仕事先の代表の話である。
60歳を目の前にして、突然、奥様から「離婚」を言い渡された人がいる。
その人としては、仕事に没頭して、家庭のことを奥様に任せすぎたようで、
一人娘のお嬢様も一緒になって、奥様方について同居するという。
本人は一人でこれから暮らすことになり、奥様とお嬢様との関係は最悪だと言う。
彼にしてみれば「仕事をやめたら、こうしよう」と描いていた「老後の人生設計図」が、
すべて崩壊した。それも、ある日、突然に・・・・。
「寝耳に水の状態だった」と話していた。 相当の衝撃だったらしい。
現状としては、すでに財産を処理して、分配作業に入っている。
実際、よく聞く話ではあるが、こうも身近に起こるとは思ってもいなかった。
その人は会社経営者という立場のため、どうにか「定年などはない」が、同時に、
「退職金もない」ということになる。
だから、余計に、営業に走りまわる日々・・・。
私にとっては、その境遇が(正直)痛々しく感じることがあり、
その人が“多めに見積もった請求書”にも、今は、つい判子を押してしまう傾向がある。
これを人に話すと、笑いながら「家庭をないがしろにしたからョ」と言われるのだが、
私自身は「(実家時代の)老いた父の一人暮らしの寂しさ」と5年近くつきあったので、
なんとも複雑な想いが消えない。
その人の将来と、重ね合わせているのかもしれない・・・。
私と同居する前の父は、毎日、毎日、四国から電話をしてきていた。
一日に、何度も電話した記憶がある。たわいのない話を聴いたり、話したり・・・・。
会議中だろうが、仕事中だろうが、父はおかまいなしである。
電話に出ないと、またすぐに電話を鳴らす。 何度でも・・・。
携帯のバイブ音も気配で分ってしまうので、大事な会議中は携帯をカバンの奥に忍ばせた。
日々がその繰り返しだった。
毎日のことなのに、実家から電話が鳴るとヒヤッとするのは・・・
突然の病気ではないかという連鎖的心配からで、(緊急事態連絡も何度もあったから)
そのヒヤリ感は、最後まで慣れなかった・・・・。
“毎日電話をできる関係の人がたくさんいる人”は、幸せな人だと思うし、
“頻繁に会って遊べる人がたくさんいる人”は、本当に恵まれているとも思う。
高齢者の孤独は、なかなか理解しがたい。
身体と心が、だんだんと折り合いがつかなくなるので、不安が募っていくからだろう。
そして、やはり他人にはつきあいづらいものかもしれない。
家族が、愛情をもって、毎日でも寄り添ってあげないと、孤独感は募るばかりかも・・・
そう思うけれど、現実はなかなか上手くいくものではない。
話題は戻るが・・・・
突然、離婚を切り出された人は、とにかくお酒に逃げる人で・・・
想いおこせば、昨年の春などは、よくお酒を飲んでは夜中まで話し込んでいた。
今となれば、なんとなく納得できることもある。
当時は、「ちょうどもめていた頃だった」と、後になって分った・・・。
60歳という年齢だし、まだ何とか最初からやり直しもできるだろうけれども・・・
仕事もプライベートも「余暇」や「社会貢献」や「趣味」に興じる年齢だからこそ、
これからの人生を楽しく過ごしてほしいと願うばかりである。
今はまだ、会うたびに顔は曇っているし、話もくどく、人の意見も受け容れる余裕が
ないほどである。また、変わった点としては、弁解や説明が長くなったということ。
また、どうしても覇気がないので、仕事相手の私としては“やり辛い”。
ちゃんと割り切ったとしても、レギュラーメンバーでなければ、他の人を指名していた
かもしれないと思うほど、(今は率直に言うと)空気感が芳しくない。
だからこそ、皆が助け合って、気を遣い合って、仕事を円滑にしていく必要がある。
そのために、日々、少しずつ、私も苦労しているのである。
しかし、ほとほと感じる。
一歩、外に出れば・・・・・こうして、何気ない日常活動も、
人々は微妙に影響し合いながら、生きていくものなのだ・・・と。
誰かの心の傷をうめることも、癒すことも、気遣うことさえも、
実は“将来の自分に返ってくることなのかもしれない”・・・と。