雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

高齢者の体力維持  雑感

2019-07-18 06:13:26 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ この絵の画かれた広告が新聞に載っていた。
  こんな状況予防に薬をどうぞと書かれている。


 


 確かに、年を取るといろんなところが弱ってくる。
 私は今は86歳だが、一番体力的に弱っていたのは、60代の後半ではなかったかなと思っている。

 会社の仕事が忙しかったし、車ばかりで歩くことは少ないし、運動など殆どする時間もなかったから、駅の階段を上るのも息が切れたし、足腰や膝が痛くてずっとマーサージや整形外科のお世話になっていた。

 体力の衰えは60代になって顕著になると思うが、この年代は未だ自分の時間もないし、なかなか運動などムツカシイのかも知れない。
 こんな体力維持の薬を飲むのも一つの手段かなと思うのである。


★ 70代になって『自分の時間』が十分に取れる定年後の体力維持というか、むしろ『体力向上』を目指すことが肝要だと思う。

 私の場合は、70歳くらいから毎朝ストレッチをやり出した。
 だんだんと柔軟性が出来て、体を動かすことに苦痛を感じなくなった。
 75歳ぐらいから、筋力をつけることを目標に35メートルダッシュを近くの公園で始めたのだが、不思議なことにだんだんとスムースに早く走れるのである。
 80歳からは距離を50メートルに延ばして、段々と早く走れるようになっている。
 85歳から、ふとしたことでジム通いを始めて1年半になるが、筋力はさらに付いたし、3000メートルのスロージョッギングを始めている。最初はとても走り続けるのは無理だったが、今は30分は大丈夫走れるようになった。

 『継続は力なり』というがホントにその通りなのである。
 これは、有り余る時間があるから出来るのだと思っている。
 だから、是非自分の時間がとれるようになったら、何か運動をされたらいい。
 ウオーキングはいいのだろうが、筋力は付かないのでは? 
 スピードは歩く程度の『スロージョッギング』がお勧めだと思う。

 いつまで続くかな?と思っているが、
 若し生きてたら、『まずは90歳まで』を目標にしたいと思っている。
 一番の効果は、太ももの筋肉が充実して、体がしゃんとしていること。
 間違いなく、68歳当時より元気なのである。


 

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オートバイ神社 &  川崎神社   雑感

2019-07-17 04:59:15 | カワサキワールド

★昨日Facebook の私のページに、
 吉田純一さんがこんな『オートバイ神社の記事』を寄せてくれた。

            


 また一つ、東京に『オートバイ神社』が新しくスタートしたようである。


 

 
 
このプロジェクトは、今は一般社団法人・日本二輪車文化会長の吉田純一さんが、数年来熱心に進めているプロジェクトで、ベタータイムスの森田伊活さんなども応援をしているし、 

吉田純一さんも、彼とカワサキの同期の柏原久さんなども神主の資格を取って、推進をしているプロジェクトなのである。


  


 
何年か前に浜田市に吉田純一さんが自ら地元の方と一緒に立ち上げた神社が第1号なのである。 
                                                   (2014年10月7日とある)

   


  


 


今は全国各地に、幾つもの『オートバイ神社』が出来ていて、オートバイユーザーのツーリングの目的地にもなっているようである。
  

 
このような、それこそ日本独特の『オートバイ文化』が定着したらいいなと思っていて、私は陰ながら応援しているのである。



★ 話はちょっと変わるが、
  こんな立派な二輪車と関係のある神社があることをご存知だろうか?


  

 
   この神社の名は『川崎神社
 明石のカワサキの単車工場の中にあるのだが、カワサキの方でもあまりご存じない方も多い。

 今の川崎重工業の社長さんはご存知だろうか? 
 
 これは、昔からあった神社を 髙橋鐵郎本部長時代に、改めてこんなに立派に創られたのである。 


  

   既に、こんな写真で、こんな英文で Facebook ページに紹介されている。

There is a Shinto Shrine in KAWASAKI AKASHI FACTORY.
I was visiting there and praying to the God yesterday.
May KAWASAKI's God protect to all of KAWASAKI MC and our Z1s forever!!


