CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

分刻みの素早い効果

2023年06月17日 | West Coast Rock

1978年の暮に出たドゥービー・ブラザーズの8枚目のアルバム、Minute By Minute。アルバムだけでなくシングル・カットされたWhat A Fool Believesも同様全米1位を獲得するバンドを代表する作品となった。

それまで休養中であったトム・ジョンストンがバンドから正式に脱退し、マイク・マクドナルドを中心として更なるAOR路線転換へとまっしぐら。

トム・ジョンストンのファンにとっては何かが足りないって感じたアルバムかもしれないが…

まあ、そんな細かいこと言っていないで、コレ聴けば気だるい昼下がりの浮遊感が味わえて、ジェスロ・タル聴いた後の凝り固まった頭をほぐすには速攻の効果が味わえる。

ちょっとタイムリーになったが、これは絶対アカンやつ。

聴くだけでお願いします。


天井桟敷の吟遊詩人

2023年06月16日 | PROG ROCK

ジェスロ・タルにとって8枚目のオリジナル・アルバム、Minstrel In The Gallery(天井桟敷の吟遊詩人)が1975年発売。

                    (現代の吟遊詩人)                   (中世の吟遊詩人)

ジェスロ・タル流の英トラッド調プログレ演奏をバックに現代を歌う吟遊詩人ここに誕生。

とは言え、吟遊詩人が一体何を謳っているのか理解するのは英語がネイティヴでない私にはちーとばかりハードルが高い。

まあ、全編を覆うギター、管楽器やストリングスなど美しいアコースティックな響き、さらに時折絡むソリッドなエレキ・ギターにただ身を委ねるだけでいいんじゃね~?

因みにレコード盤のサイドー1の最初の曲、Minstrel In The Galleryが始まる前にある会話が…  御領主様、いい演者見つけて参りました。きっとゲストの皆様楽しめる事と思います。そして奏者達は、この仕事受けるの? もうやるきゃないし。だけど天井桟敷からじゃ下は見えないよ。みんな楽しめるとは思えないけれど…

そしてサイドー2をほぼ占める17分弱の大作、Baker St. Muse組曲を歌い終わり天井桟敷から外に出ようとするも、ドアにロックが掛かっていて出られないって呟いたものの、諦めて天井桟敷に戻り何事もなくまたまたHello Sunって歌い始める吟遊詩人。これって時間外でハードにこき使われる天井桟敷の吟遊詩人って事?

むむ〜、芸の細かいトータル・アルバム。

難解じゃ!


魂のギター

2023年06月15日 | BRITISH ROCK

ロビン・トロワーのストラト・キャスターが唸る1974年セカンド・アルバム、Bridge Of Sighs。全米7位と大ヒット。

70年にジミヘンと共演し彼の影響をかなり受けた事から結成時から所属していたバンド、プロコル・ハルムとの方向性とは少々異なりを見せ始め、1971年の5枚目のアルバム、Broken Barrigatesを最後にバンドから脱退しソロに転じる。

編成はジミヘン・バンドと同じギター、ベースとドラムスによるトリオ編成。ブルージーな曲にロビンの奏でるソリッドな魂のギター・ソロが縦横無尽に絡む。

プログレもいいけれど、たまにはこんなシンプルなアルバムもいいかも。


Mystery To Me

2023年06月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

デイブ・メイソンといえば英国人だけれど、デラニー&ボニーのバンドに加わったりアメリカ在住で長年音楽活動していた事もあって、どちらかといえばアメリカのルーツ・ミュージックのイメージが…

その彼が90年代に芸風の異なるフリートウッド・マックに加入しアルバム1枚を制作したのはちょっと驚いた。

因みにフリートウッド・マックとは60年代、ジョン・メイオールのバンドを卒業したメンバー達たちが中心となり結成された英国初のブルース・バンド。その後ピーター・グリーンがバンドから脱退し、残ったメンバーでバンドの生き残りを賭けメンバー・チェンジを繰り返し芸風をポップ路線へと展開していく。

1973年のリプリーズ・レーベル移籍から6枚目のアルバム、Mystery To Me辺りで彼らのポップ路線は一応完成。

アルバム制作を重ねるごとにボブ・ウェルチとクリスティーン・マクヴィらの作曲能力も腕が上がっていて、今聴けばボブ・ウェルチ脱退後の大ブレークした後の新生マック時代と比べてもそれほど引けを取らない気がする。

