昨日から、「インド」が、頭から離れない。
随分前のことだが、ヨーロッパで意気投合した友人宅に、初めて招かれた時・・・・・
びっくりしたことがある。
日本では考えられないほどのリビングの広さに、私が敬愛する「ガンジーの肖像写真」、
「べランのパノラマ山岳画作品」、そして、カナダで古来から使われていた「かんじき」が
順々に飾られていたからである。
なんということだ。
この偶然の志向の一致は・・・・?
私は、それだけで、その人がとても身近に感じられた。
肖像写真も、パノラマ山岳地図画も、とても大きな額縁で、その大きさにもまた・・・・
びっくりするぐらいだった。
つたない私の英語も、その人とは必要なかった。
境遇や、現在の状況は、説明したりすることがあったが、それ以外は・・・・
考えていることや、感性などが、言葉にしなくても通じるものがあったと思う。
ドイツ人で、同い年で、医療関係に携わっていた人だったが、やはり共感する“何か”を
持っていた人だったと感じる。
あの時・・・あの瞬間・・・・
「ガンジー」と「べラン」が、同時に私に襲いかかってきた衝撃は、今も忘れない。
私が惹かれていた二人の存在感は、リンクすることがないように思っていたので・・・・
だからこそ、びっくりしたのだと思う。
今から、13年前のことである。
「ガンジー」は、「インド独立の父」と呼ばれている。
非暴力運動によって、英国領土だったインドを、独立に導いていった人である。
インドの首都デリーは、ガンジーとも縁が深く、独立運動の支援者であった民族資本家
ヒルラー財閥のデリー邸を、たびたび寄宿先としていた。
彼は、晩年、ここで過ごすことが多かったと聞く。
そして、1948年1月30日、寺院に夕方の祈りに向かう途中、暗殺されてしまった。
このヒルラー財閥のデリー邸は、今も当時のままに、あらゆるものが残されており、
ガンジーが使っていた質素な寝室から、中庭まで足跡が印されている。
中庭の中央で足跡は途切れており、そこには石碑があるという。
まさに、そこで、ガンジーは、凶弾に倒れたのだ。
ガンジーの非暴力運動で自由を手にして、独立した「インド」。
ガンジーの魂は、世界各地の平和運動や人権運動に、大きな影響を与え続けていった。
しかし、彼の力によって独立を勝ち取ったインドにとっては、はたしてどうだろう。
ガンジーの「偉大なる魂」の影響力は、あまり大きくなかったとしか言えない。
インドは、その後、軍隊を持ち、領土問題で諍いを起こし、現在は「核保有国」となった。
インドの根深い身分制度の果てに、人々は何を求めているのかと・・・・
おぼろげに(複雑な気持ちを抱えながら)疑問に思うことがある。
私が魅せられたのは、ガンジーの思想や魂であり、“ガンジーそのもの”だった。
それだけ人の心を打つ信念の強さと、行動力を持ちえていた稀有な人が、ガンジーだ。
お金も、服も、満足な暮らしもせず、質素に生き、人々に「平和」を訴えた人だった。
“何も持っていないこと”が、こんなに素敵なのかと思えるぐらいの人だった・・・・。
しかし、たとえインドがどのような道をたどろうと・・・・
「ガンジーの理想」に感銘を持ち、その意志を引き継ぐ人も、世界中には沢山いるだろう。
そう、13年前にヨーロッパで経験した私の驚きのように・・・・。
少なくとも、私の中にはガンジーの思想が、確実に、着実に、生き続けている。