「飽食の時代」と呼ばれた頃があった。
「飽食」とは、「飽きるほどたくさん食べること」あるいは「食物に不自由しないこと」、
「生活上の苦労がないこと」という意味を言う。人間の「欲」の行く末である。
この時代になっても、東京はまだまだ「飽食」&「飽満」を続けている・・・。
大都市の夜、多くのレストランや居酒屋で、大量の皿鉢に盛られた料理が振舞われ、
翌朝までにはゴミ箱に捨てられて・・・夜明けと共に、カラスの餌になっている。
コンビニやチェーン展開のハンバーガーショップでは、まだ食べられるようなお弁当や
商品が大量に捨てられ、深夜や早朝のゴミ捨て場には、食料を求めた浮浪者が集まる。
私は・・・やっと・・・
土曜午前中に、皮膚科と内科をハシゴして、体調の悪さを訴えて薬をもらってきた。
口の横にできたできものは、ビタミン不足や胃やストレスが原因と言われているが、
この時期独特のアレルギー反応だとも言われた。保湿剤と、特別の塗り薬をもらった。
とにかく、数日は処方された薬を飲むために、食欲がなくても食事をとる日々・・・
だから、しみじみ思う。
何故、人は、朝、昼、夜と食べるのだろう・・・・と。
今日、私は薬服用のためにランチを食べたが、全く「おいしい」と感じなかった。
空腹でもないし、食べる必要性も感じなかったし、とにかく食べたいとも思わなかった。
過日、「永平寺」をテーマにした禅寺の修業(雲水)のドキュメント番組を観たけれど、
非常に現在の生活スタイルに“素朴な疑問”を感じることも多々あった。
すべてが肯定的にとらえられる内容ではなかったが、参考になることもたくさんあった。
とにかく、人間の身体は正直にできているので、常に自分にサインを送ってくれている。
そのサインこそ、私が大切にするべきものではないかとさえ思うほど、無理な飽満食事は、
精神的にも肉体的にも快適ではないものである。
「お腹がすいたら、食べたいものを食べる」という考えにたどり着いて、ちょっぴり幸せを
感じていたので、この数日の食事のペースに関しては、ちょっと快適ではないのだろう。
食事の量を減らしたり、絶食したりすると、身体の内蔵機能は回復することが多い。
「飽食」は、明らかに、自分の内臓を痛めつけている。
特に食べたくないものや、一緒に居たくない人との会食などは、もってのほかである。
今夜は、19:30~会食が入っている。
プロジェクトの長ばかりなので、少人数なのが、唯一の救いである。
また「飲めないの?それってサギじゃない!飲めるように見えるよ!」そう言われるぞ。
そしたら、へらへらと笑って、「そうなんです。いつも言われるの~」そう答える私。
品のある“おじさま達のお言葉”が、眼に浮かびます!!