今回は松戸市の中部の上エリアをポタリングしました。
新松戸の郷土資料館に昔の立体地形があったので
開拓前の状態がわかりました。
戦国時代の城は、台地の上に作るのが基本です。
これを平山城タイプといいます。
松戸市の半分以上は下総台地でできています。
都市開拓で削られてしまった台地もあり
昔とは変ってしまったと所もありますが
そのまんまみたいな所もあり、見所満載です。
本城はどこになったのか?入り口(虎口)はどこだったのか?
どっからどこまで縄張りをはっていたのか?見晴らしはいいのか?
そんなことを妄想しながらのポタリングが楽しいのです。
まずは新松戸のほうから
『小金城』の大谷口です。
こちらの上に『本城』があったとされます。
本城は城柵の中心にあったほうが攻めずらいと思うのですが
なぜこっちにあるのかが謎です。
城に本城(本店)のほか支城(支店)・又支城があるといわれ
松戸市にある城は、この小金城(開花城)が本城で
他が支城として機能しているようです。
城跡の低い所を走り、幸谷方面へ
常磐線下のトンネルです。
赤レンガが鉄道開発当時の面影を残しています。
自転車で6号線にでる時はここを通ったほうが
山一個分省略できます。?
*対面信号になっているので、のんびりしていると大変なことになりますので要注意を^^
そして右側の幸谷方面へ
『幸谷城』です。
マツキヨ本社前の坂を上がりきったT路地のところなんですけど
本城はどこなのか不明です。
マツキヨ本社裏の山も見事なのですが、関さんの森もいいような?
新松戸駅前の山は「見張り台」には最適のようで。
幸せの谷と書いて「幸谷」
谷よりは山って感じなところですけど
埋蔵金が眠っているんじゃないでしょうか??
それから小金宿へ
この辺は、江戸時代には「小金宿」として栄えていましたけど
戦国時代以前はどうだったのでしょうか?
東漸寺は崖の上にあり防御力はありそうな感じです。
下総なのに、上総町があるのも気になる所です。
江戸時代は天領地だったのに、唯一「田中藩」が存在した街。
松戸市になりましたが、小金市になってもいい歴史はあります。
ここから6号バイパスをわたり、久保平賀へ
『行人台城』です。
その昔、合戦があったお城です。
写真は「安立寺」なんですけど、ここが一番高い高台になっていました。
「根木内城」と向かい合う感じの城跡です。
ここは字名の地名が城名になっています。
ここから、小金原団地の方へ
『栗ヶ沢城』です。
高城氏が下総にきて最初に造ったお城とされています。
本城がどこにあったかは正確にははかりませんが
栗ヶ沢公園が一番高かったのでこの辺かもと。?
細長い地形で貝塚などがあり、かなり古い地域ではあります。
南北に走る道はそうでもないのですが
東西に走る道はアップダウンが激しい、特徴的な地形です。
ここから八ヶ崎方面へ
『馬橋竜房山城』です。
八ヶ崎小学校から松戸三中、そして6号線へむけて高台になっています。
八ヶ崎は広いので本丸の場所は特定できませんが
複雑で面白い地形であります。
竜房台という地名も面白いです。
あとこの辺は、新井千軒という字名があり、人はかなり住んでいたようです。
八ヶ崎エリアは貝塚などがあり、先住民が住んでいて
お城があった感がただようのですが情報が少なすぎます。
基本的に、湧水や川の近くでないと住むのは大変のようです。
水不足も大変ですが、尿や便の処理なんかも戦の時には
かなり大変のようなので城造りには大事なポイントになっています。
ここから6号線へ
『馬橋三ヶ月城』です。
萬満寺の裏に「城山」と呼ばれる高台があったそうなのですが
今は坂道になってしまい、6号線沿いが一番高くなっています。
三ヶ月とかいてミコゼ。
月の家紋から付けた地名だとか。
見方によっては三日月にみえるかも。??
ホームセンターと蘇羽鷹神社の裏が崖っぷちとなっており
それらしい感じもします。
蘇羽鷹神社を鬼門(北東)とし、万満寺を表鬼門(西南)を結んだ中間
くらいに本城があったと推測されます。
「上(かみ)の台」や「城山」という字名も城のあった証拠となります。
あとこの辺には、二ツ木向台遺跡があり
先住民の集落地でもあったようです。
集落の砦レベルから柵→城へ進化していくのを想像するのも
城跡めぐりの楽しみでもあります。
続く