「一人っ子」の私。
子どもの頃から、「こまっしゃくれ」の「おませな子」だったらしい。
子供の出来ない両親が、当時、タイマイキンを払って、排卵誘発剤を購入し、
長期にわたる不妊治療をして、やっと生まれた子供が、この私である。
(当時の金額で100万円近い金額になると聞いたけれど、マサカネ~!)
田舎の一角では、まことしやかに、私は「七人目の子供」として噂されていた。
要は、近所のおばさんが言うことには「あんたはねぇ、お母さんが七回妊娠して
授かった子なんだよ」と、幼い私の耳元でささやくのである。
そして、その隣でお茶をすすっているおばあさんが「いやぁ、すごかったねぇ」と
感想を吐露する。そこに集った大人たちが目の前の子供のことを噂しているのだ。
子供心に、そういう第三者の噂話を聞くのは、心地よくなかった。
たとえ幼くとも、理解することができたのが、哀しいことだった・・・。
実際のところは・・・
母からは、私は4人目の子供で、出産できたのは2人で、生き残ったのは私だけ・・・と
聴いている。(妊娠回数については、誰が本当のことを言っているのか全く分らない)
母も、本当のことは言いたがらない顔色だったから、私も追及などはしなかった。
しかし、母が出産したのは、確実に2人。
「姉と私だけだ」というのは紛れもない事実である。(姉の墓は、今も私が管理している)
それに、私は・・・
病院にまでたどり行く前に、あっという間に、母に実家の「縁側」で産み落とされ・・・
(母が言うには、「だって、もう出ていたんだから・・・」と渋り顔だった:笑)
助産婦さんが到着したときには、呼吸困難で、危機的な状態を脱した経緯をもっている。
(この話は、最初から最後まで、なかなか笑えるエピソードが満載である)
だから、私を取り上げてくれ、処理してくれたのは、近隣の家に住む一般の人である。
(医学には全く知識のない)高齢のおばあちゃんだったらしい。 すごい話だ。
昔は、自宅で出産したので、その古い記憶をたどった・・・・と言っていた。
(おかげさまで、私はデベソではない!)
だからだろうか。
私は・・・子どもの頃から、紆余曲折、波乱万丈の人生!!
きっと両親には、「たった一人のこの子がいなくなったら・・・」という不安が、いつも
あったのだろうか。
私の子供時代、身体は確実に弱く、体育などは頻繁に見学して、病院にも良く行った。
「せっかく苦労して、生まれたこの子がいなくなったら・・・」そう思ったに違いない。
■両親は、私を、“とんでもない保険”に入れていた。
☆「30年満期――JA共済――養老年払」☆
30年かけて、208万982円支払い、満期時には100万円が手元に戻る。
母が亡くなってからずっと私が支払っていたが、ほとんど馬鹿らしくて仕方がなかった。
※30年前の金額は、正直、現在の10倍の価値があるぐらいの値段である。
■「解約したいんですが・・・」とJA共済に申し出ると、
「お返しするお金が小額になります」と、ガンと受け付けてくれず、相当利率の悪い
保険になっていたようだった。最初からの決め事だと言われれば、それまでである。
昔は、こういうことが、フツーに、まかり通っていたのだろう。
保険というのは、本当に良く調べて、契約しないと 「とんでもないことになる!」
最近も、ひどい待遇の保険代理店に出会った。 過去、最低の経験をした・・・。
ねことあひるの好感度の良いCFを流している大会社である。
これは、現在、対応を考慮して、対策をきちんとするつもりである。(一考中なり)