に優勝できてよかったと思う。----」とある。
当時、カワサキはレース界からも注目されていて、
スポンサーもイト-ハムやまんだい、
さらにはアート引越しセンターが「0123のゼッケン」で出場するなど話題を集めていた。
実現しなかったが、朝日でも紹介された千石さんが、「カワサキで」と島田しんすけと明石まで訪ねてくれたりした。
なんとしても優勝したかった頃である。
モータースポーツ部が出来て、岩崎茂樹君が部長で担当した。
今年の8耐に出発するチームの 「はらださん」 から先日。
「今から8耐に行ってきます。 岩崎さんもどこかで見てくれていると思います。」 とコメントが届いた。
カワサキが唯一優勝を果たしたときのマネージャー岩崎茂樹君も故人になってしまった。
でも、いろんな人がいろんな想い出を持っている鈴鹿8耐である。
30周年の記念大会の今年はどんな結果になるのだろうか。
そんな中で5回も勝った宇川君は凄いですね。ノービスの頃から九州で見ていましたので、嬉しいですね。
さあ、今年はどんなドラマが待っているんでしょうか?
もう何年も忘れていましたが、今年は新聞の連載記事などであの熱い鈴鹿の感動を懐かしく思い出しました。
翌年も転倒してはコースに戻る果敢なペアでした。既に3人可だったのですけど、前年の雪辱戦という事で2人で交代していました。
今回はワークスでは参加していないのですね。
カワサキ Dream-Plus。TSRホンダの伊藤真一選手が鈴鹿に持ち込んでる様ですよ。
それが解らなくて、その辺のところ明日のブログでアップします。
どんな理由からか解りませんが寂しいですね。
私がカワサキに居たのは98年まででした。
ファクトリーに近いプライベーターだとは思いますが、記念大会に最も相応しいチームのような気がします。
来年はカワサキも参加して欲しいものです。