親知らず

2010年01月08日 | 出来事 -
元旦に決めた今年の計画の一つ。
             「親知らず(両側2本)を抜く」――ということ!


実は、来週の末に(まず)1本抜くように、昨年末に予約したばかりだったのに、
キャンセルしなければならなくなった。
現在の仕事の状況では、しばらく無理のようである。
やはり身体が疲れていない時期で、仕事を2日~3日は休みたいと思うから、
また ゆっくりとしたら、仕切りなおすことにする。

   昨年は予定していたのに四国へゆっくりと帰省もできなかったし、
   今年もまた、年頭から 計画は若干くるい始めている。



抜歯は、フツーの歯も嫌だが、「親知らず」だから 余計に嫌だ。
昔、友達が救急車で運ばれた・・・とか、血が止まらず病院に向かった・・・
などというたくさんの逸話を聞きすぎて、怖くなってしまっている。
昔は、かなづちのようなもので、トンカン強くたたたいて 歯を割り崩し、
抜歯されたもので、そのイメージが強く 私の中に残っている。
当時、私の知人は、それで顎(あご)がおかしくなってしまったことがあった。
しかし、歯科医療も、かなり進化しただろうと思い至り、ついに今年決心した。



実際、「親知らず」の炎症は、一年に一度あるかないかだったし、
炎症をとめる薬で、常に落ちつくものだったので、シリアスな感覚もないまま、
数十年を過ごし、「下側の親知らず2本」と 長く付き合ってきた。

想いおこせば、「親不孝をすると、親知らずが痛む」という言葉があったために、
離れて暮らしていても両親を忘れないようにするためにも、あえて残したという
気持ちもないわけではなかった。
「虫の知らせ」と言われるように、親知らずが痛んだら、実家にすぐ電話したり、
「疲労回復のため少し休もう」と努力したりしていた。
親知らずが痛むということは、私に対する “ 何らかの身体のサイン ” として
解釈していたようにも感じる。

しかし、もう今は、親不孝の心配をする境遇でもなくなった。
それに、まだ身体が元気な内に(親知らずが虫歯や歯周病になってしまう前に)
必ず抜歯はしたいものである。