雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

孫・門野哲也がやってきた

2019-07-05 06:54:13 | 発想$感想


★ アメリカから孫の門野哲也がやってきた、13日までいるらしい。

 今年6月高校を卒業して、9月からは大学である。
 いまはその間の休みなのである。
 昨年は、娘と一緒だったが、今回は一人旅、関空に着いてからバスに乗るまで1時間半もかかったが、一応やることは全部できて、シャトルバスで三の宮までやってきた。

  

  

今の三の宮、この辺り一帯を人がゆっくり歩けるように『街を変える』計画が進んでいる。
 今の車線を少なくして、道幅を縮め人の歩くところを広げるとか。
 その実験に今はこんな物々しいことになっていた。

 そんな中をバスはこのように入ってくる。


  


 荷物を二つ持って降りてきた。


 




 手に持っているのは、昨年きたときに買った『パン焼き器』だが、何故かアメリカで使えないとか?
 今まで2台も同じメーカーのものを使っていたので、使えないのは何か問題があるのでは? というのである。

ちょうど1年の保証期間が7月11日までだから、出来れば交換にと持ってきたという。


 


★昨夜は10時に家に着いたが、日本の風呂に入って、

 魚の刺身を『旨い、旨い』と食っていた。

 一夜明けていま朝 6時半、公園まで走りに行くと出かけている。 
 日本に来ているときも、トレーニングは欠かさない。

 戻ってきたら、朝飯食って、
 今日は早速、三の宮の買った店まで行って、交渉をすることになっている。

 果たして、どんな結果になるのだろうか?





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tenki.jp

2019-07-05 06:12:55 | 発想$感想

★ 今回の九州の鹿児島や宮崎の大雨は大変だった。
  昨日の予報では、今日も未だ同じところに雨が降るという予報だった。

 最近の『天気予報』は素晴らしい。
 日本気象協会の公式情報に tenki.jp というのがある。


 現在の状況とこれから15時間の雲の動きを表している。

 7月4日(木)の午後1時ごろの状況と、向う15時間の予報はこうなっている。

 今は九州も雨は降っていない。
 よかった。一安心である。




 
 そして、今後15時間の『雲の動き』が解るようになっている。
 今夜、11時ごろはこうなるという。


 
 
 これを見る限り一安心だが、『現在の状況』は兎も角、15時間の予想は外れる場合もあるから、油断は禁物である。

 昨日夕方も『コレを見ていた
 その時の予報では、九州は同じところに雲は流れ込むし、関西の私の住んでいる三木も朝の5時ごろには大雨の真ん中に入ることになっていて、今朝の大雨は覚悟していたのだが、少しだけ南にそれて、雨は全然降らなかったのである。

 予報が『いい方向に外れた』から良かったのだが、いまの予報も『悪い方向』に外れることもなきにしもあらずだから、安心ばかりはしておられない。


★昨日の3時頃の状況は、こんなことになっていたのである。




 何とか、雨もこれくらいにして欲しいものである。

 然し、最近は、なんでも解るようになってきて、素人でもなんでも解るような世の中にはなっているのだが、昨今の『異常気象』は、人がいろいろやり過ぎて『地球温暖』などが影響してるのかなと思ったりしている。

 
 
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孫・門野哲也がやってくる

2019-07-04 15:57:29 | 発想$感想

★娘の方の孫の3人兄弟の末弟、門野哲也が日本に遊びにやってくる。

 今は飛行機の中で、今日の6時過ぎに関空に着くので、神戸の三の宮までは迎えに行ってやろうと思っている。

 アメリカで15年も育つと、英語の方はペラペラだが、日本語は問題なく話せるのだが、例えば『6時以降』などの『いこう』の意味が解らなかったりするのである。

 この秋からは大学生なのだが、日本について、公衆電話を使っての電話など『できるのか、どうか?』そのあたりが頼りなくて、こんなに大きく育っているのに、両親は心配のようである。

 どうやらロスまで二人して送りに行ったようで、Facebook に娘はこのように

 

  
  娘婿はこのように


  

 アップしている。

 どうも末っ子だけには『甘い』ような気がする。

 10日間ほどの日本だが、果たしてどんな毎日が始まるのだろう。


 因みに、サッカーではキーパーをしている。
 次男は今年は念願のプロに『なることは成れた』のだが、
 哲也も『プロになる』と言って憚らない。  
 なぜかこちらは、自信満々のようである。

 三木に来ても、多分トレーニングする時間が結構長いのだと思う。
 去年も遊びにきたのだが、『ここは坂があっていい』というのが感想だった。

 



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商業捕鯨 の 話

2019-07-04 06:58:49 | 発想$感想

★ 世の中には判断がムツカシイというか『分からない』ということもあるモノだ。
 いま問題になっている『商業捕鯨』もそんな問題の一つである。

 『商業捕鯨の再開、どう思う?』という設問に対する答えである。
  
  『反対』が半分もある中で、
 『必要』という意見が41%あるのは、当然だろう。
 そんな意見があるから政府は再開に踏み切ったのだと思う。

 『反対』だという方のその理由は『どのようなこと』なのだろう?

