黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

七海ママのふるさと・名和

2020-12-13 20:18:47 | 群馬県・中毛

今朝は、小次郎パパとタバサねーちゃんが、先にお散歩に出ました。

タバサねーちゃんが立ち止まります。

 

ひめちゃんと獅子丸が、おとうさんを連れてやって来たのです。

お先に、追い越していきます。

 

少し行くと、ひめちゃんがご褒美の催促です。

獅子くん、待ってます。

微妙な二人の順位関係がありそうです。

 

かれらは堀之内を西に行きました。

今朝は小次郎パパとタバサねーちゃんが、岩神沼に到着です。

だれもいなそうだね。

あれ、いました

いつもの黒いカモさんです

彼(?)は、この沼に住んでますね

 

 

ひめちゃんたちのママ、七海ママは2004年の夏に生まれました。

出生地は、伊勢崎市柴町です。

生家の犬舎号は、○○名和荘です。

名和(なわ)は地名です。

柴町(しばまち)は、明治時代には那波郡名和町(なわぐんなわまち)でした。

 

ママが来た頃は、まだちゃんとしたカメラがなくて、たぶん使い捨てカメラだったと思いますけど、ピチピチギャルの七海ママが残ってます

けっこう丸々としてました

「まーさか肥えた子だね。」なんて言われたこともあります。

 

何度か出産しましたけど、ひめちゃんたちが最後の子供達です。

ママ、おっぱいちょうだい

一番先頭はひめちゃんです。

 

しつけの甘噛みを受けているのも、ひめちゃんです。

 

この叱られている子も、ひめちゃんかな?

 

みんなが養子に行っちゃって、ちょっと寂しいひめちゃんは、ママに寄り添っています。

16歳半になったママは、脳梗塞のような状態からなんとか回復して、静かに暮らしています

 

 

ママの故郷・柴町の例幣使街道・柴宿から日光裏街道が始まり、大胡を通って、ひめちゃんちの少し北・新里の板橋を通って神梅に至り、足尾に行って日光に至るということです。

ママのふるさと柴宿・柴町、名和(那波)、少し歩いて見ましょう

 

まずは、那波城趾(なわじょうし)です。

例幣使街道(県道142号線)の信号・堀口町の少し先を、名和幼稚園目指して北に入ります。

ありました、「那波城趾本丸跡」

遺構は残っていないという事ですけど、本当に何もありません。

後ろに文字があるような気もするのですけど、わかりません。

赤城山もよく見えません。

でも、『日本城郭体系』第4巻に、那波城は取り上げられています

縄張り図はないですけど。

那波城の位置は伊勢崎陣屋の南三・七km、昌雲寺の北側にあたるが、耕地整理のため完全に消滅してしまった。川などの委託地形のまったくない館城であったと推定する。ここの城主は大江広元の子政広を祖とする那波氏で、当時の館は東南四kmの小泉にあり、利根川の変流によって流失してしまった。~(中略)~天正十五年秋、原因は明らかでないが那波城は北条方に占領され、顕宗は城を落ちて上杉景勝を頼り、のち、天正十八年に奥州九戸で討死したという。

 

七海ママのふるさと・名和、少し歩いてみましょう

 

 

 

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