この立地は工場の正門のすぐ右手にあるのだが、かっての研修センターの裏側に位置していて、目につかないのでご存じない方も多いのだが、知ってる人は工場を訪れた外国人の方でもご存じなのである。

 
これは『私の夢』の一つなのだが

カワサキのOBで且つ 二輪車文化協会会長の吉田純一さんが陣頭に立って進めている『プロジェクト』の中の
 『オートバイ神社・明石の川崎神社』になればいいなと思っている。

 この神社の立地は、その気になってちょっと障ると、明石工場とは別に国道から神社だけに直行できる絶好の場所に位置しているのもよくて、自由に一般の方が参拝できるようになる可能性がある。

 

 現在のカワサキの二輪車事業に従事されている現役諸君の中に、
 吉田純一さんや、私などの
 『カワサキOBが思うような同じ発想の方はおられないのかな?』
 と思ったりするのである。

 1990年代に髙橋鐵郎さんが折角これまで立派にされた神社が、
オートバイユーザーの想いと共存出来たらいいな』と思っているのである。
多分、間違いなく髙橋鐵郎さんも喜ばれることだろう。

 

 『人は死ぬまで夢をもて! その夢が叶わなくても、しょせん夢だから

  

アメリカの孫が、気に入ってた佐賀県武雄市長だった樋渡啓祐さんの言葉である。




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日本では普通だが、アメリカでは貴重なもの

2019-07-16 12:37:47 | 発想$感想

★ 7月初めから日本に遊びに来てた孫がアメリカに持って帰ったお土産。

 何かいろいろ買ってたのは知ってたが、中身はこんな他愛もないモノばかりだったようだ。
 アメリカの娘が早速Facebook にアップしてた。

 


 化粧品などは解るが、歯ブラシもある。

 Facebook ではトモダチとこんなやり取り

  

  
 揖保乃糸 などどこに写っているのかと思ったら、上の方にあった。
こんなややこい写真だが、隅々まで見てるのは、奥様方はアメリカに行っても同じだなと思ったりした。

 買い物の運転手だけは私が務めたので、これほど喜んで貰えたらよかったなと思っている。
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7月15日、 祝日 海の日

2019-07-16 06:29:21 | 発想$感想

★ 曇りや雨の予報だったが、三木は青空、7月15日はなぜか祝日?

海の日』のようである。
朝からジムに行って、プールにも行ったが、今日は流石に子どもたちで一杯だった。

 ちょうど、この時期我が家の『ブラックベリー』は放っておいても鈴なりである。

  

 
 黒くなったら食べれるが、今朝は籠にいっぱいの収穫だった。

  


 今年期待した『葡萄』は、蔓と葉は育ったが、残念ながら今年も「葡萄の実」は見られなかった。
 昨年は採れた『みかん』も『すだち』も、今年はなぜか実が成らない。

 なかなか植物を育てるのは難しいのに、
 
木の枝と、雑草は、幾ら切っても、除草しても追いつかないほど、成長が早い。

  


 薔薇に肥料をやるので、余計に成長するのかも知れない。
  


 昨日は、陽が差し込まない昼過ぎから、剪定と草抜きをしたらこんなになった。


 





 抜いた草の量も半端ではない。
 3袋になった。 

  


 昨日は朝はジム、午後は庭仕事、

 結構、動いたら体重は1キロ減った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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オワコン 雑感

2019-07-15 07:03:37 | 発想$感想

★『オワコン』とは一体何のことか?

 孫たちが来てて、賑やかだったのに、今日はすっかり静かになった。
 時間もたっぷりある元の生活に戻った。

 そんな1日、 7月12日だから一昨日のことだが、三木から鎌倉に戻ったばかりの孫、古谷仁が、ツイッターでこんなツイートを。


     


Jin Furuya‏ @njiji11960                    7月12日            
 
オワコンって言葉をオワコンしたい。ビジネスの人がオワコンって使うとき、大抵の場合、文化は無視して、市場のことしか頭にない。市場にオワコンはあるかもしれないけれど、文化にオワコンはない。文化は発酵されて新たな価値が炊かれて佇む。市場も文化化してきたから、オワコンをオワコンしよ。


 三木に来てた時、 仁に こんなことを私は言った。
 『お前のツイッターの文章は、自分だけが解っている文体で、他人(ひと)が読むと理解しにくいよ』 と言ったりしたので、このツイートに限っては、文体そのものは理解できるのだが、そこに書かれている『オワコン』という言葉が全然わからないのである。

 『オワコン』と聞いて『すんなりと解る人』が普通の世の中なのだろうか?

 『オワコン』とGoogle 検索してみると、いっぱいその解説が並んでいるが、その中   の一つがこれである。



★ 『オワコン』とは 終わってしまったコンテンツのことだそうである。

   


 こんな解説記事で始まっていて、結構長くて詳しい。
 2010年ぐらいに出来た言葉だというから、出来てから10年ぐらいの言葉で、
 それは間違いなく『平成の言葉』で、『昭和』ではない。

 だから、私が知らないのも当然かも知れないが、果たして日本人の何%ぐらいの方が解っているのだろう?