  
  
  




 こちらはちょっと方向を変えて、『クジラを食べますか?』という設問だが、
 こちらの方も半々のような意見なのである。



  



★ 『お前はどう思っているのか?』
 と問われても、なかなか答えがムツカシイ。

 『どう判断していいのかワカラナイ』というのがホンネかも。

 私は戦後間もない頃『クジラの肉』にお世話になった世代である。
 あの当時、肉というもので『よく食えたのが鯨』で、魚で言えば『いかなご』である。 

 住んでたのが明石だったからかも知れぬが、食糧難なのに『いかなご』だけはふんだんにあったような気がする。 

クジラの肉』もよく食ったが、どちらも今のような『高級食品』ではなかったように思う。


 『クジラの肉』はそれ以降では、昭和42年(1967)ごろ仙台にいたころ食ったのが最後かなと思う。 
その時は既に『高級食材』になっていた。


★『クジラの肉』」など食ったことがないという世代も増えて、ちょっと高いし食いたいとも思わないのかも知れない。

 それにしても、ヨーロッパやアメリカの人たちは、なぜクジラだけにそんなに拘るのかが、もう一つよく解らない。
 『動物愛護』で可哀想だというのなら、牛も豚も鶏も可哀想である。

 昔はアメリカなども捕鯨はあったのだと思うのだが・・・
 日本も『食文化』と言うが、そんなに一般的ではなくなった。

 そんなに『めくじらを立てず』にという時の『くじら』は鯨ではないようだが、
めくじらを立てずに』とは、今回の事柄で、ヨーロッパやアメリカの方たちに言ってあげたい言葉だが、日本語にそんな言葉があることなどご存じないだろう。

 
 
 
 
 
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三木市のこと  いろいろ

2019-07-03 06:27:50 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 三木市に移り住んでから、もう45年にもなる。
 
    兵庫県明石で生まれ、それ以降の86年間を 
 朝鮮太田市ー朝鮮京城府ー明石市―仙台市ー高槻市―三木市
 と移り住んだのだが、いまでは三木が一番長くなった。

 その三木市は今年で市政65周年だそうである。

 



 兵庫県の中で三木はこんな位置にある。
 学生時代は、明石に住んでいたが、
 三木はずっと奥の北の方にあるまちだと思っていた。


   


まさか『そこに住む』ことになるとは思ってもいなかったのである。


★昨日は『大雨情報のこと』で、いま住んでいる『三木緑が丘は大丈夫』と書いたりしたのだが、
三木のことを Wikipedia ではどのように書かれてあるのか調べてみた。

Wikipediaについてちょっと一言。
私自身が Wikipedia に初めて出会たっのは、娘家族がアメリカに移住した15年も前のことだが、アメリカに行った娘がアメリカでの孫たちの小学校の宿題を『Wikipedia』で調べるというので知っていたのである。
 
 その頃、当時の三木市の広報の人たちに『Wikipedia』を訊ねたら、どなたもご存じなかったのだが、一般の市では、Wikipediaの記述が殆どなかったそんな時代に、『三木市』は仙台市と並んでその記述内容は日本でもトップクラスだったのである。
その『三木市の記述』に三木市のある職員の方が絡んでいて、びっくりしたのを思い出すのである。

 そんなことで、久しぶりに見た『三木市のWikipedia』の内容は当然のことながら立派になっている筈なので、その中から抜粋してみたのがこれである。


兵庫県の中南部、神戸市の北西に位置し東経135度線日本標準時子午線上に位置する都市で、市の南部に人口が集中している。 
2018年4月30日現在の人口は78,141人。 

美嚢川沿いに設置された三木城を中心に城下町が形成されていた。
戦国時代には三木合戦の戦地、江戸時代からは三木地区を中心に金物の本格的な生産が開始され、金物を主な産業としており、それによって発展してきた。

1970年代以降には京阪神のニュータウン開発が開始され、志染町広野の神戸電鉄粟生線の北側の山林を中心に住宅地開発がなされて人口が急増した。緑が丘町・青山・自由が丘は、一戸建てが並ぶ閑静な住宅街になっている。
旧市街地は市の南西部の美嚢川に沿って広がっており、ひめじ道や湯の山街道などの歴史的な街並みが現存しており、旧市街地と造成された新興住宅地に住む2つの住民層に分けられる。

