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天声人語に刃物、小刀、ナイフについて触れていた。
刃物について最近のニュースはみんな暗いものばかりである。
刃物は凶器というイメージだが、人が生きていく上で刃物と無縁では生きていけないのである。
すぐ危ないなどと直結しないで、もっと積極的に付き合う方向で考えて欲しいものである。
昨今の発想はみんな単細胞で『人間らしさ』に欠けている。
天声人語から概略を
『「カッパ先生」という人の思い出を、心理学者の故・河合隼雄さんが書いている。
ある日カッパ先生は、生徒が小刀で、机に彫り込みの落書きをするのを見つける
▼だが怒るどころか、「お前の刀の切れ味は相当なものや」。いっしょに木版彫りをやらないかと勧める。
▼中学校で美術を教える方だ。「刃物を使う授業は手や心を育てる」と書いていた。「ありがたさや怖さ、物づくりの喜びを味わえば、刃物による罪を犯せない」と説いている
▼秋葉原の事件のあと、刃物をめぐる議論が盛んだ。
▼刃物をいつも持たせる学校が、長野県にある。池田町の会染(あいそめ)小では、入学すると折り畳みナイフの「肥後(ひごの)守(かみ)」をみんながもらう。筆箱に入れて鉛筆を削り、工作に使う。手入れも怠らない。「ナイフに親しむ週間」を設け、6年生が1年生に教えるのを伝統にしてきた
▼「正しい使い方も身につく。教えることは教えて、あとは子どもを信頼します」ところで、冒頭のカッパ先生と木彫に励んだ生徒は素行が改まったそうだ。「今の先生方のヒントになれば」と河合さんはつづっている。』
肥後の守に「フリカナ」を打たぬと読めぬ時代になったのか。
その肥後の守は三木で永尾元佑さんが一人で作っている。
今年の4月『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』の時、長尾さんにも来て頂いた。
三木で作る竹とんぼだから、是非肥後の守の使い方もも思ったのである。
長野県池田町の会染小学校の子供たちからは毎年長尾さんに沢山の手紙と感謝状が贈られてくる。
永尾製作所の事務所には、子供たちが作って送ってきたこんなのが掛かっている。
いつも紹介されるのは長野県の会染小学校の話である。
それはそれでとてもいい話なのだが。
地元の三木ではどうなのか?
地元の小学生も見学に来ているし、お礼状も届いている。
でも、一向に話題に取り上げられないのである。
何故だろう?
刃物に対して向き合う態度がぼんやりとして、
きっちりとした意見を、『三木として』持っていないし、
仮に持っていたとしても明確に情報発信していないのである。
三木の産業を育てる観点から肥後の守に対するのもいいが、
もっと基本的な『刃物に対するコンセプト』が、
刃物の町三木としては『ぼんやりしすぎている』と思っている。
刃物に対する子供の教育を、明確に意識して考えてみてもいいのではないかと思う。
今日の天声人語を見て、『共感する、三木の一人の市民』としての感想である。
また、昨日まで取り上げてきた『元気な三木』への対応の一つにもなるだろう。
天声人語に刃物、小刀、ナイフについて触れていた。
刃物について最近のニュースはみんな暗いものばかりである。
刃物は凶器というイメージだが、人が生きていく上で刃物と無縁では生きていけないのである。
すぐ危ないなどと直結しないで、もっと積極的に付き合う方向で考えて欲しいものである。
昨今の発想はみんな単細胞で『人間らしさ』に欠けている。
天声人語から概略を
『「カッパ先生」という人の思い出を、心理学者の故・河合隼雄さんが書いている。
ある日カッパ先生は、生徒が小刀で、机に彫り込みの落書きをするのを見つける
▼だが怒るどころか、「お前の刀の切れ味は相当なものや」。いっしょに木版彫りをやらないかと勧める。
▼中学校で美術を教える方だ。「刃物を使う授業は手や心を育てる」と書いていた。「ありがたさや怖さ、物づくりの喜びを味わえば、刃物による罪を犯せない」と説いている
▼秋葉原の事件のあと、刃物をめぐる議論が盛んだ。
▼刃物をいつも持たせる学校が、長野県にある。池田町の会染(あいそめ)小では、入学すると折り畳みナイフの「肥後(ひごの)守(かみ)」をみんながもらう。筆箱に入れて鉛筆を削り、工作に使う。手入れも怠らない。「ナイフに親しむ週間」を設け、6年生が1年生に教えるのを伝統にしてきた
▼「正しい使い方も身につく。教えることは教えて、あとは子どもを信頼します」ところで、冒頭のカッパ先生と木彫に励んだ生徒は素行が改まったそうだ。「今の先生方のヒントになれば」と河合さんはつづっている。』
肥後の守に「フリカナ」を打たぬと読めぬ時代になったのか。
その肥後の守は三木で永尾元佑さんが一人で作っている。
今年の4月『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』の時、長尾さんにも来て頂いた。
三木で作る竹とんぼだから、是非肥後の守の使い方もも思ったのである。
長野県池田町の会染小学校の子供たちからは毎年長尾さんに沢山の手紙と感謝状が贈られてくる。
永尾製作所の事務所には、子供たちが作って送ってきたこんなのが掛かっている。
いつも紹介されるのは長野県の会染小学校の話である。
それはそれでとてもいい話なのだが。
地元の三木ではどうなのか?