 こんな風に使うのだそうである。
 
  
 

 孫が言ってるのも、満更間違ってはいないのである。
 長い、長い解説文を読んでみて、よく解った。

 でも、最近は物忘れが激しいから、その言葉を使わないと直ぐ忘れてしまう。

 『オワコン』など、私が会話する相手の方たちは、果たしてお解りなのだろうか?
 
こんな他愛もないことを、ブログにアップしてるのは、『閑だ』ということの証明である。 

goo のブログの 『リアクション管理』の項目にこんなのがあるのだが、
役立った』と評価してくださる方が、一人でもいれば 大満足なのである。

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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孫・門野哲也  雑感

2019-07-14 06:08:15 | 発想$感想

★男の子ばかり4人いる孫のうち、アメリカにいる3人兄弟の末弟の門野哲也が7月4日から10日間ほど、日本に遊びにやってきていた。

 15年前3歳の時に、アメリカに行ってしまったので、それまで日本にいたころは、殆ど二人で接触したこともなかったし、アメリカに行ってからも、日本に何度か遊びには来ていたが、いつも誰かと一緒だったし、正直4人の孫たちの中で、今まではあまり関係のなかった孫・哲也なのである。

 昨年のちょうど同じ時期に、娘と一緒に来ていて、昨年7月5日の夜私が風呂の中で失神していたのを引き上げてくれたのは哲也だから、ある意味『命の恩人』なのである。
 今回は初めての独り旅だったので、何かと話す機会も多かったし、おかしな言い方だが『仲良くなって』昨日の午後ご機嫌でアメリカに戻っていったのである。


★写真だけはいろいろあるが一番新しいのが、
昨日帰る前に食った 丸亀製麺のお気に入りのうどん 今回来日中3回目である。
   

  
 
 体は誰に似たのかめちゃくちゃ大きくて、188cm・89キロある。


           



 最近、つくづく思うのだが、DNAというのは確かに遺伝するなと思っている。
 4人の孫たち、夫々『私に似ているところ』を持っているのだが、
 ひょっとすると、 哲也が一番似ているのかな? と思ったりしだしている。

 『物事に動じぬ』というか『自信過剰な』ところがあって、
 『自分の意思』が強烈に前面に出るところや、
 『こだわり』などから、そう思ったりするのである。

 この秋にはサンデイエゴ大学にサッカー推薦で入学するのだが、スタンフォード大学からも推薦があったというのに、それを断ってサンデイエゴを選んだらしい。 
その理由を聞かなければと思っていたのだが、聞けなかった。
 
私は川崎航空機に入社したのだが、同じ時期に神戸銀行にも紹介があったのだが、どうしても銀行は嫌な気がして、試験も受けずに断ってしまったのである。
当時は川航などよりは世間一般には銀行の評価は抜群の時代だったのである。

 
自信過剰』というか『自信満々』なところもよく似ていて、そんなに『実力』がある訳でもないのに、物事をやるときに『不安』など感じることは全くないのである。

 将来は『プロになる』と言って憚らない。 
 もし成れなくてもその時は『しれっーと』しているに違いない。
4年ほど前は『東京オリンピックのキーパー』と言っていたのだが、その可能性は消えてしまっているが、何とも思っていない節がある。
たまたま選ばれなかっただけで、実力は自分のほうがあると思っているに違いない。


何が気に入ったのか、樋渡市長に頂いたこんなシャツが気に入って、
こどもの頃ずっと着続けて、こんなになってしまったのである。
 それでも捨てずに、今でも自分の部屋の壁に掛かっているのである。

     


      

 
英語はペラペラだが、日本語の漢字などは苦手なのに、ちゃんと意味が分かったのかなと思ったりするのである。

人は死ぬまで夢をもて! その夢が叶わなくても、しょせん夢だから

 この言葉通りに生きている節がある。


★今回の日本行きは、末っ子だからか、周囲はみんなものすごく気にして、
 家内なども、関空から独りで飛行機に乗れるのか、心配のようで、先ほど『搭乗の列に並びました』との連絡があったから、娘に連絡してくれというのである。

 ひょっとしたら、本人から母親には直接連絡したかも知れない。
 そんな 『気の付く』ところもあるような気がする。

 このブログがアップされるころには、ロスの人になっているだろう。
 今度はいつ会えるかな?