交通の結節点であり、市内に高速道路が4路線、国道が2路線通っている。
多数のゴルフ場、公園都市であり、やレジャー施設や志染の石室・伽耶院などの史跡が多数あり、観光資源に恵まれている。

市の由来
神功皇后が君が峰で休憩時に地元から壷に入れた酒を献上したことから、御酒(みき)→三木(みき)、美壷(みつぼ)→美嚢(みのう)となったと伝えられている。

六甲山地の西側・中国山地の南側の播磨平野に含まれ、市域を東から西に美嚢川が流れる。平野部を囲むように河岸段丘となだらかな丘陵が広がる。内陸部であるため降水量は比較的少なく、ため池が多い。
美嚢川沿いに旧市街があり、南東部の神戸市との境付近に新興住宅地がある。

三木市内は瀬戸内海式気候のために温暖な気候であり、平均気温が毎年15度前後である。晴天日が多く、年間降水量が1000ミリメートル未満の雨天日が少ない気候のためため池が多く立地しているので山田錦の栽培に適している。
自然災害に見舞われることは少ない地域である。


★昨日は、こんなことが書かれていることは知らなかったが、『三木市は雨が少なく自然災害がない安全な町』と書いたのだが、それは当たっていたようである。

 でも一般に三木のまちのイメージは『日本一の金物のまち』だが『田舎まち』という印象が強いのだが、三木市ももっと積極的に『独特のブランドイメージ戦略』を取ればいいのにと思っている。

 何度もネットではアップしているが、順不同に並べてみる。
 私は次のように思っている。


● 三木はアメリカのような広く住みやすいまちである。

● 高速道路網が縦横に走っているし,一般道も広くて渋滞がない。

     


● ゴルフ場は市内に25か所もあるし、日本一の廣野ゴルフ倶楽部もある。

   



● 『世界一・日本一』がいっぱいのまちである。
 
 金物も、山田錦も日本一だが、公園の広さも、テニスコートの数も、桜の木の数も、
 無料駐車場の広さも 多分日本一だろう。
  




● 屋内テニスコートのビーンズドームや
 


● Eーディフェンス は多分世界一だと言っていい。

   

   



●『日本一美しいまちをめざす三木』でもある。

     


● 開拓された住宅街の広さも、格別で、隣接する『廣野ゴルフ倶楽部』が小さく見えるし、アメリカの住宅地と同じく高層マンションなど建っていない。
 

 

 
 
三木市はこんなに緑も、ゴルフ場もいっぱいで、
私は『アメリカのようなまち』と言っているのだが、

幾らか『三木のイメージ』変わりましたでしょうか?

   

 
 
 

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大雨情報  雑感

2019-07-02 06:41:13 | 発想$感想


★九州の大雨は大変なようである。
 ニュースで見る被害も、大雨の様子もこれではどうしようもないと思う。

 



 日本は全体では山国だから、人は平野に住むことになる。
 平野はいいのだが、一端水が溢れるとこんなことになってしまう。
 こうなると人の力では対策の立てようもないのだろう。


 



 九州の大雨は同じところにこのように集中していて、山の近くでは土砂崩れがあるし、平野では水に浸かってしまう。

 それにしても毎年、同じ時期に同じ場所で被害が繰り返されているように思えてならない。

 
  


★ 私は今は『兵庫県三木市の緑が丘』に住んでいるのだが、45年程前にこの地を選んだ時には、雨や災害のことなど全くアタマにはなかったのだが、この45年間台風も来ないし、阪神大震災の時も、神戸の隣町だったのに、何の被害もなかったのである。

そういう意味では、非常に安心して住める土地なのである。
 
三木は歴史のある旧いまちなのだが、いま住んでいる緑が丘は45年前までは、三木の東側に広がる丘で、小高い山というか丘だったのだが、ダイワハウスが大規模な土地開拓をして、広大な団地を造成したのである。
 隣のゴルフ場が日本一と言われる『廣野ゴルフ倶楽部』だが、その何倍もの地域が開拓されていて、3万人近くが住んでいる。

 土地の造成は『農家の水利権』の関係で元あった山の水が流れる通りに造成されているので、全くの平地ではなく全体になだらかな高低差があるので、幾ら大雨が降っても、水は貯まりようがないのである。

      

 
これは日本の宅地開発では珍しくて、普通一般にはその殆どが山すそを無理に開拓しているので、新興住宅地は昨年の広島のように山崩れの恐れが多いのである。

日本全体がそんな立地だから仕方がないのかも知れないが、どこも大雨の被害は受けやすい環境になっている中で、三木の緑が丘は珍しい立地なのである。


★ここ1週間の兵庫県の天気予報は曇り空だが、そんなに大雨の心配はなさそうである。

 