ただ、肝心のアルバムの売れ行きが今ひとつ、もう少し売れてもよかったのに…

ホント、Mystery To Meなアルバム。

左から時計回りに、ボブ・ウェルチ、ジョン・マクヴィー、クリスティーン・マクヴィー、ボブ・ウェストンにミック・フリートウッド


Dave Mason, Certified Live

2023年06月13日 | BRITISH ROCK

70年代当時のBadfingerのライブのセット・リストには何故だか、デイブ・メイソン(元トラフィック)作の名曲Feelin’ Alightを取り上げていた。

てな事でついでにデイブ・メイソンの1976年ライブ盤の紹介でも。

デイブ・メイソン・バンド、右上から時計回りに、ジム・クリューガー(ギター)、ジェラルド・ジョンソン(ベース)、リック・ジェーカー(ドラムス)にマイク・フィニガン(キーボード)

自身を入れた5人組のバンドはタイトで軽快な演奏で、選曲はファンキー、ブルージーさらにフォーキーとバラエティーに富んでいる。

トラフィック時代の曲、ソロ時代の曲に60年代のR&B、ディランやイーグルスのカバーそして締めにはかって盟友スティービー・ウインウッドが所属したスペンサー・デイビス・グループのGimme Some Lovin’まで飛び出し、Certified Liveと謳っているだけあってこのアルバムにはデイブ・メイソンの魅力がてんこ盛り。

ただちょっと気になるのが、ジャケのデザインですかね。同年の初め発売され世界的な大ヒットになったピーター・フランプトンのComes Alive! にクリソッ!

クリソッ!って言うか、フランプトンの成功にあやかったパクリですかね。


Badfinger, Day After Day, Live

2023年06月13日 | BEATLES-BADFINGER関連

1990年、BadfingerのライブがCD化された。内容は1974年のアメリカ、クリーブランドでのライブ音源が収録されていて、それまで彼らの正規ライブ盤が出ていなかったので懐かしさのあまり当時ショップにて速攻購入した記憶が....

アメリカの再発盤専門のレーベルRYKOからオフィシャルで発売されたので音質はブート音源よりはしっかりしていて、少々ドラムがうるさく感じるもののまあこんなものかと.... 

一聴して、やっぱりピート・ハムが居てこそのバッド・フィンガーだったと再認識。

それから30数年があっという間に過ぎ去った。Day After Dayの如く日々が淡々と続いて来たのを再認識。

感謝。

こんな雰囲気でバンドが続いていけばよかったのに....


Fresh

2023年06月10日 | AMERICAN ROCK/POPS

1970年、ラズベリーズ結成。

1972年4月にファースト・アルバム発表し、鉄は熱いうちに打てって事か鮮度重視で約半年という短期間のインターバルでセカンド・アルバム、Freshが登場。

2007年再発紙ジャケCD、再現度高く良い出来です。

ビートルズやビーチ・ボーイズなど60年代のポップ・ソングに影響を受けているものの、バンドの中心メンバーであるエリック・カルメンの曲作りの才能や少々粘い個性的なボーカルがそこら辺の単なる懐メロ・バンドとは一線を画すユニークさを感じる。

いつの間にかオジンになって生きる屍と化してしまったオイラ、ラズベリーズでも聴いて少しは鮮度取り戻さないとねって思う今日この頃。


LとRで大違い

2023年06月09日 | BRITISH ROCK

助手:博士大変で~す! 今日は6月9日でロックの日。さっきNHKのお昼のニュースで自転車には鍵かけましょう!ってやってました。

博士:バッカも~ん! 何寝ぼけたことを言っておる。腐っても縮緬雑魚としてロック研究に日々邁進している我らにとって、ロックの日とは舌先が前歯の裏に貼り付くロックじゃなくて舌先が口腔内で浮遊するロックの事じゃ!

とは言え、今時Rockの研究ってマイノリティーの世界、チャリを日々愛用してる方がやっぱりマジョリティー。

しからば、折衷案としてT.RexのRock On にLock Onって事で.....

サイドー1の3曲目に狙いを定めて!

ロックの日に相応しいアルバムです。

 


AI !?  No, It’s not but Part 2 !

2023年06月08日 | PROG ROCK

ジェフ・リン:オイラELO飽きちゃった〜

てなことを言ったかどうか定かではないが、1986年のアルバム、Balance Of Powerを最後にELO閉店ガラガラ~ってシャッターが閉じられた。

バンドの中心メンバーであり、作詞・作曲、リード・ボーカル、ギターにアルバムプロデューサでもあるジェフが飽きちゃった~って言ってしまうと、他のバンド・メンバー全員失業ってことになる。

ベヴ・べヴァン:そんなこと言わずに、バンドを再開しょうよ。

とELOオリジナル・メンバーでドラム担当だったベヴの呼びかけにも、

ジェフ:興味ないね。

と冷たくあしらわれる。

ベヴ:それじゃあ、最悪ジェフ抜きでELO再稼働させていいかい?

ジェフ:音楽活動は自由だけれど、ELO名前を使って活動するのは却下!

ベヴ:それじゃあ、Part 2ってことで?

ジェフ:それでいいんじゃね?