 
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昔の日本の野球 と今の日本のスポーツ  雑感

2019-07-13 06:25:58 | 発想$感想

★ヤクルトの球団創設の50周年を記念するOB戦があったらしい。
 野村克也さんも出場したとか・・・

 


今から50年前というと、昭和24年(1949)で、私は明石高校時代、昔々の話である。
私も野球をやってたが、あの金田正一投手や阪神監督だった吉田義男さんが同期で、野村も長嶋も2年下なのである。


       



★当時のスワローズは、ヤクルトスワローズではなくて、『国鉄スワローズ』だった。
私の母の兄、伯父の楠見幸信が初代の総監督をしていたのでよく覚えているのだが、当時のスワローズはこんなメンバーだった。

  

 
 総監督に伯父の楠見幸信の名前があるが、
楠見幸信は慶応の宮武・山下・水原など黄金時代の不動の一番バッターセンターで、当時の慶応はリーグ戦10戦10勝と圧倒的な強さを誇っていたようだし、日米対抗の全日本メンバーにも選出された、結構有名選手なのである。
 
まだ、プロ野球の始まる前だから、当時の全日本は東京6大学の現役かOBで編成されていて、松木・三原・水原・苅田などプロでも名声を馳せた選手の名前も並んでいる。

  


伯父は大学卒業後当時のノンプロの雄、東鉄にいたことがあった関係で、国鉄スワローズの初代総監督に招かれたようである。

その当時の国鉄スワローズのメンバーには金田正一もいるし、箱田の名前もある。 箱田弘志は、後内野手に転向した箱田淳の本名だとか、盈進高校のピッチャーで、私は明石高校時代に西宮球場で練習試合をしたことがあるので覚えている。

その試合の当日、あの朝鮮戦争が始まって球場放送で、『朝鮮で戦争が始まりました』と場内アナウンスがあった、昭和25年(1950)の確か5月か6月、夏の大会前のことだったのである。


★昭和25年と言えば、私は高校2年生、その夏の甲子園には明石も出場している。

  

 
この写真の後列一番右が大塚健也くん、当時1年生だが背は高い。
川崎重工でも野球をしていたので、川重の方はご存知の方が多いかも知れない。
この写真に写っているチームメートで、現存しているのは4名だけで、みんな逝ってしまって寂しくなった。
ホントに遠い昔のことなのである。


★ヤクルトの50周年から、当時の昔のことをいろいろ思いだした。
 
昔の野球のレベルは、長嶋や金田など個人のレベルは別にして、野球そのものも一般の選手のレベルも、今とは比べることができないくらい低かったと思う。
 
 私はずっとショートをしていて、特別上手くもなかったが、下手でもなかったが、
最近の孫たち、スポーツ選手のトレーニングや練習方法を見て、若し当時にあんな練習をしていたら、私ももう少しましな選手になったかも知れないと思ったりする。

私も最近、ジムトレーニングを1年半、ストレッチは15年も続けていて、野村克也さん、OB戦に出たらしいが、今なら私の方が上手いかも?
少なくとも走らしたりしたら、『圧倒する』自信がある。
 
昔と、今のスポーツ選手のレベルが、こうも違うのは、一言で言うと『基礎体力』の差かなと思うし、そんな基盤が出来る『トレーニング』を積み重ねているからだろう。

野球に限らず、日本のスポーツ界、どの種目も世界レベルに達しているのはビックリである。

10日間ほど、日本に遊びに来てた孫・門野哲也、今日の午後の便でアメリカに帰るのだが、三木での10日間も『よく食った』が、毎朝2時間ほどのハードなトレーニングも欠かさなかった。

サッカーのキーパーをしているが、今年の秋から大学、その後は『プロになる』と言って憚らない。 自信満々なのである。

    

  
  毎朝、こんな体幹トレーニングをした後、この辺りの坂道を選んで1時間ほどのランニングは欠かさなかった。

その体幹トレーニング、短いビデオに纏めたので、ご関心のある方ご覧になってみてください。
  


 私の現役時代、ストレッチや筋トレなど雨の日にだけ、簡単にやるだけだったので、昔と今では、全くトレーニングの基礎が違っているのだと思っている。

 86歳でも、結構元気なのは、この15年間、ストレッチは欠かしたことがないし、この1年半はジム通いをしている。
 50年、生まれてくるのが早かった。


  
 

  
  

