今朝もはっきりしないお天気でした。
ひめちゃんは獅子丸と、堀之内を北に出ます。
赤城山には、雲が沸き立ってきます。
途中の道ばたに、ムラサキシキブの実が色づいていました。
ムラサキシキブの前で、「にっこり獅子くん」してくれるとよかったんですけど。
鑁阿寺本堂にもしっかりお参りして、御朱印をいただきます。
その後、裏手にも回ってみます。
本堂の脇に稲荷神社が見えます。
北門を出てすぐに、逆藤天満宮(さかさふじてんまんぐう)がありました。
小さな社ですが、説明板もあります。
建久7年(1196)に足利忠綱が思いもよらない嫌疑をきせられ無実の罪が晴れるように祈願のおり、天満宮の社前に逆さに挿したまま置き忘れた鞭代わりの藤が芽を吹き大木になった
とあります。
足利家守護とは、どちらの足利家でしょう?
忠綱が祈るのだから、元は藤姓足利氏が祀ったのでしょうか?
鞭代わりとは、馬に使う鞭でしょうか?
馬はどこにつないだのでしょうか?
もちろん境内は今よりずーと広かったことでしょうけど。
でも、近すぎます。
嫌疑をかけられたのは、たぶんすぐ前の(源姓)足利氏宅つまり鑁阿寺の所です。
早くもっと遠くに逃げなければ
この右手の藤でしょうか?
いきなり黒塗りの本殿です。
本殿の額は逆藤天神です。
榊(さかき)があがってます
足利忠綱はやはり下野(しもつけ)の武将です。
皆沢八幡宮の説明板では、無理して上野(こうずけ)の武士とありますけど。
忠綱の終焉の地は定かではありませんが、彼は上野山上の竜奥(たつおく)に逃れたという説もあります。
その竜奥は、上野国山上の葛塚城ではないかという説もあります。
ひめちゃんちは、葛塚城堀之内にあるのです。
残念ながら、山上に忠綱の伝説伝承はないようです。
ご縁のある神社です
ここを込めて、2礼2拍1礼です
鑁阿寺の北門に戻ろうとしたら、気になるものがありました。
何だろう?
ウズラでした。
樺崎(かばさき)で、ウズラが鳴かなくなったわけの昔話が書かれています。
ある夜、足利義兼の枕元に少女が現れた。少女は吉兼の捉えた鶉で、毎日歌っているのは親と引き離され悲しくて泣いているのだと訴えた。吉兼は鶉の願いを聞き野に放つ際、「良い声を聞くとまた飼いたくなる。この里ではもう鳴くな」と諭す。それから樺崎では鶉の鳴く声が聞かれなくなり、「鶉の鳴かぬ里」といわれるようになった。
樺崎は、樺崎八幡宮のあるあたりです。
これは、行ってみなくてはなりません
追記
2018年12月4日、樺崎八幡宮を訪れました。
記事は後ほど、お楽しみに