黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・北大洞の道標を南に

2022-07-10 15:57:42 | 蕨沢川物語

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、プーちゃんの前を通って、堀之内を北に出ます。

プーちゃん、いるかな?

酷暑の夏で、高齢犬のプーちゃん、心配です。

無事の姿を見せてくれました

 

ひめちゃんたちは、沼下のヒマワリ畑を通ります。

ヒマワリが大きく成長しています。

もうじき開花だね

 

岩神沼には誰もいません。

なんとなく水位が下がったような気がします

 

 

 

 

北大洞の道標を南にしばらく下ると、祥雲寺(しょううんじ)に出ました。

『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅱ』(上毛新聞社 平成15)によれば、祥雲寺は、

明治十二年(1879)の『上野国南勢多郡寺院明細帳』によれば、寺は慶長五年(1600)二月、粕川村膳の龍源寺七世輝翁善陽が創建し、開山として入寺した。その後、文化四年(1807)三月十日の夜に失火し諸堂を焼失する。伝来の記録も焼失しそのため由緒不詳である。文化十年(1813)僧梅貞の代に、村人一同にて本堂と庫裏が再建された。その本堂が現在の本堂(間口六間、奥行き七間)である。庫裏は間口四間、奥行き六間だったようである。この庫裏に歴史学者中村孝也文学博士が五歳ー十六歳まで住んだ。父親が小学校の教師として来孫したことによる。

本尊釈迦如来は厨子に入り、前立三尊と呼ばれている三尊がその前に祀られいる。本尊の脇に、達磨大師、大権修理菩薩が拝されている。現在は本寺龍源寺の住職が兼務している。

 

ストリートビューには赤い屋根の本堂が映ってます。

その後取り壊されて、実質廃寺状態になってしまったのでしょう

 

新里村指定の文化財、「祥雲寺の延命地蔵」は、ご無事のようです

大きい

かなり大きいです

お首も無事のようです

 

 

隣には、マスクのぐんまちゃんです。

ちょっぴり哀愁の延命地蔵さん、さようなら。

いつまでも、ここに居てくださいね

 

 

道を隔ててすぐ南は、小林の大日堂です

久しぶりの訪問になります。

東の方の田んぼは、すっかり工業団地になってしまいました

あれ、こちらのお地蔵様、お首が明らかに変です

 

大日如来が中においでです。

今回はお姿がうまく映りませんでした。

合掌

 

側には、赤城大明神の額です。

ここが、『上野国郡村誌』(明治10)小林村に記載のある赤城社かな?

でも、小林村の赤城社は、村の中央にあると書かれています。

ちょっと南過ぎるような気もします。

いずれにしても、赤城神社だったのは確かでしょう

 

 

ここの交差点を西に行きます。

まもなく川が流れています。

蕨沢川に架かる前田橋です

 

橋を渡って右折し、すぐ北の橋を目指します。

橋の名は、下高橋橋です

じゃあ、高橋橋もあるね。

下高橋橋を西から渡って左折、一つ上流の橋を目指します。

 

ありました

高橋橋(たかはしはし)です。

清流のイメージの蕨沢川が流れてきます。

本日はここら辺にて

後日また、もう少し上流の蕨沢川の橋を、確認しましょう

 

 

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