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石川遼 と 田崎雅元さん

2019-07-12 06:17:17 | 発想$感想

★先週の日曜日、久しぶりにテレビでゴルフの実況を見ていた。
 
 石川遼が優勝争いをしていて終盤2打差開いていたので、やはり無理かなと思っていたら、追いついてのプレーオフ、そして劇的な逆転優勝だった。


 



 よほど嬉しかったのだろう。

 優勝後のインタビューもなかなかよかったのである。
 


★ それはそれとして、田崎雅元さんから『お元気ですか?』 と久しぶりのメッセージが届いた。

 いまカワサキが制作中の『カワサキアーカイブス』 私のも見て、久しぶりに懐かしいこといっぱい思い出したと仰るのである。

 田崎さんとは、現役時代ホントにいろいろとあった。
 昨日アップしたブログの写真にも、田崎さんとのゴルフのことなど書かれている。
 


 

そんな田崎さんだが、 『石川遼』とのこんな写真も送ってくれた。
 2008年とあるから、もう10年も前のことである。
 
 石川遼も若いな。

 
 
 
  
 こんなサイン入りの帽子も


   
 

 みんな過去の想い出となっている。

 そんな過去の出来事を正確に残そうという
 今回のカワサキの『カワサキアーカイブス』の製作はなかなかイイ企画だと思う。

  田崎さん、私のアーカイブもご覧になったらしいが、『懐かしいこといっぱい』とその感想を書かれていた。

 私の勝手な想像だが、田崎さんにとって一番本音で喋れた仲間は、こんな3人ではないかな? と思っている。

  

早く逝ってしまったが、岩崎茂樹くんがもし今いたら、彼はカワサキの旧い歴史の『生き字引』ではないかなと思っている。

 岩崎君の一番最初のコンビが 髙橋鐵郎さんだし。
 そのあと、 田崎さんとのコンビの時間も長かった。

 この写真にある92年以降の晩年は、私とのコンビでこの直入も創ったし、いろいろあったのである。


 みんな『想い出話』が懐かしい年代になってしまっている。



 
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孫・古谷仁 と 私の『3冊のファイル』

2019-07-11 06:01:33 | 私の生き方、考え方&意見

★鎌倉の孫・古谷仁がやってきた。

 アメリカから来てる孫の188cmもあるという末弟・門野哲也と比べたら、背の大きさでは全く敵わない。

 

 
 一段違う段差で写しても、未だ哲也の方が大きい。
 アメリカ育ちの環境か? よく伸びたものである。

 
古谷仁、もう26歳になったとか、私とは60歳も違うのだが、ちょっと変わっていてオモシロいと私は思っている。
 
慶応の湘南キャンパスを卒業はしたのだが、いまは学生時代に熱中したストリート・ダンスのことを本に纏めたり、自分のやりたいことをやっている。

いつまで、そんなことをと思っていたら、来年あたりからはまた別の道を歩くのだとか。
今年は何を思ったのか、『ブランデイングの研究と実践』をするとか、こんなことをツイッターで言って頑張っている。

    


★何となく『と気が合う』というのもおかしいが、私の良き『理解者』なのである。

 他人(ひと)は、なかなか『ちゃんとは私の良さ』を認めてくれないものなのだが、
この世の中で『素直に私のいいところ』を認めてくれてるなという数少ない一人が古谷仁なのである。 

そんなことで、三木にも私と話をするために、やって来たりするのである。
因みに、もう一人の理解者を敢えて言えば、娘婿の門野匡秀で、身内にちゃんと『を評価してくれる人』がいることは有難いことだと思っている。



★ そんな古谷仁がやってきたので、私の現役時代の生きざまを纏めた『関連データー』を見せたら、何が気に入ったのか、熱心に見て、是非欲しいというのである。
 
 実は、こんなファイルが20冊近くあって、
私が川崎航空機に入社した昭和32年4月1日から、退職をした平成9年3月31日までのちょうど40年間が、年毎、月毎、さらにはその日毎に記録されているという、まさに私の『現役時代の生きざま』が残っていたのだが、

 
ごく最近、こんなデイスクに纏めて頂いたので、

  

 
 その殆どを破棄してこんな3冊に集約したのである。

 



 それはこのように日毎に纏められていて、

  

 
 私は今読み返しても、当時のことをはっきりと思いだすこともできるし、
  
 

 こんな自筆の企画書なども、見ることができるのである。
  


そんな3冊のファイルを『是非欲しい』というのである。


一番左のDiary には、その殆どが会社の出来事なのだが、私の個人的な出来事、例えば家内と付き合っていた時の出来事や、息子の結婚のことや古谷仁が生まれた日のことなども書かれていて、そのあたりも非常に興味関心があるようなのである。


