1971年、ビーチ・ボーイズの17枚目のスタジオ・アルバム、SURF’S UPを出した。アルバムは全米31位であった。
SURF’S UPとは、“サーフィンするのにいい波が来た”と言うサーファーがよく使う言葉だそうだが、アルバムのジャケットを見ると、 槍のような長い棒を持っているライダーが馬上でガックリと頭を垂れている様が暗いタッチで描かれている。
アメリカの有名な彫刻家が作った作品を描いているとのことで、そのタイトルはEND OF THE TRAIL(旅路の果て)。アメリカのネイティブ・インディアンが北米大陸に入植してきた白人に西へ西へと追い回され、終にたどり着いた地で、絶望を感じている情景を表わしたのだろうか…
サーフィン・ミュージックをルーツに活躍してきたビーチ・ボーイズが、SURF’S UPと名付けられたアルバムに“旅路の果て”とはちょっと矛盾しているように思えるのだが…
新しく雇ったバンド・マネージャーが、ビーチ・ボーイズの今後の活動の方向性として政治、社会(環境問題など)に影響を与えるようなものにしていくと提案したからで、以前のような波乗り(単純明快なサーフィン・ミュージック)はもうお終いで、これからは歌詞の内容にも目を向けて!と言うことだったんだろうか?
1970年に出した前作、SUNFLOWERはのっけからビーチ・ボーイズが得意とするコーラス満載で、私としてはよく出来たアルバムだと思った のだが、あら不思議、期待に反して大コケ(全米151位)。
その反省を踏まえてのSURF’S UPだったのだろうか…
道理で楽曲のタイトルには、DON’T GO NEAR THE WATER(汚染された水には近づかないで!と言う意か?)、STUDENT DEMONSTRATION TIME(学生デモの時)とかLOOKIN’ AT TOMMROW-A WELFARE SONG(明日を見つめて、生活保護の歌、と言う意か?)などそれらしい歌が並んでいる。
ウィルソン兄弟の長男で、バンド内の音楽制作の要であった、ブライアンはライブ活動には全く出てこなくなったが、このアルバムの曲作りやレコーディングにおいて彼の才能を遺憾なく発揮したことは間違いない。
しかしながら、美しいけれど作り込み過ぎたアレンジ、そして政治や社会的な歌詞にはあまりピンとこなかった。
多くのビーチ・ボーイズ・ファンもそう思っていたのではないだろうか?
その証拠に、1973年に出した2枚組のアルバム、THE BEACH BOYS IN CONCERTは、ブライアン抜きで行われたコンサートの模様をレコード化した。
観客の声がしぼってある編集なので、臨場感には乏しいが良いライブだと思う。
ギターとドラムスに新メンバーが加入したのを機に、 新曲はもちろん懐かしのヒット曲をシンプルかつ力強いアレンジで歌い上げた。(全米25位となり久々にゴールド・ディスクを獲得)
やはり、後世に歌い継がれる歌というものは、その都度変化する政治や社会に関する内容は避けられ、あまり小難しくない普遍的な内容になっているのではと考えるのである…
と言う長い~長い~前振りがあって、さて本題である。
今日この記事を書いたのは、ある発見があったからである。
アメリカが1972年に出した2枚目のアルバム、HOMECOMINGのジャケットになんとEND OF THE TRAILがいるではないか!
丘の上の三人組、アメリカのメンバーは丘(陸)サーファーだったのか!
ちなみに、翌年のサードアルバム、HAT TRICKにビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストンがゲストで参加している。
そういや、昔そのような人物をよく見かけた。
ルーフ・キャリアを取り付けたステーション・ワゴン(但しサーフ・ボードは取り付けない)、長髪で、OPのTシャツにジーンズとビーチ・サンダル。
鼻の下にヒゲ、そして眩しくもないのにグラサン。
助手:まるで、若き日の博士のようですね。
博士:ワシはステーション・ワゴンを持っていなかったぞー 移動はもっぱら電車じゃったわい。
なんと、しけた丘サーファー
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