てな会話があったかどうか定かではない。

ジェフに似通った芸風の新メンバーをリクルートし、更にストリングスのアレンジメントはかってELOのアルバム、Eldoradoのストリングスのアレンジを担当しそれ以降のアルバムにも協力してきたルイース・クラークを起用。かってELOでヴィオリン弾いていたマイク・カミンスキーもちょろっと登場。

ベヴ:これでいけるんじゃね?

ってベヴが言ったかどうか定かではない。

そして1990年ついにセルフ・タイトルのアルバム、Electric Light Orchestra Part 2が出た~!

(かって長岡秀星先生によって描かれたELOスペース・シップと比べると、安っぽさは歴然)

(ドラムのべヴとヴィオリンのマイク・カミンスキー、他は誰だかわからない)

ELOらしさは十分出ていたが、やっぱりジェフの独自のポップ・センスを完璧に真似る事はできなかったみたい。

アメリカでは不発だったが英国ではチャート34位と何とか面目を保てた次第。

これがPart 2の限界か?

今ならAI使えば更にELOに近づけることもできるし、何だったらジェフ・リンのボーカルもAIで生成出来ちゃう。

誰かAIでELO Part 3やっちゃいます?

ジェフ:そっ、そっ、それだけはやめてけれ~

ってジェフが言うかどうか定かではない。


英国はプログレ・ロックの宝庫だぁ~、ん?

2023年06月07日 | PROG ROCK

1967年の新生ムーディー・ブルース誕生から5年経った1972年に7枚目のアルバム、Seventh Sojournが出て、その後行われたライブ・ツアーの後一連のバンド活動を停止し、メンバー各人がソロ活動をスタート。

更に時は流れ、バンド・メンバーが再集結しアルバム制作の機運が高まるも、初代ムーディー・ブルースのメンバーの一人で中心的な存在であったメロトロンマンのマイク・ピンダーは彼のカリフォルニア移住によって価値観が変わったのか、その動きには消極的だったらしい。

バンド・メンバーが彼の元に立ち寄り説得を重ね、プロジェクトはスタート。

ただレコーディング・セッションにおけるマイクと他のメンバーとの対立からマイクはセッションから離脱、また長年プロデューサーを務めてきたトニー・クラークもそれが原因で離脱と散々な再結成となった。

マイク離脱の穴はエンジニアによるストリングスのダビングで埋められた。

そして出来上がったアルバムは、それまでのアルバムの一連の続編としてOctave(第8音)のタイトルで1978年発売に至る。

(あれっ? マイクがいない!)

(ジョン・ロッジの後ろ姿に隠れていたからだったが、何となく彼の存在感が薄くもうメンバーじゃ無いって感じのジャケ・デザインかな?)

個人的な印象としては、それぞれの曲の出来は良いのだけれど、それ迄のムーディーズの売りだった英国プログレ伝統の重厚で翳りのある味わいが消えて、アメリカンナイズされたライトでポップな味付け(特にストリングス、サックスやホーンのアレンジ)に聴こえる。

それもそのはず、多分マイクにレコーディング参加してもらうための配慮があったためだったのか、それ迄のイギリス録音ではなくマイクの移住先のロス・アンジェルスのレコード・プラントでの録音だった。

やっぱりアメリカでの録音じゃ英国的プログレの良さは出し切れないって事ですかね?


英国はプログレ・ロックの宝庫だぁ~、その3

2023年06月06日 | PROG ROCK

早くオイラを宇宙監獄の暗闇の中から出しておくれ。言われた事は何だってするから!

何だってするんだね。ようがす!それじゃ新作制作のためリラックス出来る日当たり良好のビーチ・リゾートを用意しよう。

えっ? ココって煙突の数が半端無いんだけれど...

てな話があったかは定かではない。

スーパートランプと言えばプログレよりは10ccなど英バンド特有の捻りに捻ったポップなアイデアが売りのロック・バンドですかね。

1974年、3枚目のアルバム、Crime Of The Centuryが思わぬ大ヒットを記録したおかげでレコード会社からのツアー終了後至急次作に取り掛かる要請の圧が強まろうとしていた矢先、中心メンバー、ロジャー・ホジソンの怪我により残りのツアーがキャンセル。

それではと余った時間を活用しニュー・アルバムの制作に取り掛かったものの、バンド・メンバーによると準備不足でイマイチ納得のいく出来ではなかったアルバム、Crisis? What Crisis?が1975年に完成。

一聴してみると、売り上げチャートでは前作を上回ることができず、また彼らが出来に納得していなかったとは言えこの4年後に世界的メガ・ヒットするアルバム、Breakfast In Americaに至る順調な歩みを進めていたと思える。

ただバンドに対してもう少し制作に時間が与えられたなら、このアルバムで更なるブレイクが出来たかも。

ビーチ・リゾートってやっぱこうでなけりゃ。でも写真は編集加工によるもので実際のところリゾートには行って無さそうな気がしないでも....