 
★私自身は、書類の整理などは得意分野だし、性格的に日記も65年続いているし、会社のことのも入社時から退職までの40年間を日ごとに整理して残しているのである。
それに興味を持って、ちゃんと『読んでみよう』という、孫・古谷仁にはある意味感謝だし、『ぜひ欲しい』と言ってくれて、私自身、『纏めていてよかったな』と思っているのである。

 これは退職前の約半年、時間に余裕が出来た期間があったので、その期間中に持っていた資料と、私の日記から纏めたものなのである。

 昨年あたりから、会社の方で『カワサキの二輪事業のアーカイブス』を創ろうという企画がスタートして、この資料をお見せしたら4ヶ月も掛かってすべてのファイルの資料をデイスクに纏めて頂いたのである。

 カワサキの長い二輪事業の歴史の中で、
 ● 二輪事業スタート時のこと
 ● 創成期のカワサキレースチーム
 ● 国内特約店制度
 ● 開発途上国のCKD事業プロジェクト
 ● ハーレーダンピング対策としての新カワ販対策
 ● 二輪事業再建対策
 ● 大庭本部長時代
 ● 髙橋鐵郎本部長時代
 ● 国内市場7万台対策の達成

 などが纏められている。
 私自身も人生の半分の40年を過ごした『カワサキの2輪事業』だが、ご縁があって未だに二輪のカワサキファンの方たちとは深く繋がっているのである。

 自分のやりたいことが『出来た人生』だったと言っていい。
 孫たちにも、是非『自分のやりたいこと』に熱中して生きていける人生であって欲しいと思っているので、
こんな『私の資料』に、孫が興味・関心を持ってくれて、ホントによかったなと思っているのである。

 
 
 
 
 
 

  
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 ママ 82歳の誕生日

2019-07-10 20:29:59 | 発想$感想

★ 今日 7月10日は 家内の82歳の誕生日 だった。

 ちょうどアメリカからは、孫の末弟・門野哲也18歳、
 鎌倉からは古谷仁26歳の 
 二人の孫が三木に遊びに来ていて、

 昼は こざるの焼き肉、
 夜は いわし屋 喜八   でお祝いの食事をしてきた。
 


 まずは、昼のこざる

  

  
こんなお店で
 

 
 こんな焼き肉を食ってきた。


 3人前の定食の他にこんな肉を追加して、
 たらふく食ってきたが、都会では考えられないほどの値段なのである。


   









 夜は、家のすぐ近くの 『いわし屋 喜八』 で

 アメリカではちょっと食えない 日本の いわしや、アジや、わかさぎなど、
 特に哲也は『旨い、旨い』と食っていた。


   


   

   

    






極めつけは家に戻って、哲也が買ってくれた バースデイ・ケーキでの
 『ハッピー・バースデー・ケーキ』

   



        





  今日はちょっとつられて食い過ぎたが、 なかなかイイ バースデーだった。

     
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3万年前の話

2019-07-10 06:58:49 | 発想$感想

★3万年前の話だというのだが、どうして3万年も前のことが解るのか?
 
 そのあたりのことはよく解らないのだが、日本人の祖先は大陸から渡ってきたらしい。
 3万年前は、台湾は中国大陸と地続きだったようで、そんな時代に、台湾から丸木舟に乗ってやってきたらしい。

 なぜ、そんな危ないことまでして人は新しい土地など目指すのか?
 もしそうだとしたら、人は不思議な生き物である。

 そんな昔の出来事を実体験したグループがあって、台湾からの渡航に成功したというニュースなのである。


   

  
 

 今までにもいろいろ、いろんな船を作ってやってみたようだ。


  

 
草を束ねた船や、竹のいかだはもう一つだったようだが、
今回は大木をくりぬいた丸木船でチャレンジされたようである。

記事によると7日の2時過ぎに台湾を出発して、9日の午前中に無事到着したらしい。

   


 それにしても、いろんなことをやる人がいるものである。
 
 

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参議院選挙  雑感

2019-07-09 05:48:43 | 発想$感想


★ 投票券が送られてきた。 参議院選挙である。

  いち早く、各紙の情報分析が発表されている。

    
 
 