 
  
今回の雨雲もこんな感じで、兵庫県の南部のほうは避けているようである。

  

 
 近畿地方もいつも大雨が降るのは、和歌山県や奈良県で、それは近くに大きな山があるので、雲が発生しやすく、それで雨になるのだろう。

たまたま三木の辺りは周囲に大きな山がない、どちらかと言えばなだらかな平地だから、雨も少ないし、自然災害が少ないのかも知れない。
そんな土地を意識して選んだわけではないのだが、50年近く自然災害がないということは『運がよかった』のかも知れない。

 九州地方はこの大雨情報ではこの1週間大変だとは思うが、少しでも被害が少なくなることを祈るばかりである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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今年も半年が終わった

2019-07-01 06:55:38 | 発想$感想


★ 子どもの頃の1年はもっと長かったように思うのだが、年を取るごとに『月日の経つのは早いモノ』はまさに実感となっている。

 今年ももう半年が過ぎてしまった。
 人生100年時代だとは言うが、この調子ならあっという間に終わってしまうような気もする。

 高島忠夫さんが亡くなったというニュースが流れた。
 88歳だという。 
 高島さん,旧制の神戸一中のちょっと上だった。
学生時代から何となく有名で、面識はなかったがその名前は知っていた。

晩年は少々体調を悪くされて『老衰』とあったが、出来れば人生最後まで健康でありたいと思っている。


★この半年も午前中は殆どをジムで過ごした。
 ジム通いを始めて、ちょうど1年半になるのだが、いまでは日課の中に定着した。
 朝、8時半のジムのスタート時間から通っている。
 ジム通いをされる方は、私と同じように殆ど同じメンバーが決まって同じ時間に現れるのである。
 筋トレ・ストレッチ・ランニングと週3日は水泳も入れてのフルコースで、
 普通は10時過ぎまで、水泳をやる日は11時頃まで、午前中を過ごしている。

 木曜日は定休日で、日曜日は休息日としているので、特に予定が入らぬ週は、週に5日はジムで午前中を過ごしていると言っていい。

 それだけ熱心に通っても、体重など目立って減らないから不思議である。
若し変わったことがあったとしたら、自分で『体がしゃんとした』と思えることである。
 筋力がついて柔軟性が増したからだと思うが、70歳の頃よりも間違いなく今のほうが『しゃんとしている』し、柔軟性は年々少しづつだが柔らかくなって、市の体力検定では『柔軟性=20歳』と出るので気分がいい。

 毎朝、目が覚めると布団の上で40分のストレッチは欠かさないので、ホントに年々柔らかくなるのである。


★最近は、あまり世の中との付き合いも少なくなって、午前中はジム、午後はパソコンの前に座っての、ブログ・ツイッター・Facebook・ Instagram や庭仕事、さらに時間があれば『パンダ碁』をパソコンで打っている。

 たまにというか1週間に2度ほど、家内の買い物の運転手をしている生活である。
時間を持て余す』ことは無い。 むしろ『忙しい』と感じるほどである。

 世の中からの予定外の『お誘い』があれば、断ることは100%なくて、それを第1優先とするのは現役時代からの習慣である。
 
仮に『既に予定』が入っていても、突然の来客などあれば、それを優先していたのである。
自分の予定』など、重要なことなど殆どないのが普通で、今やってる日課もみんなそんなレベルだと思う。
 
会社の仕事』なども手帳に書いてある会議など、その殆どがそんなに重要ではないものである。
会議があるから』などと断る人はそれを『重要だと錯覚』しているのだと思っていた。
 
 『突然の来客』などはそれ以上に『重要なこと』が多いはずなのである。
今でもたまに『突然のお誘い』があったりするが、それは一番優先することにしていて、断ったことなど全くないと言っていい。

 
★7月になった。
 7月4日の夜から、アメリカの孫がやってくる。
 
 今年は6月に高校を卒業して、9月からは大学だとか。
 Facebook に娘がこんな投稿を。
 昨年は娘と一緒の来日だったが、今年は独りで来るという。

   


 鎌倉の孫も、『一度三木に行く』と言ってきている。
 大学を卒業したのに未だにこんなことをやっている。

 今の若い奴の生き方は、昔とはちょっと違うようだ。

  

 
 今年の後半は、こんな『孫たちの訪問』から始まることになるのだろう。
 もう、子供でもない20歳前後の孫たちと『ちゃんと付き合える』ことは、
 『来てくれない』よりはよほどマシだと思っている。

 どんな過ごし方になるのだろう?
 たとえ孫でも、若い奴と話したりすると『元気が貰える』ものである。

 
 

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