英国はプログレ・ロックの宝庫だぁ~、その2

2023年06月05日 | PROG ROCK

ジェフ・リンが鬼才ロイ・ウッドの誘いにより、ロイのバンド、ザ・ムーヴに加入。

ザ・ムーヴで数枚のアルバムを制作後、彼らは新バンド、エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)を結成。

ポップとストリングスを融合させた実験的なサウンドを昇華させた弦楽器が重厚に鳴り響くファースト・アルバムが1972年に登場。

プログレ大好き人間にとってはELOのカタログの中では一推しのアルバムじゃ無いだろうか?

ただロイ・ウッドは新バンド結成のためELOから脱退し、その後ジェフ・リンがリーダーとしてバンドを継承していくこととなり、ELOはポップ度が増したバンドへと変遷していくことに。


英国はプログレ・ロックの宝庫だぁ〜

2023年06月04日 | PROG ROCK

70年代、3大とか4大プログレ・バンドって格付けがあり彼らに夢中になっていた頃、実はもう1組偉大なプログレ・バンドが存在していたのを知らなかった。

そうGG、ジェントル・ジャイアントのこと。

シャルマン3兄弟を中心に高度なテクニックを持つマルチ・インスト・プレイヤーが集まり、特に何回聴いても難解な芸風が重度のプログレ病に感染しているファンの心を鷲掴み。

ただそんな噂を聞いてはいたが、当時プログレ・ロック友の会ノービス・クラスの末席だったオイラはまだまだ手が出ない存在であった。

それから周回遅れで80年代にようやくCD化された彼らのアルバムを購入。

彼らの1972年の3枚目のアルバム、Three Friends。

(Three Friendsのアメリカ盤のジャケット。アメリカでは当時ファースト・アルバムは未発売で、アメリカにおけるサード・アルバムにはインパクトのあったUK盤ファースト・アルバムのデザインを採用)

芸風としてはジャズ・ロックって印象で上品て言葉が当てはまるかどうか定かではないが、複雑な構成にも関わらず高度なレベルの演奏やコーラス・ワークがクールにサラッと流れて行くって印象ですかね。

アルバムの内容は、幼い頃からの仲良し3人組が学校を出てそれぞれが異なる別の職業に就いて離れ離れとなり思い描いた人生とは全く違った、てなストーリが語られるコンセプト・アルバム。

確かに今思えば気心の知れた友人たちとつるんだ学生時代が一番楽しかった。


英国はプログレ・ポップ・ロックの宝庫

2023年06月03日 | BRITISH ROCK

単純なポップ・ソングではなく、これでもかとアイデアを投入し更に一捻り二捻り。いつの間にか複雑怪奇なプログレ・ポップに変身!

10CCを筆頭にビー・バップ・デラックス、XTCなど枚挙にいとまがない。

70年代アメリカでデビューしたメイル兄弟のスパークスも母国ではイマイチで、英国に渡り現地のスパイスを振り掛けるとアラ不思議、1974年のキモノ・マイ・ハウスが大ヒット。

これぞ英国プログレ・ポップ・ロックの伝統芸!

ただあまりにひねくれ過ぎて空回りしてしまう事が多々見受けれれるのがたまに傷。

1977年のシティー・ボーイの3作目のアルバム、Young Men Gone Westもこの手のサウンドが大好物な人にはバカうけだが、1本のシングル・ヒットが出なかった事から忘れ去られた存在となる。個人的には良い出来なんだけれどね。

ロンドンの裏町に存在するシティー・ボーイではなく、明るい日差しの下こんがり日焼けした爽やかなカリフォルニアのシティー・ボーイのイメージで分かり易い曲を1曲でいいから提供したならその評価が変わったかも...


“天空への響き”、癒しの一枚

2023年06月02日 | PROG ROCK

70年代の日本が誇るプログレ・バンド、ファーイースト・ファミリー・バンドの一員だったキーボードの高橋正明。

喜多郎と名乗りソロ・デビュー。

80年代初め頃のNHKの番組、シルク・ロードのテーマ曲で認知され、その後アメリカのレコード会社と契約し海外進出を果たし、世界的ヒーリング系プログレ・ミュージックの第1人者と称されるようになった。

1995年、アメリカで行われた喜多郎のライブの模様を収めたDVDとCD、Kitaro Live In U.S.A. An Enchanted Eveningが出た。

Silk Roadはもとより、名盤Mandalaや映画のサントラ主題曲、Heaven & Earthなど代表曲が収録されたベスト的な選曲となっている。

ダイナミックで派手な仕掛けの太鼓の演奏とシンセやエレキ・ギターが奏でる叙情的でノスタルジックなメロディーが印象的。

たまにはこういうのもイイね。