地元の小学生も見学に来ているし、お礼状も届いている。
でも、一向に話題に取り上げられないのである。
何故だろう?
刃物に対して向き合う態度がぼんやりとして、
きっちりとした意見を、『三木として』持っていないし、
仮に持っていたとしても明確に情報発信していないのである。
三木の産業を育てる観点から肥後の守に対するのもいいが、
もっと基本的な『刃物に対するコンセプト』が、
刃物の町三木としては『ぼんやりしすぎている』と思っている。
刃物に対する子供の教育を、明確に意識して考えてみてもいいのではないかと思う。
今日の天声人語を見て、『共感する、三木の一人の市民』としての感想である。
また、昨日まで取り上げてきた『元気な三木』への対応の一つにもなるだろう。
こんにちは。
いつも思っているのですが、「chiblits」はお名前ですか、ハンドルネームですか?いつでもまた結構です。
私も詳しく知っているわけではありませんが、
今の小学校でも小刀で工作などしているところはあるようです。
ただ、世のお母さん方の大勢は『刃物は危ない』と仰るようです。
明日、アップするブログで触れている、文部科学大臣賞を受賞した『どこ竹の竹とんぼ』の造り方も、最初は小刀を使わずサンドペーパーで作れる竹とんぼから入っています。
肥後の守などを使うといった時点で即座に『危ない』と言われるようです。
料理にも毎日包丁は登場します。
もっと積極的に刃物と向き合う姿勢が、世のお母さん方に欠けていると思っています。
子供を育てる少なくとも50%は世のお母さん方の責任です。
chiblitsさんのファンの女性はどうお考えなんでしょうか。
私は、この会染の小学校の生徒たちや校長先生に共感して、こんなブログを書いたり、竹とんぼの会を造ったりしています。
切り絵教室など、子供達に刃物を使わせる機会がありますが、去年のイベントで幼稚園の子供さんが器用にカッターを使う光景を目にして驚きました。
親は子供に対して「刃物は危ない」と言いますが、危なくないように指導してやるというのが親の役目ではないでしょうか・・・小学生の頃に、小刀で鉛筆を削り指を切ったことが何回もありました。
痛いという経験から刃物の怖さだとかを知ったはずです。
器用な子供が減ったのではなく、創意工夫を大人が子供達から取り上げているのかもしれません。
デジタル文化が進化すれば、アナログ文化は衰退しますが、デジタルを作ったのはアナログの人間じゃないですか・・・アナログ文化をもう一度見直せば良き時代の日本に戻れるのかもしれませんね・・・
人に知恵があるのなら、一時の便利さばかりの追求から、もう一度人のいき方の原点に戻るべきだと思っています。
刃物など格好の勉強の素材です。
使い方で変わってしまいます。
その原点は心の持ち方でしょう。
刃物が示す世の「条理」なんだと思います。
かなり飛躍しますが、少年事犯でやりすぎて殺しちゃうなんて事は、
そういった「止める力」の欠如が大元なのではないかと思ってしまいます。
僕などは、バイクの整備中にスパナを回し過ぎて、
エンジンやクラッチなどの金属部品の角で手の甲を切ったり、
はたまた馬鹿力でネジ頭をナメてしまったりする事が多いのですが、
刃物の扱いの上手い人は、あまりそういう事をしないみたいですよ。
翌日、竹とんぼ教室で子供たちの工作を見ていましたが、手先と言うのは訓練するとすぐ覚えるのですね。
刃物ではありませんが、1時間ぐらいの間にぐっと上手くなりました。
やはり手先はもっと使わなくてはと思いました。