自分には“才能があるのだ”と、勝手に強固に思い込んでいる人は、実は・・・・・
屈折しているような印象がすることがある。
素直ではなく、ストレートではなく、信頼できないという感じがする。
コンプレックスや潜在的な不安の反動で、自分が才能があると過剰にひけらかしたり、
他人を(それも自分よりも目上の人を)軽々しく安易に揶揄したりするのである。
(勿論、本当に才能がある人は別だ)
ただ、その人の「ありのまま」で、いればいいのに・・・。
仕事をしていると、他人の評価を気にする人は多い。
実際、「ビジネス世界」という冠がつけば、他人や他社との相互関係や、
市場のあり方の中に、おのずと「評価たるもの」が現出してくる。
独自に自分の価値観を持って、仕事をしていく――と(自分では)思っていても・・・
どうしても他人の感触が気になってしまうものだとも思う。
やはり、そういう市場の評価で、あらゆるビジネスは回転している。
それが現実である。
しかし、慢心のゆえに、お世話になっている人のことを(それも立場的には上の人を)、
「あの人はチョロイ!」などと発言してるのを聞くと、私は本当にいい気がしない。
まさに、昨日のことである。
「あなたこそ、何を基準にそのような発言をしているのか」と言いたくなる。
そして、「自分の足元を冷静に見つめたらどうですか」とも・・・言いたくなった。
社会では「他人の評価」と完全に無関係に、生き抜いていくことはできないのだから、
もっと“真摯に自分のことに向き合う方がよいのではないか”と感じる。
つい「あなたこそ!・・・」と言いたくなった私は、あまのじゃくだろうか。
実際、私は、その人を「掘り下げが浅い」「自己中心的でコミュニケーション不足」と
いう二つの理由から、かつてプロジェクトから はずそうとした。そのメンバーである。
(しかし、会社の都合で「残してほしい」と懇願され、あきらめたのである)
浅はかな仕事への姿勢と、人に対する敬意のなさは、私が触れたくない態度である。
きちんとした仕事をして、なおかつ「チョロイ!」と周囲の人を言うのであればまだしも、
自分の力量不足を棚に上げた発言は、いつか露見し、何らかの制裁がくだるだろう。
私は、密かにそう思った。
そして、隣にいた私は、不快な気分になり、信頼感はまた薄れてしまった・・・。
その彼は、(よくあるケースで)心が満たされず、世評にこだわっている人ではない。
思い込みが激しく、自分を正当化することにこだわる人だ。
だからこそ、(気持ちのよくない)屈折した灰色の根底にあるものを感じるのだろう。
これまでの環境や、元々の性格が、そういう感情を巻き起こさせ、発言させるのだ。
常に、自分以外の人を軽んじて、馬鹿にしているように感じる時さえあるぐらいだ。
彼は、この世の中に完璧な人はいない・・・ということを心底わかっているのだろうか。
だから、人間は支えあいながら、生きていくのだ。
そう、私は思っている。
それでも、私は彼と楽しく、仕事をするように心がけている。
現実的に、当方が努力して、笑いの耐えない現場の雰囲気を作り続けているからだ。
しかし、彼の根底の灰色の部分を感じるたびに、もっともっと成長できるのに・・・と、
残念な想いにかられる。
へたにキャリアを積んできたわけではないはずだし、そこそこのスキルも持っている人だ。
だからこそ余計に、残念な気持ちがついてまわる。
とやかく言う立場にないのがもどかしいが・・・人の性質からくる対応は、本人次第だ。
現段階では、ただ私が「おしい」「もったいない」「損をしている」と感じるだけである。
人とかかわる仕事において、「人に嫌われたり、不快な気分にさせるのは最悪だ」と
私は思っている。相手に一緒に仕事をしたくないと思わせてしまうのは損失である。
たとえば、同じ事実を伝えるのにも、伝え方は数限りなくある。
まさに、その人の仕事のやり方に、仕事に対する「人間力」が漂ってくる。
真価が問われる要素だ。
それに、何も言わなくても、感情の断片は相手に伝わっていくものである。
そのために、仕事相手に対する配慮と敬意は忘れてはならないのだ・・・と思う。