冷たい雨の一日です
ひめちゃんたちは、レインコートを着てのお散歩です。
七海ママのレインコートも、基本的には貫頭衣(かんとうい)で、両サイドをお腹で併せてマジックテープで止めています。
ママのだけ、ちょっとかわいいデザインです
10月5日、最後の訪問地は二宮尊徳資料館と桜町陣屋跡でした。
実は、先に訪問した専修寺も二宮尊徳資料館も、旧二宮町にあります。
ウィキペディアによれば、二宮町は昭和29年(1954)に誕生し、平成21年(2009)に真岡市に合併し消滅しました。
町名は、二宮尊徳にちなむとあります
資料館の入り口に、二宮尊徳の像があります。
ちょっと小さめです。
資料館の中に大きな尊徳像があります。
人々を受け入れてくれそうな、大きなおだやかそうな人でした
この像の前で、二宮尊徳についてのビデオをみました。
館内はカメラ禁止でした
二宮尊徳というと、薪をしょって読書をしている像のイメージしかありませんでした。
疲弊した農村を立て直し、現在の農協のもとになる思想も持っていたとは、すごいことです
資料館を見学して、この町が彼にちなむ町名を選択したというのも納得です
慌ただしく見学して、桜町陣屋跡跡に足を延ばします。
土塁に囲まれている感じです。
説明板があります。
桜町陣屋は二宮尊徳(金次郎)が活躍した場としてしられています。文政6年(1823)、二宮尊徳は小田原藩主大久保忠真の命により、疲弊していた桜町領を復興するために、相模国栢山村(神奈川県小田原市)からやってきました。尊徳は、この地で報徳仕法と呼ばれる独自の農村経営法と思想哲学を編み出し、26年もの間ここを拠点に、桜町をはじめ近隣の村々の復興につくしました。
あの茅葺きの建物は、二宮尊徳の活動の拠点だったのです
左をみると、案山子(かかし)がいっぱいです。
収穫した稲が干してあるようです。
振り返ると、確かに土塁です。
中世の葛塚城も、もしかしたらこんな雰囲気だったかもしれません
陣屋の間取り図があります。
一番左は確かに土間です。
奥に進みます。
だいたいの人は、ここから引き返して行きました。
でも、隣に神社が見えます
あれが、二宮神社ですね
気になる石造物があります。
こちらに足を向けたのは、顔見知りのRさんと2人だけでした。
集合時間が迫っていたのです。
二宮尊徳のイメージの社殿です
いつもだったら、後ろに回ったり一周したりするんですけど、ここで退却です。
心の中で、2礼2拍1例礼で参拝です
ダッシュで、集合場所に戻ります