今日の七海ママの昼散歩には、獅子丸も混ぜてもらいました。
わーい
ひめちゃんの準備ができるのを待ちます。
ママとひめちゃんと獅子丸で、ちいさんぽです。
早くもリーダーの気分です
ひめちゃんが前に出ます。
「何言ってんのよ あたちがリーダーよ」
本当のリーダーはママです
皆沢八幡宮(かいざわはちまんぐう)はのある皆沢は、現在桐生市になっています。
でも、かつては桐生川の向こうの下野国だったのです。
足利忠綱ゆかりの地ということで、足利紀行総集編に含めます
しばらく前に、佐野から帰るときに県道66号線を登ってきたことがありました。
たいへんな山道で、すれ違いができない所もありました
下りになってホッとした時に、右手に神社がみえました。
「皆沢八幡だ」と思いましたけど、入り口が分かりません。
折悪しく後ろから車が来たので、ウロウロするわけにもいかず、捲土重来を期しました。
皆沢八幡宮は、足利忠綱を祀っているそうです。
忠綱は源平の合戦で大活躍した後、寿永2年(1183)野木宮合戦に敗れ、その後ここ皆沢で打たれたといいます。
忠綱は山上の竜奥(やまかみのたつおく)に逃れ、その後西国に落ちていったともいいます。
『群馬県の中世城館跡』(群馬県教育委員会1988)に、葛塚城の築・在城者(推定・伝承)として、山上氏・足利忠綱・羽生衆があがっています。
文献として、鎌倉図書館文庫・赤堀文書・由良文書・吾妻鏡が記されています。
そして備考欄に、「竜奥館はここか」とああります
ひめちゃんは葛塚城堀之内に住んでいるのです
今日(2018年10月23日)は、桐生側から攻めました。
本町通りをひたすら北上し、梅田湖を渡ります。
皆沢は、現在桐生市梅田町だそうです。
鳥居近くの、道ばたの空き地に駐車します。
正一位八幡宮とあります。
鳥居をくぐって、左手に説明板があります。
「宇治川の先陣で名高い上野の武士 足利忠綱を祀っている」とあります。
足利忠綱が上野の武士ですって
下野の足利忠綱ですよね。
合併したからといって、無理しすぎです
本殿は18世紀後半に建立された徒あります。
建物の彫刻は、あの花輪の彫刻師集団の作品です
説明板の隣に公衆電話がありました
古くないです。
現役の様です。
もしかして携帯の電波が届かない?(試して見ませんでしたけど)
本殿に登ります。
覆屋もかなり痛んでいます
覆屋が痛んでいるので、隙間からカメラが入ります。
あの赤い扉の向こうに、忠綱明神が鎮座しているのですね。
説明板によると、この木造は天文12年(1543)の墨書があるといいます。
なぜこの年なのでしょうか?
本殿も全体的に痛みが激しいです
大げさに言えば、絶滅寸前です。
南側から一周してみます。
左上の方々、どこかでお会いしたような。
仏様から後光が差しています。
光を彫り物で表現しています
こちらは北側なので、彩色が少し残っています。
寿老人(?)・鶴(誰か乗ってます)・松が、迫力でせまります
一応一周してみました。
木の破片が散乱しています。
覆屋も痛んでいます。
それにしても、みごとな彫刻です
さすがに花輪の彫刻師集団の作品です
(後半へ、続く)