野分の朝(あした)です。
ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。
浅間山は見えませんでしたけど、榛名山と赤城山ははっきり見えました。
(カメラを忘れました、残念)
みんなの写真がないとちょっと寂しいので、ちょうど15年前、2004年の秋のメモリーです。
ピチピチギャルの七海ママです。
このころ、ひめちゃんちには、「ムーちゃん」というペルシャ猫のおばあちゃんがいました。
ひめちゃんちは、ムーちゃんち(むーはうす)だったのです
西念寺のあと、玉日姫廟(たまひひめびょう)に向かいました。
いただいた資料によれば、
親鸞の妻、恵信尼の廟(墓)とされている。恵信尼は、越後の豪族三善氏の娘で、親鸞の妻となり、越後に流罪となった親鸞とともに常陸にやってきた。~中略~恵信尼は、弘安3年(1280)9月18日、87歳で亡くなった。稲田大古山の木崎台で荼毘に付され、墳墓が作られた。恵信尼が玉日姫とされる説もあり、御廟を「玉日姫廟」と呼んでいる。
大正年間に「玉日講」の人々によって、山門・休憩所・参拝所・灯籠などが整備されたともあります
「玉日講」と言えば、西念寺でも、この文字を見かけました
奥津玉日講とあります。
説明板の右には、滑川玉日講とありました。
玉日講が盛んな時代があったのです
参道ではなく脇から境内に入りました。
思ったよりりっぱな、雰囲気のある山門です
でも、ちょっとくぐって、正面を確認です。
古き良き日本の雰囲気です
右手の休憩所です。
ジャパネスクという感じです。
御詠歌らしいですけど、文字が消えかかっています
正面の参拝所は、きれいに整えられています
恵信尼の肖像も懸かっています
手を合わせたあと、参拝所の後ろに回ります。
りっぱな宝篋印塔です。
でも、周囲はちょっぴり哀しい状態です
行政の補助とかは望めないそうです
山門を出て、参道を帰ります。
参道の入り口には、「玉日君本廟」と大きくあります。
帰宅後検索すると、恵信尼と玉日姫は同一人物なのか、別人なのか、はたまた実在の人物なのか、いろいろ説があるようです
バスが駐車した所に戻ります。
そこは小さな神社でした。
鳥居の石は、この地方特産の石だそうです
これから、鳥居の向こうの山腹中央に見える、石切山脈に向かいます