いずれも『自公・与党過半数の勢い』との見通しとなっている。
一見して、自民・公明の与党の勝利のようにも見えるが、そう単純なことでもないらしい。

参議院の議席数は245だが、『今回改選される議席は124議席』で残りはそのままだから、過半数や3分の2などと言っても、単純ではなくてちょっとややこしいのである。


 
解説記事を読むとこんなことらしい

 目標議席数値が3つある。
 「53」と 「63」と 「86」の3つである。

 「53」とは、これだけ確保すると、今回改選されない議席も加えて与党が過半数という消極的な数値だから、これだと実質野党の勝利である。

 「63」 とは今回改選される 124議席の過半数で、新聞報道の過半数は確実というのは、この数字目標に対してのものだろう。

 そして「86」は、憲法改正に必要な議席を維新も加えて確保するということのようで、それは微妙だが達成するかも知れないと言っているようである。




 こんな解説が載っていた。


   

 
 
野党各党の目標は、本音ではどの数値なのだろう。
野党伸び悩み』だと報道されている。
 
  

  


★ 私自身は、自民・公明・維新の憲法改正支持勢力に投票することは間違いないのだが、 現在の野党勢力は、立憲民主党から共産党まで、いろんな考えの党が連携しようとするので、どうも『解り難い』のである。

 かっての民主党時代は未だ解ったのだが、それがいまはどうなってしまったのか?

野党は『革新』であるはずだが、どうも『保守』のようだと認識されて、革新を望む『い人たち』から、見放されてしまっているのである。


  

 

そんな若い層の『安倍政権支持』は解るような気がする。
 
 『安倍さんの政治』は、従来の『自民党政権』とはちょっと違った革新的な部分もあるように感じて、私なども『自民党支持』ではないが、『安倍さんはイイ』と思うし、政党でで言えば『維新の発想』が一番近いのかなと自分でも思っている。

先日、トランプさんから『日米安保体制』に対する意見が出たりしたが、あれはトランプさんだけでなくアメリカ人の本音だろうと思う。

 ただそんなことになっているのは、戦後アメリカ人が『日本の憲法』を創ったことは、今のアメリカ人は、多分ご存じないのだと思う。
 
あんなことを言われないためにも、ちゃんと『憲法改正』をして、自分の国は『自分で守る』体制を早く確立するためにも、今回の選挙は『86議席』を目標に、自民・公明・維新は戦って欲しいなと思っている。

安倍政権』の時代に憲法改正が出来なければ、これは遠のいてしまうのかも知れない。
 日本の歴史を、戦前・戦中・戦後と86年間実際に見てきて、
 日本という国が『ちゃんとした独立国であって欲しい』と願うものなのである。


 
 
 

  
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キッズサポート クラブ の 新井けんじさん

2019-07-08 06:05:22 | NPO The Good Times

★ 『キッズ サポート クラブ』はNPO The Good Timesの団体会員の一つで、

今年三木市会議員に当選された 新井けんじさんが主宰されるクラブなのである。

 
ずっと前から、この緑が丘で一途に子どもたちのために活動されていて、NPO The Good Times の理事さんにもなって頂いている新井さんである。


 


 
選挙の時も 『こどもの未来のために』 と言っておられたが、
今回当選をされて、その公約通りの活動を展開されるようである。

 こんなチラシを作られて、その活動を開始されるとか。

   
   

   
 
もうずっと続けておられる 『緑が丘ふるさとまつり』も、今年で37回目になるようだが、 その応援ボランテイア や スタッフの募集をやっておられるようである。

 そんな具体的なお手伝いはなかなかできないが、『こんな情報発信』の分野では私にもお手伝いは出来るかなと思っている。


  

  

この『ふるさと 夏祭り』は非常に規模も大きいのだが、
そんな大規模イベントだけではなくて、1年を通していろんな活動を続けておられる。
どんなイベントにも子どもたちがいっぱいで、『新井けんじ』さんは子供達には絶大な人気者なのである。

 市会議員になられても『先生ぶった』ところなど皆無で、今まで通りの新井さんであるのがいい。

 今後は、緑が丘だけでなく、三木の子供たちのために、今までよりはちょっとだけその範囲を広げていかれたらいいなと思っている。

 新しく創られたという名刺には、このように書かれていて、
 今まで通り『議員さんの肩書なし』での活動のようである。


   


 果たして、どのように続いて行くのだろうか?

