ひめちゃんは、最近スーパードッグをしています。
おかあさんがスーパーなどにお使いに行きそうな時に、先回りして玄関で待っていて同行をしてしまうのです。
今日は帰りに山上城跡公園に寄ってきました。
ロウバイがやっと開花し始めていました。
2020年の1月、ロウバイの山上城の写真、なかなかないです。
この頃、スーパードッグというかお出かけのお供はタバサねーちゃんでした。
いろいろなところに行ったね
暖かくなったら、またお出かけしよう
女渕の城に引き取りけり(寄せ手敗軍、膳備中守討ち死にの事、付けたり、渡良瀬川満水、越後勢水死の事 ・その 2)
備後守大いにあせり、馬に続けと下知なし、馬上歩行武者百騎ばかり逆巻く水に打入りて、よわきものは馬に取り付き、弓筈武者鐙しりにて取り付き越えければ、悪水岸に充満し、歩行武者、弱き武者、手負いの類い三十人ばかり、波間に沈み死にけり、備後守馬ばかり流して、ほうほう岸に上がり、女渕の城に引き取りけり。
あらすじというか、大意というか、非常にわかりにくい表現なので、だいたいのストーリーです
萩田備後守は、「我が馬に続け。」と指令したので、騎馬武者が百騎ほど、逆巻く渡良瀬川に乗り入れます。
弱い者は、馬に捕まったり、弓筈(ゆはず)に捕まったり、鐙に捕まったりして、渡良瀬川を渡ります。
弱い者や負傷者約30名が、波間に沈んで死にます。
備後守は馬だけ流して、ほうほうの体で岸に上がり、女渕の城に逃げ帰ります。
まるで、『平家物語』の橋合戦で、足利忠綱が先頭に立ち、宇治川の逆巻く流れを渡るシーンのようです
ちょっと、迫力不足ですけど。
約3分の1が流されてしまったのですか
足利忠綱率いる東国武者は一騎も流されませんでしたけど。
渡ったところ・三ツ堀は、現在の松原橋付近です。
桐生老談記の作者・高橋守之は山田郡今泉村と新田郡長岡村・菅塩村の管理を領主から任されていました。
桐生老談記の作者
山田郡今泉村から新田郡長岡村・菅塩村によく通ったことでしょう。
そのときには、渡良瀬川を三ッ堀(松原橋付近)で渡ったのでしょう。
松原橋を渡ると、桐生市広沢町、その南はもう太田市です。
三ッ堀から女淵城には、ちょっと遠回りな背走経路のような気もします
萩田さん、歩いて帰ったんでしょうか?
かなりの距離ですよ
それに、膳備中守の居城は、膳城です
女渕城では、ありません
2020年3月、桜の女渕城を歩いて来ました
萩田さんの記憶は何もないようですね
城主として名前のあがっている、荒井図書允・沼田平八郎は由良方の武将ですね
初稿 2020.03.26 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2025.01.20
(寄せ手敗軍、膳備中守討ち死にの事、付けたり、渡良瀬川満水、越後勢水死の事 終 )
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