今朝は、小次郎パパとタバサねーちゃんが、先にお散歩に出ました。
タバサねーちゃんが立ち止まります。
ひめちゃんと獅子丸が、おとうさんを連れてやって来たのです。
お先に、追い越していきます。
少し行くと、ひめちゃんがご褒美の催促です。
獅子くん、待ってます。
微妙な二人の順位関係がありそうです。
かれらは堀之内を西に行きました。
今朝は小次郎パパとタバサねーちゃんが、岩神沼に到着です。
だれもいなそうだね。
あれ、いました
いつもの黒いカモさんです
彼(?)は、この沼に住んでますね
ひめちゃんたちのママ、七海ママは2004年の夏に生まれました。
出生地は、伊勢崎市柴町です。
生家の犬舎号は、○○名和荘です。
名和(なわ)は地名です。
柴町(しばまち)は、明治時代には那波郡名和町(なわぐんなわまち)でした。
ママが来た頃は、まだちゃんとしたカメラがなくて、たぶん使い捨てカメラだったと思いますけど、ピチピチギャルの七海ママが残ってます
けっこう丸々としてました
「まーさか肥えた子だね。」なんて言われたこともあります。
何度か出産しましたけど、ひめちゃんたちが最後の子供達です。
ママ、おっぱいちょうだい
一番先頭はひめちゃんです。
しつけの甘噛みを受けているのも、ひめちゃんです。
この叱られている子も、ひめちゃんかな?
みんなが養子に行っちゃって、ちょっと寂しいひめちゃんは、ママに寄り添っています。
16歳半になったママは、脳梗塞のような状態からなんとか回復して、静かに暮らしています
ママの故郷・柴町の例幣使街道・柴宿から日光裏街道が始まり、大胡を通って、ひめちゃんちの少し北・新里の板橋を通って神梅に至り、足尾に行って日光に至るということです。
ママのふるさと柴宿・柴町、名和(那波)、少し歩いて見ましょう
まずは、那波城趾(なわじょうし)です。
例幣使街道(県道142号線)の信号・堀口町の少し先を、名和幼稚園目指して北に入ります。
ありました、「那波城趾本丸跡」
遺構は残っていないという事ですけど、本当に何もありません。
後ろに文字があるような気もするのですけど、わかりません。
赤城山もよく見えません。
でも、『日本城郭体系』第4巻に、那波城は取り上げられています
縄張り図はないですけど。
那波城の位置は伊勢崎陣屋の南三・七km、昌雲寺の北側にあたるが、耕地整理のため完全に消滅してしまった。川などの委託地形のまったくない館城であったと推定する。ここの城主は大江広元の子政広を祖とする那波氏で、当時の館は東南四kmの小泉にあり、利根川の変流によって流失してしまった。~(中略)~天正十五年秋、原因は明らかでないが那波城は北条方に占領され、顕宗は城を落ちて上杉景勝を頼り、のち、天正十八年に奥州九戸で討死したという。
七海ママのふるさと・名和、少し歩いてみましょう