★ 昭和32年入社だから1957年なのだが、
1999年まで務めたので、実質42年間の現役生活だったのである。
二輪事業は地方の販売店まで訪問する機会が多いので、
その業務には車の運転が必須なのである。
この二輪を担当することになって運転免許も取ったのだが、
当時はまだ免許を持ってる人は少ない時代だった。
最初は国内市場だけだったのに、アメリカに進出し、ヨーロッパにも手を広げ、
さらには東南アジアや開発途上国市場のCKD事業にも関係したので、
世界各国の道を知っているということになっていったのである。
★ そんな二輪車担当を卒業して、最後の2年間は北海道札幌で、
『北海道川重建機』という優良会社の経営を任された2年間だった。
その社名から川重の子会社のように思えるのだが、そうではなくて
地元資本の会社なのだが川重の建機車両を主として扱っていたので、このような社名になっていたのである。
この北海道川重建機は道内に10以上の支店があり、
こんな支店網だったのである。
そんな支店訪問も、移動手段は二輪時代の慣習で、
与えて貰った4駆のクラウンですべて自分で運転していたので、
北海道の道は殆ど走ったような気がする。
雪道も走ったのだが、4駆のクラウンは素晴らしくて、
若いころ東北の雪道を走った時代からは、
考えられないほどの安定感だったのである。
★東北6県も4年間担当したから、
東北の道は、大げさに言えばすべて知っていると言ってもいいほどだが、
当時の道は峠は殆どすべて未舗装の砂利道で、むしろ雪道になった方がスムースに走れたようなところもあったのである。
東北の後は、近畿2府4県の担当で、中部日本も東京も担当したし、
九州は直入にサーキットを創るときにいろいろ走り廻ったので、
結構詳しいのである。
ひょっとしたら運送業のトラックの運転手より詳しいかも知れないのである。
★日本ほどは詳しくないのだが、世界の道も結構走っている。
国内を10年間担当して出向から戻ったら、
カワサキの初めてのCKD 市場の担当となり、
タイや東南アジアなどは、何回も長期間行ってるので、走行距離も結構長いのである。
ずっと国際免許を持っていて、どこに行っても空港でレンタカーを借りて走り回っていたのである。
オーストラリアも海岸線の長距離を車で移動したし、
何度か出張してその内陸も走っていて、結構詳しいと言えるだろう。
その後のヨーロッパ市場も、距離的には各国間をレンタカーで行き来出来たし、
スペインの海岸線の観光地もジェットスキーの調査で走ったことがある。
こんな社用での車の走行とは別に、
プライベートで家内とのオーストラリアやヨーロッパ旅行でも
レンタカーで好きな道を走り回ったりしたのである。
元来、『車の運転』が好きなのだと思う。
アメリカも現役時代は空港からレンタカーだったし、
現在は娘婿一家がアーヴァインにいるので、
これは乗せて貰っているのだが、結構な距離を走っているのである。
★ これらの国々を出張旅費を頂いて行けたので、
ほんとに『いい現役生活』だったと思う。
末端のユーザーや販売店はみんなバイクが好きな方たちで、
お客様と言っても、ほかの業種の『お客様』のようなところは全くなく、
逆にお客様から『メーカーの人』ということで特別の目で見て頂いたようなところもあった。
一般のサラリーマンの方のような堅苦しい会社生活は全くなくて、
ずっと好きなことを、好きなように出来た自由業のような現役生活だったのである。
★そんなことで「私の車の運転」は現役時代から今も、
ずっと毎日続いているのだが、
お陰様で、無事故無違反のゴールド免許が続いているし、
運転は好きだし、結構自信もあって、90歳の今も毎日車に乗っている。
果たして何歳まで運転できるのか?
いまのところまだまだ大丈夫だと思っているのだが、
若し免許を返納するような時になったら、
私の人生も終わりかなと思ったりするのである。