黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

安永3年の百番供養塔(諏訪大明神の御利益?)

2021-02-01 15:25:28 | 蕨沢川物語

ひめちゃんちのニューフイスを紹介します。

シローくんです

この春閉園になる常広寺学園・城山幼稚園から、やって来ました

とりあえず、おとうさんのメダカ桶の番をしてもらってます。

小次郎パパがクンクン、情報収集しました。

ほかのみんなは、関心が無いようです

 

 

ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の西の高台をめざしてお散歩です。

 

諏訪神社の鳥居前からは、妙義山も見えます。

真っ白な浅間山も見えます。

榛名山もうっすらと白いような感じです。

 

赤城山には、重い雲が垂れ込めています。

ひめちゃんと獅子君は情報収集です。

だれが通ったのかな?

 

高台の中央で右折し、道なりに戻ります。

畑の自生しているロウバイの向こうに赤城山です。

 

神社前に戻りました。

この間お散歩の途中に、2礼2拍1礼をして、鳥居前でちゃんとお参りしている人がいました

ひめちゃん・獅子くん、お参りしよう

ひめちゃんたちは、関心がありません

右手にカメラ、左手に2本のリード、両手が塞がっているので2礼2拍1礼したつもりで、会釈をして通り過ぎます

 

橋のたもとの百番供養塔、少ししつこくみたいなあ

獅子丸が、供養塔と馬頭観音の間をすり抜けていきます

 

しかたなく、ひめちゃんとおかあさんもついて行きます。

あれ、後ろに文字があります

後ろには、やわらかい草があったのです。

 

ひめちゃんもお相伴です。

「安永3年甲午(きのえねうま)星次 卯月吉祥日」、きれいな文字です

まさか裏に文字があるとは、思ってもみませんでした。

そして、安永3年(1774)ですって

 

安永3年は、世良田の毛呂権蔵が『上野国志』を著した年です

毛呂権蔵は、常広寺の「竜骨伝記」を『上野国志』の中に遺してくれたのです。

「竜骨伝記」は焼けてしまったけれど、『上野国志』の記述によって再現されたのです。

奇遇です

さっそく諏訪大明神の御利益かな?

 

江戸時代の後期には、他国に行くのは難しいけれど、国の中では比較的楽に移動できたといいます。

そんな中で、毛呂権蔵がやって来たのです。

そんな中で、百ヶ所の霊場巡りを成し遂げ、記念に百番供養塔を建てた人々がいたのです

 

気のせいか、隣の馬頭観音さんの足下の馬たちも、元気に見えます

 

ひめちゃんたちのお散歩記事が、長くなりました。

南勢多郡の廃寺・三夜沢赤城神社の神宮寺(後編)は、明日にしましょう

 

 

 

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