 
 
 
 
 
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孫の日本滞在2日目は・・

2019-07-07 06:37:14 | 発想$感想


★孫・門野哲也の2日目は、『ウエルシヤ三木青山店』で娘に頼まれたという『日本の化粧品や歯ブラシ』などいっぱい買い込んでいた。

 どうせ時間が掛かるのは解っていたので、その間に散髪などしていたのだが、それでも未だ買い物は終わっていなかった。
 さらにそのあとは三木のまちに降りて、ユニクロへ

  



 
 
ここでは自分のものは、500円のシャツなど安物中心なのに、両親のお土産に『ちょっと高いものを買ったよ』とこれは帰宅して掛けたアメリカへの電話の中で言っていた。


 昨日の極めつけは『回転ずし』である。

 かって次男の真也が来た時に『34皿食った』のだが、これは間違いなく抜いたと思う。
 『旨い・旨い』と 結果はこんな感じになった。


  

 
 合計64皿、 私たち夫婦は、食ったとしても20皿は食っていないので、間違いなく34皿の記録は破られたようである。


 幼稚園児の頃にアメリカに行ってしまったので、日本にはトモダチもそんなにいないのに、戻ってくる目的の一つが『日本食』だから、まずはうどんと回転ずしは食ったのだが、明日は神戸の本家に行ってまたご馳走になるようである。

 来週いっぱいの日本滞在だが、果たしてどんなことになるのだろう?

 来週には、鎌倉の孫・古谷仁も来るとか言っていた。

 三木の米田和彦さんからは、今年もフットサルのお誘いが帰る前日の12日の夜にあって、大いに楽しみにしているようである。

 神戸の街を独りでぶらついてみたいというような希望もあって、あと1週間もあっという間に経ってしまうのだろう。

 私自身も『孫と一緒に過ごす』時間など、そんなにしょっちゅうある訳はないので、これからの一週間は、貴重なのである。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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神戸 センター街や大丸に行ってきた

2019-07-06 07:07:39 | 発想$感想

★ 学生時代も、結婚前も、そのあともいろいろお世話になった元町・三宮界隈だが、最近はホントに10年以上行っていないのでは?

 
    昨日はそんな三宮・センター街・元町大丸など懐かしいまちを歩いてきた。
 約3.5キロ、6000歩 のぶらつきウオーキングだった。

 
昨年の7月11日に三宮のヤマダ電機で買った『パン焼き器』がアメリカに持って帰ったのにうまく機能しないとかで、今回持ってきたのである。

   

 

三木の我が家を9時過ぎに出て、9時13分のバスに乗り三宮のヤマダ電機には10時のオープンと同時に
5階のこんな『ご相談カウンター』を訪れたのである。

 『すべてのお客様に親切な接客を心がけよう』と書かれている、このカウンターの
担当者の対応はその通りだった。

   

  
 
 保証期間1年が未だ有効で、帰国する7月13日までに修理をして、帰る日の13日にここで受け取って持って帰ることにした。
 
その通りになれば100点満点である。
 

   




★せっかくセンター街まで来たのだからと、プラプラと。

 未だ11時前でシャッターもしまっている店もあるのに、こんな人出である。
 ここでも哲也は、ひと際 大きい。

  
  


 学生時代も、家内と付き合っていた時も、パンは買わなかったが2階の喫茶店にいろいろお世話になった 『DONQ』 は今も健在だった。

  



 その前での記念撮影 

  



 今回はパンを選んで買ってきた。

    
 


神戸に出たら必ず行くという soccer shop KAMO には今回も顔を出した。

 
  

 店内はこんなグッズでいっぱいだが、
 買うのかと思ったら、昔のように買うわけではない。
 
 グローブも、シューズも大学が買ってくれるので『自分で買う必要はない』という。
 アメリカの大学のサッカー選手は、授業料以上のお金の補助があるし、学生時代から半ば『プロのような待遇』なのである。
 



 見るだけで、買ったのは 800円のシューズ袋、
 私もついでにジムのシューズを入れるのに、同じものを買ってもらった。


 店で一番高かった靴は、 『これがサッカーシューズ?』 
 靴ひももない新製品、40000円也だった。

  



 そして最後は、それこそ15年ぶりかも知れない『神戸大丸

 勿論『観るだけ』だが、やはり綺麗なと思った。


   


 



 帰りは大丸前から、三の宮まではタクシー

 神戸でこの距離タクシーに乗ったのは初めてである。
 680円だった。

 昼飯をと店を探していたら、哲也の好きな『丸亀製麺』が三の宮にもあって、うどんを食ってきたので、安くついた。

 そんな神戸行きだったが、ちょど1時半に家に戻って、1時間ほど昼寝をして、そのあとこのブログを書いている。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
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